塩飽勤番所長屋門 塩飽本島宮の浜

 当初、年寄が自宅で政務を行っていたが、寛政年間に勤番所ができ年寄が詰めここで政治が行われた。塩飽島中の日常の政務は勤番の年寄が協議し、重要な事項は庄屋の合議によった。各浦の事は庄屋と人名の協議で行われ非常に民主的であった。私事ながら生家はこの勤番所の前にあり、勤番所と大阪町奉行所との連絡や勤番所の客の宿をしていた。