気ままにひとりごと
最強馬と呼ばれなかった鉄板の軸馬
ビワハヤヒデ
by . Eisin-katiita
◎ 母パシフィカス
パシフィカス。競馬ファンならこの名を聞いたことがあるだろう。GT3勝のビワハヤヒデ、同4勝のナリタブライアンを生んだ偉大なる母である。さらに、姪にも98年の2冠牝馬ファレノプシスがいる。
ビワハヤヒデの全成績は16戦(10.5.0.1)。連を外したのは引退レースとなった94天皇賞(秋)ただ1回のみである。GTでは、93菊花賞・94天皇賞(春)・94宝塚記念を勝ち、92朝日杯3歳S・93皐月賞・93ダービー・93有馬記念を2着。G1以外でもGU3勝・GV1勝という素晴らしい成績を残している。それなのに”最強馬”という称号をつける人はほとんどいない。
◎ 93年度代表馬
ナリタタイシン、ウイニングチケットと共に3強と呼ばれた93年の4歳戦線。
皐月賞は武豊のナリタタイシンにクビ差敗れる。タイシンの末脚を爆発させ
た武豊の好騎乗が絶賛され、2着のハヤヒデはほとんど話題にならなかった。
ダービーも柴田政人のウイニングチケットに1/2馬身差で2着。レース後は念願かなった柴田政人のダービー初制覇に話題が集中し、またしてもハヤヒデは話題にならなかった。
3冠最後のレース菊花賞。雪辱を期したハヤヒデは激走し5馬身差の圧勝を飾る。しかし、2着に伏兵ステージチャンプが入ったことで、話題の半分をさらわれてしまった。
1年を締めくくるグランプリレース有馬記念。菊を制したハヤヒデは4歳ながら1番人気に推される。しかし、レースはまさかの復活劇を演じたトウカイテイオーに1/2馬身差敗れ2着となる。敗れたとは言え4歳の2着であるから評価されてもおかしくないのであるが、1年も長期休養していたアイドルホースの復活の前に話題にもならなかった。
ハヤヒデはその堅実な走りが高く評価され”年度代表馬”に選出された。この年に走ったGTレースは有馬記念と3冠レースの4戦で、1勝2着3回とほぼ完璧の成績であり、選ばれても何ら不思議はない。しかし、ほとんどのレースで話題を他馬にさらわれたことで、ハヤヒデの存在は薄くないっていた。それに加え、安田記念と天皇賞(秋)の古馬GTを2勝したヤマニンゼファーが選ばれなかったことで、全く罪のないハヤヒデがファンの反感を買ってしまうことになった。
◎ 弟ナリタブライアン
5歳になったハヤヒデは、京都記念(GU)で7馬身差の圧勝。天皇賞(春)ではライバルのタイシンを1馬身1/4差。宝塚記念で5馬身差の圧勝。オールカマー(GV)でもチケットを2馬身近く押さえて4連勝を飾り、年度代表馬の底力と意地を見せた。相変らず相手が云々などと陰口をたたかれてはいたものの、ハヤヒデの強さは”最強馬”としか形容できないものであった・・・はずだった。
しかし、ハヤヒデにとって最も不運(表現が正しくないかもしれないが)だったのは、弟ナリタブライアンの大活躍であった。ブライアンは、皇帝シンボリルドルフ以来の3冠を達成し、有馬記念をもあっさりと勝ってしまった。それも全て圧勝で、ファンからは”史上最強馬”という称号を与えられていたのである。この年のハヤヒデの大活躍も、華々しいブライアンと比べたら悲しいかな見劣りしていた。
ファンは、アイドルの弟と何故か憎まれ役となった兄の兄弟対決を楽しみにしていた。しかし、ハヤヒデは天皇賞(秋)でデビュー以来初めて5着に敗れ、そのレース中に故障していたのが判明しあっさりと引退してしまい"世紀の兄弟対決"は実現しなかった。
もし、ハヤヒデが天皇賞で故障せず、有馬記念でブライアンとの対決が実現していたら、ハヤヒデの評価は大きく変わっていたのではないだろうか。4歳時のブライアンを倒せる馬は、日本には兄であるビワハヤヒデ以外にはいなかったと確信している。
これが、ハヤヒデが”最強馬”と呼ばれなかった理由である。
主な成績
(重賞のみ)
1着
GT
93菊花賞3着・93有馬記念・94天皇賞(春)・94宝塚記念
GU
92デイリー杯3歳S・93神戸新聞杯・94京都記念
GV
94オールカマー
2着
GT
92朝日杯3歳S・93皐月賞・93ダービー・93有馬記念
16戦10勝(10.5.0.1) 93年「JRA年度代表馬」
血 統
父
シャルード
母
パシフィカス
(母父 ノーザンダンサー)
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