機関紙v17です。
山梨青年海外協力隊協会通信 VOL.17 2005 3月
編集・発行 山梨青年海外協力隊協会 〒407-0108 山梨県甲斐市宇津谷5324-5
(青年海外協力隊ОB会) 会長 高石一朗
E-mail fwix1030@mb.infoweb.ne.jp ホームページ http://www.fsinet.or.jp/~yjocva/
会長挨拶 高石一朗(60-2 ケニア 自動車整備)
あけましておめでとうございます。 会員の皆様方は新しい年を如何お過ごしでしょうか。去年の暮れは大津波でインド洋に面した国々では大きな被害が出ました。私はちょうどあの日、妻とフィリピン旅行に行っておりました。幸い私がいた島には津波の被害は無くホテルでBBC衛星放送のニュースを見て初めて今回の災害に気付きました。今回被害を受けた国々で活動している隊員の方々、「えらいこんだけんど現地の人のために頑張ってください。」山梨から一日も早い復興を祈っております。
さて昨年行われました様々なイベントも、会員の皆様方のご協力により全て無事終える事ができ、心より感謝しております。ありがとうございました。今年もさらに新しい催しにチャレンジして行きたいと思いますので、皆様のご希望やご意見、アイデア、情報などございましたら遠慮なくお聞かせください。協力隊協会が皆様と一緒に楽しく活動できる場となる事を、私は望んでおります。最後になりましたが、会員の皆様方のご健康とご活躍を祈念し、年頭の挨拶とさせていただきます。
秋募集説明会 国際協力推進員 齊藤
説明会は、JICA事業説明、体験談(帰国隊員)のあと、OB・OGの皆様のご協力により、分野別相談会を行いました。アンケートでも大変好評でした。今回の秋募集では、OB・OGの皆様、JOCAの応募促進員の落合みどりさんのおかげで応募者数が26名でした。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。
@10月17日(日)14:00〜 参集者数 12名 A10月28日(木)16:30〜 参集者数 8名
B11月10日(水)18:30〜 参集者数 11名 県民の日のイベント参加 11月の6・7日、穏やかな秋晴れの中、山梨県の小瀬スポーツ公園において県民の日フェスティバルが催されました。今年は2日間とも天気にも恵まれ大勢の来場者が有り、駐車場が足りなくなるほどでした。JICAのテントではポスターやパネルなどを展示し、パンフレットや募集要項の配布を行い、当会のテントではでサモサとチャイを作り販売しました。スタッフの皆さんの努力のお陰で作ったサモサはすべて完売でき、当会の最大の事業収入になりました。このお金は当会活動資金として大切に使わせていただきます。最後に今回参加してくれたOG・OB、一般ボランティアの方、お忙しい中お手伝いどうもありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。 (高石)

(恒例のサモサ販売) H16秋募集に応募促進員として協力して
落合 みどり(53-1 ガーナ 理数科教師)
「応募促進員」とは、(社)青年海外協力協会(JOCA)が16年度協力隊『即戦力』参加者確保拡大キャンペーンで進めている活動の一つである。
現在、実際に派遣される隊員数は、約1,200人であるが、これは、派遣計画1,380人/年間を下回っており、経済大国日本の現実とのことである。この状況に鑑み、JICAが実施する年2回の『通常の協力隊員募集』だけでは途上国の要請に応えることのできない事実を重く受け止め、隊員経験者である私たち自らが『即戦力』の人材確保を目的に、協力隊事業を側面的に支援しようと各県(全国)に応募促進員一名ずつ配置(経費はJOCA負担)し、OB会の人的ネットワークを活用した個別対応型の応募促進方式を基本としつつ、特に充足が難しい23職種について即戦力人材の確保を行うことになったのである。
活動期間は給与が支払われ、秋募集に合わせて2ヶ月間と限られていることもあり、応募促進員を募り、決定するまでの期間があまり無かったので、主婦であり、ある程度融通がきいた私にその話がきたのである。
応募促進員として活動する前に、事前研修会が昨年9月8日から10日に東日本地区、13日から15日に西日本地区在住者向けに、JICA広尾大会議室にて行われた。
応募促進員に求められる役割や活動方法について確認し、実際の促進活動に挑むために行なわれた研修会である。金子JOCA会長の挨拶から始まり、青年海外協力隊事務局の国内グループ長によるJOCV事業の現況説明や、応募促進の事例紹介、実践シミュレーションなど3日間とも予定終了時刻を超過しての充実した内容がいっぱいの研修であった。
9月21日から始まった活動だが、「即戦力」についての定義や応募促進員の具体的な活動内容も不透明で、応募促進員として活動することになった私が事前研修で得たことを説明しながら「即戦力」人材情報を少しでも多く得ようと四苦八苦した活動となった。今回のこの協力隊参加(即戦力)者確保拡大キャンペーンにおいて、青年人口(20才〜39才)や前年度実績(応募者、10万人比、合格者数)からふまえて、16年度下半期の山梨県の即戦力確保促進目的数は1名であったが、その1名すら確保に苦労した。イラク情勢の不安定なことなどが、頻繁に報道されたのが影響したのではないかとも考えられる。
JICAが行う秋募集活動の邪魔になってはならない、総花的な応募促進活動ではない、良識と節度を持った促進活動(形振り構わぬヘッドハンターではない)に徹すること・・・等活動上の心得として留意しなければならないことを踏まえた上で、2ヶ月間という限られた期間に折り紙つき(協力隊員として必要な諸条件を具備した派遣するに申し分ない即戦力と見定めた人物)の即戦力人材を発掘・確保に努めなければならないのであった。それは、もう遠い過去のものとなってしまいそうな隊員時代同様の『志』の高さと『フロンティア スピリット』を心情とするものであった。 いえ、「・・であった。」と過去形に言い切れないのが現実である。 応募促進員の処遇として雇用期間は2ヶ月間なのであるが、即戦力人材であるかどうかは二次面接試験にも合格し、派遣前訓練をすべて終了し、その人が確実に任国に派遣されるまでは証明されないからである。 今回「折り紙付」の確保者は1名。理数科教師で受験し、一次試験をクリア!(折り紙付なのだから当たり前と言えば当たり前なのだろうが、内心ホッとした)。 今後の応募促進員の活動として多数の県においてゼミ形式や模擬面接の研修会を計画しているようである。もちろん雇用期間は切れたので、皆ボランティア精神で行うのである。他県のOB会によっては数年前から行なわれていたようだが、山梨県においても一部の有志の協力により二次試験に向けての勉強会を計画している。 願わくば、二次面接試験を受ける全員が協力隊員として世界で活躍して欲しいと思う。 また、最後になりましたが、16年秋募集の応募促進員の活動においてOB・OGの多くの方々の多大なるご協力をいただき誠に感謝しております。 この場をお借りしてお礼を申し上げます。ありがとうございました。 平成16年度第2回JOCA評議員会に出席 平成17年1月29・30日にJICA広尾において、評議員会が開催されましたので出席しました。JOCAの16年度事業の中間報告、17年度事業の計画・予算案について協議しました。その後、協力隊事務局長と次長からこれからの協力隊事業についての講演が行われた。翌日は、協力隊員確保を目的とした事業提案について分科会に分かれ討論をしました。 尚、今年はJOCV40周年に当たるため、記念式典を10月29日にNHKホールで行う予定です。 (野崎)
青年海外協力隊協会評議員ブロック会議(関東)に参加して
秋山尚子(13-1 バングラデシュ 理数科教師) 昨年11月20日、21日と筑波国際センターにて行われたブロック会議に行かせて頂きました。日程は、以下の通りです。 11月20日(土) 13:30 受付 14:00 開会挨拶 (社)青年海外協力隊協会 常務理事兼事務局長 駒沢 彰夫 14:05 来賓紹介及びご挨拶 JICA筑波 所長 永井 和夫 JICA東京国際センター 連携促進チーム長 松本 淳 14:15 出席者自己紹介 14:30 関東ブロック活動報告 @ 幹事(副幹事)報告 A 各都県活動報告 16:15 JICA事業報告 (含 ボランティア事業の動向) 質疑応答 JICA東京国際センター 連携促進チーム長 松本 淳 17:00 JOCA中間報告 質疑応答 (社)青年海外協力隊協会 常務理事兼事務局長 駒沢 彰夫 @活動報告 A20周年記念事業について Bその他 18:30 懇親会 11月21日(日) 7:30 朝食 9:00 茨城県OV会によるワークショップおよびその他議題 12:00 散会 〈感想〉 関東甲信越静のOV会が参加しました。そこでは、年間の活動報告がされ、各都県における問題点や困っていることなどをシェアーしていました。出てくる課題に対して、関係するJICAの方からの意見、また、他のOV会から、その経験を生かしたアドバイスがなされ、その熱心さに感動しました。例えば、帰国隊員のもっと経験を生かせるような場を設定したいが、肝心の帰国隊員と連絡が取れないことに対して、JICAと連携について、参加されていたJICAの松本さんが答えてくれていましたし、ある県では、活動中の隊員に帰国後の予定を連絡しているなどの事例が挙げられました。また、JOCAに対する要望や意見も多数上がり、参加している代表者たちが、日ごろから、協力隊への高い関心をもっているということもひしひしと伝わってきました。そのような雰囲気の中で、関東全体でイベントをやってみよう、という提案もされていました。 会全体を通して、とにかく各都県代表の方が本当に熱心に参加されていたことが、印象深かったです。ブロック会議ってなんだろう、という私でしたが、今回参加させてもらったことで、この会が、県外のOV会の活動を知り、また、課題を共有することができ、情報の交換ができる会なのだと知りました。県内の活動に参加しているだけでは感じなかった、もっと大きなものへ繋がっている感覚を抱きました。とても、勉強になりました。 最後に、ブロック会議に参加して、訓練所で一緒だった同期に会うことができたのも、私にとっては大きな収穫でした。同じ時間を共有し、お互い無事に帰国し、こうしてまた出会えた縁が、なんとも有難かったです。この機会をくださった、理事会の皆さん、何も分からない私を連れて行ってくださり、いろいろ教えてくださった高石さん、野崎さんありがとうございました。この場をお借りして、感謝申し上げます。 ※今年は埼玉県で開催されます。参加してみたいという方は、事務局にご連絡を。(野崎) 1次試験合格者に説明会を開催 17年1月16日(日)に、協力隊秋募集の1次試験合格者に対し、2次試験に向けた説明会を開催しました。合格者3名に対しOV5名が集まりました。2次面接への対応などのアドバイスを行いました。今回初めて実施した試みであり、最近帰国したOVが集まらなかったこともあり、最近の2次試験の状況を十分に把握していないという問題はあったものの、和気藹々とした雰囲気で2時間があっという間に過ぎました。今後も実施していく予定ですので、特に最近帰国された方のご協力をお願いします。 (野崎)
2004年忘年会 大野紀子(14-2 中国 看護師)
12月18日は山梨JOCVのOBによる忘年会が開かれました。12月初旬に帰国したばかりの私も仲間に入れてもらい、中込直さん宅で参加者14人のにぎやかで楽しい時間をすごすことができました。
帰国直後、成田で新札を見て「え?子供銀行のおもちゃのお札?」と本気で思い、日本の徹底した接客サービスと、妙にさわやかな営業スマイルに、ちょっと気味悪く感じてしまったり、また日本社会リハビリのためコンビニに入り『いらっしゃいませ こんにちは』の店員の言葉に思わず「こんにちは」と答えそうになりながら、そそくさと週刊誌を手に取ると目に飛び込んだのは大きい活字で「ヨン様」。これってって誰?(笑)などなど、すぐ日本に溶け込めてない私でした。数ヶ月または数年前、こんなカルチャーショックを同じように経験された先輩OBの方々の集まりだったので、母国である日本で異文化体験してしまっている自分への驚異と不安を語る私に対して「うんうん、そうだよね〜、わかる、わかる。」と皆さん共感してくださいました。今回初めて顔を合わせる人がほとんどなのに、似たような体験をしている仲間同士の集まりって、不思議と落ち着く。安心した・・・そんな気持ちになりました。
食べ物をそれぞれ持ち寄りにするのは、今回初の試みということでしたが、テーブルいっぱいに並べられたお料理は、まるで各国料理の試食会のようでした。日本食にまだまだ飢えていた私にとってはたまらない、プロの牡蠣鍋や熱々のおでんからはじまり、山梨JOCV恒例のサモサや、協力隊員時代に気に入った任地の料理として、ビリヤニや魚のカレーなども披露されました。私もそうですが、隊員時代に出会った味というのは仲良くなった現地の方とのいい思い出も重なって、忘れられない「第二の故郷の味」になっているようですね。どれもこれも美味しくてお腹いっぱい・・・それなのに「別腹は実在する」ということを証明するかのように、家政隊員お手製のデザートで幸せ気分を満喫しました。女性チームだけでなく、中込家のちびっ子たちも魅惑のデザートに夢中の様子でした。
協力隊員が集まるところでは必ず繰り広げられる、隊員活動中の「すごい話」自慢もとても面白く、日本社会に戻りたてで戸惑っている私に、更なる刺激を与えてくれました。皆さん良いネタをたくさんもっているだけでなく、聞く人の心をうまく引き付ける話術を身に着けていることにも感心しました。
また隊員活動を終えたその後の隊員たちが、どんなふうに隊員経験を生かしているのかな?というところも大変興味があったので、頼もしい先輩方の生の声がきけるよい機会となりました。山梨JOCVのOB会はとても魅力的な方々ばかりで、これからの活動が楽しみです。
平成17年の新年会に参加して
平岩 正幸(60-2 ドミニカ共和国 電子機器)
平成17年の新年会は、八ヶ岳の麓の泉郷で行われました。3年連続で泉郷での開催になると思います。私は、YJOCVAのさまざまな行事への出席率はあまりよいほうではないのですが、こと新年会に関しては3年連続で出席しています。単にアルコールが好きな中年オヤジといわれてしまえば身もふたもないのですが、帰りのことを心配せずに飲めるので素晴らしいことだと思っています。山梨のOG・OBの方がたでもまだ新年会のような行事に出席していない方はぜひ参加されてはいかがでしょうか。山梨のような田舎に引っ込んでしまうと、さまざまな経験をもった方たちとお話する機会も少ないのではないでしょうか。新年会は、ゆっくり話せていい機会になると思います。深夜には懐かしい時代の歌のカラオケもやりました。 南こうせつ、吉田拓郎、井上陽水、久々に歌っていい気分になりました。この時代の歌が懐かしい世代というのは、それなりの年になると思いますが、個人的にはメキシコ時代を思い出しました。私たちの時代は、中南米派遣隊員は派遣国に入る前に全員メキシコで語学研修をしました。そこの語学学校には、英語圏のアメリカ人も大勢スペイン語の学習にきていて、あるとき全員でパーティーをやることになりました。 パーティーも宴たけなわになってくると、そのうちギター伴奏でさまざまな国の歌などを得意の人が演じるようになり、何人かのアメリカ人が日本のフォークソングも聞いてみたいとリクエストしました。そのときに、吉田拓郎や井上陽水時代の歌をいろいろやりました。そしてさいごに、そこの学校に通う日本人全員で「戦争を知らない子供たち」を歌ったのを思い出しました。そんなことを、思い出しながらの楽しい新年会でした。
隊員帰国研修会に参加して
後藤美和子(14-2 ブルキナファソ 看護師)
2月13日に山梨県立国際交流センターで、青年海外協力協会主催の隊員帰国研修会が行われました。講師に(特定非営利活動法人)開発教育協会の綿谷亜希氏をむかえ帰国隊員8人を対象に行われました。
私は、去年12月中旬にブルキナファソから帰国し、現在富士吉田の実家に住んでいます。毎日、机の上にあるブルキナファソでの活動時の写真を見て、現地を思い出しています。日本の、人のあわただしさ、情報の氾濫、コンピュータ機能の発達、などに戸惑いながらも、実家から見える富士山、母の手料理、お風呂に感動し、日本に帰ってきてしまったのだとつくづく感じます。それと同時に、ブルキナファソでの生活も懐かしく思わずにはいられません。そろそろマンゴーがたわわに実る頃かな、とか、雨が降ると、土で作った家が村では何軒崩れてしまったかな、とか、診療所では高熱にうなされた子供をお母さんが抱いて座って待っているのかな、とか・・・
2年間、私がブルキナファソで見て、感じた事を私の心の中にしまっておくのはもったいない、みんなに知ってもらいたい、と強く思っていました。
この研修会で、協力隊活動報告会の方法、地域の学校から国際理解授業の依頼をされた時の内容の組み立て方、を学びました。場のなごみの必要性、そのための簡単なゲーム。聴衆の興味の集め方として、衣装や映像化されたもの(パワーポイント・写真・スライドなど)、現地の産物などの必要性。それらから、人間の尊厳、異文化、環境問題、貧困、南北問題、を考えられるよう、どのように相手になげかけるか。
非常に興味深く、楽しく、今後の自分自身のやる気となる研修会でした。 これから私が青年海外協力隊OBとしてできることは、私が経験したブルキナファソを日本の人たちに、山梨の人たちに知ってもらい、開発をめぐる問題について考えてもらうことかな、と思います。そのために、聴衆の心をつかむ発表技術を開発していきたいです。
開発教育の講演がありました
中村 勝彦(12-1 エジプト 花き) 感想から先に言うと、『すごくよかった!』です。開発をめぐる課題は文化の多様性や異文化理解、貧困、環境などなど多くあります。私が協力隊を通して活動して経験してきたことなど、学校などで話す機会があったのですが、話したいこと伝えたいことが前へ出てしまって、うまくまとめることが出来ませんでした。今回、綿谷さん話す「開発教育研究会」に参加することで、ポイントがある程度分かり、次回どこかで話す機会があったら、すぐに役立てることが出来そうです。 感想から書きましたが、この日の様子を少し書くと、午前中の協力隊員の帰国後研修に始まり、午後からは一般参加もある開発教育研究会と続きました。開発教育については「世界がもし100人の村だったら」などの教材を使って世界の状況の学び方、ゲームによっての異文化の伝え方。フォトランゲージによっての世界の状況の伝え方などなど、世界とつながる学びをどのような方法で実践していくのか? 参加者が話を聞くだけの講習ではなく、文字どおり参加者が参加する講習というのが、ここまで心地よい充実感を与えてくれるものなのかと感動でした。 帰国間もない隊員も参加していて、話を聞く事で自分が赴任していた時のことを改めて思い出すことができたし、違う国の今の様子を聞くことが出来たことも良かったです。 この日一日充実した日を送ることが出来たので、この企画を立ててくれた事に感謝します。
協力隊活動報告 雨宮 律子(14-1 南米パラグアイ 家政) 任地 パラグアイ ビジャ・アージェス県 ビジャ・アージェス市 パラグアイは、南米の臍と言われている国である。その言葉の通り、南米大陸のほぼ中央に位置し、北をボリヴィア、東をブラジル、南と西をアルゼンチンの3カ国に囲まれた内陸国である。面積は日本の国土の約1.1倍であり、人口は20分の1程度である。開発途上国ではあるが、GNPは一人1552ドルと他の開発途上国に比べると高い。主要言語は、スペイン語と現地語であるグアラニー語を使用する。スペイン語は若者の使用率が高く、グアラニー語は年配者、先住民が好んで使用する。民族は、先ほど記入した先住民(インディアン)とスペイン人と先住民との混血(メスティソ)、白人で占めている。 パラグアイの生活水準は様々で、幼い頃から女の子は子守りやお手伝いとして男の子は路上で物を売り働きにでる家庭、逆に小さい頃から数人のお手伝いに囲まれて生活する家庭など存在する。 家庭環境に恵まれない子ども達と主に接してきたが、決して今の環境に対して恨んだり、ひねたりすることなく前向きに生活していた。周囲の人たちも、互いに助け合う気持ちが強く連帯感があった。 家政隊員として、任地のビジャ・アージェス市の市役所に配属した。配属先では、自由に活動をさせてくれたので週に1回〜2回のペースで講習会を開催した。講習会の内容、場所、広告等すべての計画を立て実行した。また、有志を募って婦人グループを結成して講習会を開催したり、地方での講習会を開催した。内容は、料理栄養教室、レース編み、テディベア作り、刺繍、編み物、ビーズアクセサリー、ペーパーフラワー、あまり布で作る小物等を指導した。また、小学校で日本の紹介、折り紙教室、レース編みの指導等を行った。仕事量も時間も自分で調整できるので、自分のペースで活動を2年間続けることが出来た。 講習会では、40人以上の参加者が集まってくれたり誰も来ずに一人で教室で待っていたこともあった。生活習慣の違いに戸惑うことばかりであったが、最終的には全てを受け入れられる余裕が出来た。 2年間の活動の中で、大勢のパラグアイ人と出会い話をしてきた。私のつたないスペイン語を理解してくれ、一生懸命分かりやすく話し掛けてくれた友達の顔が今でも思い出される。沢山笑って、沢山怒って真剣に人と付き合ってこられた2年間であった。
3年間の活動を終えて 宮下 武(13-2 パプア・ニューギニア 土木施工) 配属先 教育省 レイ工業技術短期大学 山梨県青年海外協力隊協会のみなさん、私は3年間の活動を終了し無事帰国することができました。在任中はいろいろとご支援ありがとうございました。 今、私は3年間の活動に対しての満足感と、徐徐に色濃くなりつつある寂しさで胸が一杯です。おそらく、協力隊OB・OGの先輩方も同じような気持ちをしばらくの間胸に抱いていたのではないでしょうか。実際のところ、まだ心の整理がついてない状態で何も手を付けることができないと言っても過言ではありません。それほどまでに、あの3年間は私に強い印象を与えました。この紙面を借りて、これまでの経験や感じたことなど簡単にまとめたいと思います。 まず、任国パプアニューギニアについては、協力隊の合格通知が来るまで、全く知りませんでした。慌てて書店に旅行のガイドブックを買いに行ったことを今でも思い出します。 駒ヶ根訓練所では世代を問わず個性ある友人が沢山できました。出国前に、県庁に表敬訪問があり、その時初めて山梨県青年海外協力隊協会の人達とお会いしました。表敬訪問後、大送迎会が開かれ今度は個性あるOB・OGの姿を目の当たりにしました。その時は、何故この人達はこうも熱く語るのだろうとその熱さに圧倒され、思わず引いてしまいました。 しかし、今ならその時のOB・OGの「熱さ」や「思い」というものがよく分ります。 任国パプア・ニューギニアでは驚かされることばかりでした。まず、「危ない・危ない・危ない」と調整員に何度も言われ脅かされ、昼間でさえも気を抜くことができず、外出もままならず、ドミトリーで籠もるばかりでした。この時は、かなり退屈でうんざりしていました。 その後、語学研修の一環で、マウントハーゲンの村の一軒の家にホームステイをし、この時にパプアニューギニアの良さが分りました。本当にびっくりさせられたことは、彼等の食事です。とにかく量が半端ではないのです。このとき私は最高級の持て成しを受けました。料理は、白ご飯にキャベツ、それを粉々にしたインスタントラーメンを混ぜたものでした。味は、ここではあえて表現するのは避けましょう。量ですが、だいたい顔を洗う洗面器一杯です。それが一人分です。これを子ども達がぺろっと平らげてしまうのです。大食には自信があった私ですが、半分まで食べることが出来ませんでした。そして、食事後の彼等の腹は本当にはちきれんばかりに膨れていました。しばらくは苦しくて動けないので、全員その場で横になるのです。何故、苦しむまで食べるのかと疑問に思いましたが、今ではその理由が良く分ります。ただ、ただ、食えるときに食う。本当にシンプルなのです。白米もインスタントラーメンも彼等にとっては今度いつ食べられるかわからないですし、冷蔵庫もないので、食えるときに食う以外の選択肢は無いのです。 隣の村に散歩に行こうと誘われ付いて行ったら片道5時間。しかも山を二つ越えました。体には学生時代から鍛えていたので自信はあったのですが、その自信は見事に砕け散りました。村のお父さんは見るに見かね杖を作ってくれる有様で、彼等の肉体の丈夫さに感心させられました。 私の任地レイは首都に続く2番目の大都市であり、水道はもちろん、電気やスーパーマーケットまであり、一見して途上国を感じさせませんでした。首都と同等の便利さですが、治安の悪さも同様でした。幸いこれまで私には何もありませんでしたが、なかには、家の中まで押し入られて物を持っていかれた隊員もいます。しかしながら、そのような緊張感のある生活にも次第に慣れ、快適だと思えるように適応している自分に一番驚かされました。 大学での講義は、最初のうちは予習に追われ本当に大変でした。学生からの質問の意味が分らず、何度も何度も聞き返しました。自分の不甲斐無さを一番感じる時期でした。しかしながら、周りのスタッフが支えてくれたおかげで、あきらめず最後までやり遂げることができたと思います。 パプア・ニューギニア人と日本人の価値観の違いから学生とはよく衝突しました。まず、ものを大切に扱うことを教え、次に時間を守るように言いました。こういった学校現場では、壊れてそのままにされた物をよく目にします。また、それは社会にもそのまま影響しています。パプア・ニューギニアの人々が、物を大切に扱い、壊れた物を直す努力をしていけば、社会全体が良くなっていくだろうと考えています。 とにかく、パプア・ニューギニアの活動を通して一番感じたことは、パプア・ニューギニア人は本当に話し好きということです。友達、同僚、家族、それらの中から笑い声が耐えることはなく、日本では失われた幸せの一つの姿を見たような気がします。 シンプルな社会ですが、人が生きるには本当に十分だと思えます。 ある意味、日本や先進国といわれている国々と全く違った社会システムを持った途上国ですが、そこには、人間的な余裕やゆとりがあり、「幸せ」が存在します。 協力隊に参加する以前はこのようなことを考える機会はありませんでしたが、これからは、途上国、先進国両方を考え、人にとって本当に大切なことを見出す必要があると考えます。 多くを与えてくれた協力隊と任国パプアニューギニアに感謝の気持ちで一杯です。
サモサ ―インド・アフリカ料理― 雨宮 律子(14-1 南米パラグアイ 家政)

材料 (パーティー用)約30人分 鶏挽肉 2キログラム 玉ねぎ 2キログラム
にんにく(ペースト) 大さじ2杯 しょうが(ペースト) 大さじ2杯 調味料 〔1〕 〔2〕 別紙参照
生春巻き 2〜3袋(一袋10枚入り) 小麦粉 適量 油 適量 作り方 @
玉ねぎをみじん切りにしてやわらかくなるまで炒める。 A 鉄板に油を適量ひき鶏肉を炒めて調味料〔1〕ビン半分、にんにく、しょうが各大さじ1杯、を加えさらに炒める。最後に塩、こしょうで味を調える。
B 鶏肉と玉ねぎを混ぜて調味料〔2〕を加えてさらに炒める。 C 生春巻きを三等分に切り分ける。
D 生春巻きを三角に折り、具を入れて小麦粉を水で溶いたもので糊付けする。 ☆ 角が空かないよう注意する。正三角形になるように形を整える。
E 中温の油で揚げ、色が変わったら取り出す。 F みんなで楽しく、おいしく食べる。
出来上がり ★ 御家族で食べるときは、10分の1の量で作ってください。 スパイスを上手に使って料理をもっと楽しく!!
調味料 〔1〕 調味料ビン(14グラム分) カルダモン ディール クミン 大さじ1杯
黒こしょう コリアンダー チリパウダー オールスパイス シナモン 小さじ半分
グローブ ローリエ タイム 小さじ1杯 フェネルリーグ ナツメグ
☆ すべてのスパイスをよく混ぜてビンに詰める。 調味料 〔2〕 ガラムマサラ 大さじ2杯
カレー粉 にんにく 大さじ1杯 しょうが 塩 こしょう 小さじ2杯
☆調味料〔1〕が間に合わないときは・・・・ カレー粉 ガラムマサラ 各大さじ1杯
を調味料〔1〕を使うときに使用してください。 終わり 行ってらっしゃい 平成16年11月24日、ネットカフェ「SHOW人」にて16年度2次隊の壮行会が行われました。
今回は今までにない5名もの隊員が派遣されました。
○平成16年度2次隊 左から 天野 勝 ( 忍野村 ヨルダン 写真 ) 坂本 和之 ( 上野原市 ネパール 小学校教諭 ) 山本山梨県知事 古川 幸二 ( 甲府市 モンゴル 保育士 ) 秋山 進 ( 甲府市 ジンバブエ コンピュータ技術 ) 河野 美穂子( 笛吹市 マレーシア 作業療法士 )
お帰りなさい 宮下 武 ( 13-2 富士吉田市 パプア・ニューギニア 土木施工 ) 後藤 美和子 ( 14-2 富士吉田市 ブルキナファソ 看護士 ) 曽根 亨一 ( 14-2 大月市 ブルキナファソ ソーシャルワーカー ) 大野 紀子 ( 14-2 南アルプス市 中国 看護士 )
今後の日程 月 日 曜日 時間 事 項 会 場 3 6 日 10:00 ボランティア家族連絡会
県国際交流センター 13:30 帰国報告会 4 17 日 10:00 シニアボランティア募集説明会
県国際交流センター 14:00 春募集説明会 18:30 定期総会 5 12 木 18:30 春募集説明会
県国際交流センター 編集後記 最近リサイクルショップ(中古屋)の見物が日課になっています。今はリサイクルブームで中古品等が安く手に入りますが、私が帰国した今から8年位前は県内ではあまり見かけませんでした。任国ではリサイクルショップはずっと前から当たり前で、壊れたラジカセやパソコンを見て回ると懐かしい気持ちになります。
今年の新年会は、たまにはカラオケもいいんじゃないかと思い持参したパソコン通信カラオケも、中古屋で買い集めたものでした。(石原)
昨年は「災」の年であった。12月26日に発生したスマトラ沖地震では、私の派遣国スリランカも甚大な被害を受けた。地震が発生した日の午後には、スリランカOVのML(メーリングリスト)には、メールが飛び交い始めた。一方、あるOBが管理人をするHPの掲示板も、情報が錯綜していた。さらに、ある現地の放送局のHPでは、被害の状況やあちこちに死体が山積されたショッキングな映像が流れた。BBCのニュースを含め、情報量の多さと光り輝く島のあまりの変貌振りに、ただただ呆然とするだけであった。私が隊員だった時にはTVもPCもなく、情報入手手段がラジオだけであり、ラジオジャパンのニュースに頼っていたのとは隔世の感であったが、情報があまりにも多すぎてそれを整理できない自分がもどかしくもあった。
今回、協力隊は被災者支援のため、一般短期隊員を2週間から1ヶ月の期間で、3月中旬に派遣することにした。自然災害支援とは初めての試みだという。また、多くのOVがその支援に立ち上がっており、その情報が少しずつ入ってきている。私の同期が働いていた施設でも、入所者の半数以上が津波でベッドごと流されるなどして亡くなった。彼女らはこの施設に車いすを送る手配をし、近く現地に赴くという。現地から帰ったOVは、現地の人たちの頑張りにビックリしたという。昔とは異なり、現地のNGOもしっかりしてきたという。
果たして私に何ができるのか自問しつつ、復興を願ってやまない。合掌 (n)