平成11年1月4日(月)
ここに来るといつも心が落ちつく、そういう場所を持っている人は結構多いんじゃないかと思う。どうしても耐えられないほど辛いこと、悲しいこと、抗しがたいことがあったとき、それからなんだか理由もなく心が落ち着かなかないとき、そんな時には、そこで独りじっと空気のように身を任せ、いつもの自分に戻れるよう待ち続けるのがいい。そういう"大切な場所"は、誰にも教えずにそっと自分の中にとっておきたいものである。もちろん人によっては、そういう気持ちを解消するのにショッピングをしたり、お腹いっぱいに美味しいものを食べたり、気が済むまで人に話しをする人もいるであろう。
湯島聖堂にいる。お茶の水駅から歩いて数分のところにあるこの場所には孔子が祀られているらしい。あの孔子様であるから、学問の神様ということなのだろうか。それと、お寺でも神社でもない此処の建築様式は、中国テイストがたっぷりとちりばめられている。
実は、ここは僕にとってお気に入りの場所である。なぜだかいつもここに来ると、心が落ち着いて気分がすっきりするので、たまにではあるが時間があると此処にやってくる。ここは、都会のど真ん中にいることを微塵も感じさせない程静かなのが理由のひとつでる。凛として建つ大成殿、そのまわりにある雑木の樹林帯が、総武線の電車の音や、聖堂を取り囲んでいる交通量の多い道路から発する自動車の騒音を寄せ付けていないからだ。そして人の多くないこの大成殿の中庭から上を見上げると、大成殿の建物のむこうに見えるのは、頭をのぞかしているいくつかのビルを除いて、澄み切った青空しかない。本当にここは東京なんだろうか?空気の澄んだ、ちょっとした田舎にやってきたときのすがすがしい気分をこの東京で味わうことができる。そしてこの青空と大成殿の無駄のない曲線には、自分の中のもやもやとしたものをいつも吸い取ってくれて、普段の自分にリフレッシュさせてもらっている。やっぱり、ここは懐が深い。
今日は、新年の参拝に来たのだが、今日もまたここから見える空は青く澄み切っている。僕にとってここの空は、東京の中でもきっといちばん大きく広く、決して手の届かない高さにある。今度ここに来るときは訳ありではなく、一回り大きくなった自分の姿を胸張ってこの空に見せてやる、今日僕はそう決心した。
1999.01.04. Camera ( Pentax ESPIO 140 M), Film ( Fuji Super G ACE 400 )