ドラマ「西部警察」について

石原プロダクションが制作し、1979年10月〜1984年10月にかけてテレビ朝日系列の毎週日曜20:00台に放送されて多大な話題を呼んだ(らしい)刑事ドラマである。PART-I(126話+特番1話)・PART-II(40話)・PART-III(68話+特番3話)から成っていた。これだけ続いたからには、高視聴率を誇ったのだろう。
ドラマでは、城南地区の治安を守る西部署の捜査課、中でも大門部長刑事が率いる大門軍団を中心に、様々な事件に関する話が展開していく。毎回、派手な銃撃戦・追走などを見せる一方で、人情も忘れずに織り込んだ内容となっていた。(刑事ドラマに)様々な特殊車輛を登場させたのも、西部警察の出色だった。
また、人気が高まるにつれ彼らの舞台も拡がり、北は北海道から南は鹿児島までと正に全国規模だった。これだけ撮影場所が展開した刑事ドラマも珍しいのではないだろうか。
このように好評を博した西部警察は1984年10月22日に放映された特番の「大門死す!男たちよ永遠に…」で最後を迎えたが、その後も1987年月〜1988年月(石原 裕次郎 追悼?)、1999年1月〜(石原 裕次郎 13回忌記念)に再放送されている。
また、この西部警察には公認のファンクラブが在ったと聞く。これも刑事ドラマでは珍しいのではないだろうか。
西部警察は、PART-IとPART-II・IIIに大別される。出演者や使用される音楽、オープニングやエンディングからしても妥当だと思う。



西部警察と私

西部警察の放送が開始された当時 私は5歳で、これは見てないのも無理は無い。終了した頃は小学4年生だったが、我が家では ろくにテレビを見せてもらえなかった事も有って、この番組は全く見た事が無かった。ただ、名前は知っていた(そう言えば、従兄弟が西部警察仕様SAFARIのラジコンを持っていたなぁ)。
私が初めて西部警察を見たのは前回の再放送(昭和の終わり頃)だった。或る日の夕方、偶々チャンネルをテレビ朝日にしていたら、番組紹介の番組が終わった時に突然、ゆっくりとパトカーがパトカーに乗り上げる場面(PART-IIのオープニング、I 65話の場面)が出て来た。何より画質が古めかしかったので、小学校の時に体育館で見せられた交通安全のフィルムを思い出させた(笑)。その間は無音だったので「何だ何だぁ?」と思っていた次の瞬間に「西部警察 PART-II」と書かれた でっかい黒縁の赤い文字と「ジャーン、チャーチャーチャー…」の音楽(ワンダフル・ガイズ)が出て来たもんだから、一気に惹き寄せられてしまった(笑)。その時以来 西部警察の魅力に惹かれ、IIIの最終(68)話まで熱心に見たのだった。この時は 特番で大門が殉職したなどとは微塵も知らず、西部警察はハッピーエンドを迎えたのだとばかり思っていた。
因みに番組中で一番古い記憶は、洗脳された北条が捜査課で拳銃をぶっ放す場面である(IIの4話)。
当時も、有名な「太陽に吠えろ!」を始めとする数々の刑事ドラマが在ったはずだが、何故その中で西部警察に惹かれたかを考えると、車好きの私の場合は登場する特殊車輌の存在が最も大きな理由だったと思う。刑事ドラマで、あれだけ車に凝ったのは西部警察だけではないだろうか?加えて、毎回の派手なアクションが それを後押しする形になった。「あんなの有るわけねぇじゃん」という声も有ろうが、あれだけ無茶苦茶に非現実的だからこそ、逆にそのアクション(設定もね)自体を楽しめたのだ。そもそも、第1話に いきなり装甲車が出て来て都心で暴れ回る点が西部警察の本質を表していると言えよう。
そして11年後、再び西部警察を見る機会に恵まれた。前回の時はビデオテープを何本も買う余裕も無く(しかも今にして思えばβだったし(爆))、ひたすら重ね録りを繰り返していたが、今回はビデオテープを買う位の余裕は有るので、放送される全話を保存しようと思っている。
そして、この名作の軌跡を残すべく当ページを設立した。一時期の再燃に終わらず、再放送終了後も掲載しておきたい。まだ不十分・不正確な点が多いが、放映に伴って補足と修正を加えていきたい。なお、当ページでは便宜上、1979年10月〜1982年4月の「西部警察」を「西部警察PART-I」と呼ぶ。
西部警察報告書

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