ここでは,魔法に関する皆さんの意見・自説を披露します。当研究所の意見と異なる場合でも掲載基準(特定の団体・個人の紹介及び中傷意見を排除等)を満たしていれば,どんどん紹介しますので,貴方からのメールをお待ちしております。なお上記の理由により当研究所の意見は掲載しませんのでご了承下さい。
「敗者の歴史や文化,技術は,勝者によって抹殺されるのである。」
たしかに。隠蔽は人間の最も得意とする悪事の一つですからね。まえに、「学校では教えてくれない歴史」とかいう題で、歴史の真実を述べた本がありました。
「施政者は,敗者の崇めた神々を悪魔や妖怪変化に転嫁させ,それを信じ続ける人々は,異教徒もしくは魔女として弾圧する。そこに現在でも有用な思想や技術の萌芽が存在したかも知れないというのに。そして現在科学が未解明のまま残している分野の指針が埋もれているかも知れないのである。」
いつの間にか、科学で物事が説明できる、と思うようになってしまっています。昔の人の場合、「科学」を研究した、とは言っても、今のようにハイテクがあったわけではありませんから、結局は、頭の中での「ひらめき」を待つしかなかったと思います。
ニュートンはリンゴが落ちるのを見て、引力があるのでは、と「ひらめいた」のです。はじめは大した機材がなかったので、殆ど頭で考えていました。なのに、いつの間にか「科学誌至上主義」はひろまってしまい、なぜか「多数決」というものが使われ、少数派は「異端者」「異常者」として仲間外れにされてしまいます。
「異常者」といえば、「神戸のA少年の異常殺人事件」がまだ記憶に新しいと思います。僕は後半は余り見ていなかったので、間違っているかも知れませんが、このA少年は、結局は、自分の存在自体に疑問を持って、自分の存在を人に認識してほしかったために(自分はここにいるぞ、とアピールするために)罪を犯したとか。これで見ると、結局、A少年の心の中だけの問題です。
「自分がどう思っているかは他人にはどうでもいいこと」なのです。
何が原因か解りませんが、現代人は人の心を推し量るのが大の苦手です。なかには優しさがかなりある人も結構いますが、この人達は本当に優しいかも知れませんが、どこか間違っているため、たいていは「お節介だ」とみられています。
話がいきなりそれました。
魔法は科学者にとっては「あってはならないもの」で、宗教家などの「神を信じる者」にとっては科学は「別にあってはならないものではない」のです。ここまでお互いの態度が違うのはワケがあるようです。
「形而上学(宗教など)」と「形而下学(科学など)」の言葉は聞いたことがあるかも知れません。「お互いを研究している人達は、相手の領域に踏み込んではいけない」という決まりが出来ているそうです。
これも理由の一つのようです。