平成13年9月23日(日・祝)〜25日(火)
紅葉を前にしたこの季節、温泉地か閑散とするのか、週末の宿泊客がはけると人気が急になくなってしまった。
とある福島県の温泉地にやってきた。福島のガイドブックには必ず載っている温泉郷で、いくつかある宿のうちゆっくりできそうなこじんまりとした宿を選んだ。初日は3連休の中日だったのでたくさんの宿泊客で賑わいをみせていたが、翌日朝にどやどやと皆帰途についてしまい閑散としてしまった。3連休の最終日にあたる二泊目は自分以外に宿泊客がいる様子が見られなかった。求めていた静寂の空間が訪れた。
天気が良いので散歩に出かけた。古くからある温泉郷ではあるが見所がなく、宿から5km程奥にある沼までのハイキング・コースに向かうことにした。
予想していたことではあったが、ハイキング・コースを歩いている人は皆無でこそなかったがほとんどの時間を自分だけの世界に浸ることができた。沼の近くにまて来ると、ハイキングの道ではなくなり単なる山道、登山ルートに近い様相をみせてきた。下草がないということが、ここが道だということを示す唯一の証明であり、標識もなく石階段や枕木といった人工的な物体も皆無であった。
ほんとうに何もなかった。すばらしく何もなかった。森を抜けて沼に到達すると、空から陽光がまっすぐに注ぎ眩しく、森の中を歩いてきた自分の目を瞬間的にくらませた。沼の水面をみる。水は氷を張ったように微動すらしていない。沼の周りの景色を上下逆さまにして写す鏡になっていた。
深呼吸をした。埃を全く感じさせない空気が肺の奥まで届いた。無風だったからであろう、いや森が空気の揺れを吸収しているから風がないのであろう、ここに存在する空気は悠久の時間を経てここに滞在しているもののように感じられた。
『体が洗われる、心が洗われる』。単純な感動が頭に浮かんだ。こういうありふれた言葉を使うしかない、真っ直ぐすぎる感覚しか現れなかった。でもそう、陳腐すぎる言葉だがこんなときにこそ使う言葉なのだ。この言葉しか似合わないのだ。沼だけでなく自分自身も無にリセットされてしまったのだから。
この場所は、とりあえず秘密にしておこう。またいつかシーズンオフに来るときのために。
2001.09.24. Camera ( Minolta TC-1), Film ( Fuji SUPERIA 100, 400 )