咸臨丸、富造水主の墓 塩飽佐柳島
塩飽水主、富造は咸臨丸にて渡米の折り、病床に倒れサンフランシスコの土となった。墓はサンフランシスコにもある。塩飽佐柳島にも墓があり御家族の手により毎日生花がたむけられている。この墓は拝墓(おがみばか)と呼ばれるものである。

サンフランシスコで埋葬した当時の絵日記。この記録は塩飽島泊、咸臨丸渡米の折り石川政太郎(帆仕立方)の日記に書かれていた物である。ローレルの丘の墓地に埋葬されたとあるがサンフランシスコの墓に参ってみたいと思っている。まだあるのであろうか?医師の牧山修は「さらば世に残るうらみもあらざらん、ここを戦の庭と思えば」と歌っている。