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売船関係
海外売船 船舶の運航以外に中古船の海外売買の仲介も手がけておりました。 船舶は15年で減価償却すると言うことなど売船する事情等、面倒なことを書くのは止めて現場的なお話を書きます。 アルゼンチンに貨物船を売った時のお話。 国内船社の船舶を海外売船したいと言う依頼を受け、海外の買い手を探して契約を結び、輸出完了までの一連の手続きをして 手数料を稼ぐと言うわけです、商社と同じです。 昭和46年(1971)海外各船社に売り船の一覧表を送ったところ、アルゼンチン・ブエノスアイレスのM.S.A.社から返事があ り、“わが社の役員Mr.Simonsが東京赤坂の東急ホテルに宿泊しているからコンタクトしてくれ”との電報を受信した。 直ぐ電話をして、ホテル行ったら女性の通訳が居て助かったが、東京で雇ったスペイン語の通訳で、船舶専門用語が分から ず、Mr.Simonsはもともとアイルランドの出らしく、これなら片言でも英語の方がよいと言うことで、忘れかけた英語を使う 羽目となった。東急ホテルは現在は解体されてないが地下鉄の赤坂見附の真ん前にあった。 言葉などと言うものは単語を並べるだけで結構通じるもので、あとはプラス度胸です。 某商社も交渉中らしかったが、我々の方が交渉し易いとかで、船主との間を取り持ち、契約成立し、諸手続きを終わり、 いよいよ尾道・向島の日立造船で受け渡しと言うとこまでこぎつけた。船舶は、I 汽船のS丸・8000トンの貨物船、船価は 米ドル・80万ドル、当時は1ドル360円の時代で、2億9千万円ほどである。 船舶の受け渡しは、船価の入金を確認し船舶所属の国際証書・船体の受け渡しを行うのですが、そのあと、 自分の船員で航海するわけです、アルゼンチンから二十数名がヴァリグ、アメリカ乗換えで40時間余り羽田に到着した、 ここまでは専門の入管業者が行い、我々は羽田で受け取り、横浜から尾道目指して寝台列車で引率旅行だ、何しろ 皆スペイン語で、一人だけ一等機関士が英語を少々だから苦労した。 寝台列車でも20数名が一角を分捕るのだからうるさくてたまらない、静かにと言ってもきかない、何しろ 地球の真反対ブエノス・アイレスからのお客さんだ。列車に乗るなり、カフェカフェとうるさい、当時はコーヒー などない、我慢してもらって、尾道に着くのは朝4時過ぎ、先発の相棒が駅前の喫茶店を 船長・機関長に英語の一等機関士と4人で1テーブルをとる。皆・何を まあ何とか尾道に着く、皆を起こすのに言葉は解らない、通用する言葉に“スタンバイ”
夫々がスタンバイと叫びながら通用語に感心していた
言うのだと彼らが教えて
引率旅行は続く
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