武雄領主鍋島茂義

一貫して藩政を指導

 幕末の佐賀藩にあって藩政改革を実行し、科学技術面において最大の功労者は鍋島直正、閑叟公とされている。しかし実際の閑叟公は本当は何もしておらずかえって失敗ばかりしていたのである。閑叟公の役割は邪魔をしなかっただけといってもよいであろう。佐賀藩において科学技術の痕跡が佐賀でなくて武雄に集中している事もその間の事情を物語るものである。佐賀にないのは江藤新平の乱により消失したとされているがすべて消失したとゆうのはどうみてもおかしい事であろう。是非長い論文であるが目を通して頂きたい。    

 モルチール臼砲、武雄領主鍋島茂義の注文により作られた高島秋帆親子製作の臼砲。武雄市教育委員会所蔵(中庭にごろんとおいてあるのはどうかと思われる。せめてケース等に入れる必要ありと思われる。もう少し大切にせねばならないのではないか。)

 ボンベン野戦砲(青銅製)、長崎などにある青銅砲はスパイラルが無いが武雄の青銅砲はきれいなスパイラルがきっている。この螺旋溝により大型砲弾が打ち出す事が可能となっている。武雄市教育委員会所蔵(おなじくロビーにごろんとおかれている)

 現存するアームストロング砲弾。よく残っていたものである。幕末期の西洋式砲弾は北海道江差港の開陽丸の海底遺跡からも数多く出土されているが多くは角付き砲弾でこの砲弾はそれよりも新式の砲弾である。先祖か眠っているかも知れない江差には一度ゆきたいものだと思っている。長さは20センチ弱、直径は8センチ弱、一度X線検査したいものである。火薬とタイムヒューズの状態が分かるかも知れない。ほぼ同様な砲弾が鹿児島にある。鹿児島の砲弾は薩英戦争時英国軍艦より砲撃された不発弾が保存されている。武雄市教育委員会蔵