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放射能物質紛失事件 あの事件は昭和38年、高度成長の始まる頃の話である。 私は大手造船の分社化した陸上工事会社の総務部に在籍していた。事件が起きたのは、天然ガスを東京ガスに供給すべ く帝国石油発注のパイプラインで、直径700ミリの鋼管を新潟・直江津から東京・豊洲間、約550キロメーター敷 設する工事の途中で起きた。 紛失した放射能物質はコバルト60という物質で、大きさはライターの石ほどの小さなものである。何故これが必要か というと、鋼管の溶接部分を検査するため、通常、非破壊検査又はレントゲン検査とも言っています、溶接でつないだ 鋼管の中をコバルト60を設置した装置を風圧で移動させ、溶接部分から放射能が漏れればその部分の溶接が不充分、溶 接のやり直し。これが非破壊検査。 秋から冬にかけてのある日、コバルト 60がなくなているとの通報があった。埼玉県、群馬県、長野県、新潟県、いち早く各県警に通報、この広範囲の場所から小さな物質の探索が始まります。この物質は鉛製の球形のの中心に収めて、現 場で使いやすい四輪駆動のジープで移動していました。それが格納球の中にないというのです。色々な想定をしました が、地道に、足で、ジープが移動した、特に使用したであろう場所、休憩したかも知れない場所とガイガー探知器をも って探し、10日目くらいに、長野県、柏原駅(現在は妙高と改名)前で軒先を借り休息し、さー始めようとガイ ガーのスイッチを入れた途端、”ガーガー”と異常な音がするのに本来の目的を忘れ、ガイガーの故障だろうなどと。 直ぐに感知していることに気が付き移動しながら隣の雑貨屋の前に来ると感知音が激しくなり。移動場所を変えなが ら”ここしかない”と断定、それが何と「ビール瓶を入れる木箱」の中らしい、とその箱から瓶を出したところ箱の底 にコバルト60を探し当てた。 直ぐ長野県警に連絡、ロープを張り黄色の放射能危険マークの旗をつけ、なんとか処理は終わりましたが、その後、 会社健保組合の医師を派遣、周辺住民の健康診断、因果関係の判定等、色々な問題もあり、大変だったことを想いだし ます。 そのときの紛失状況は、収納したはずのコバルト60が何らかの原因で収まっておらず、ジープの荷台の掃除と、帚で掃 き出したときに、ごみと一緒にビール瓶の箱まで飛んでいったらしい。おかげで長野市に1週間ばかり滞在、信濃善光 寺にも何度も行くことができました。
ガイガー探知器でライターの石程のコバルト60を探索中。先の見えない気の遠くなるような話し 。 右は、コバルト60を探し当てた場所、柏原駅前(現妙高原駅)
探索途中で一茶が晩年住んでいた家を見ることが出来た。 |