平成 8年 1月 初土俵
安宮川 寛
あみのかわ ひろし
( 1)大坪 寛
( 2)愛知県
( 3)安治川[ 4]
( 4)安男ノ敏→安宮川
( 5)序二段14
( 6)昭和52年 5月13日
( 7)平成16年 5月
( 8)127勝139敗42休
(10)170cm 84kg
(12)愛工大名電高校では相撲部に所属して相撲を始め、昔から力士を志していて両親も相撲好きだったので入門した。
倉重 公一
くらしげ きみかず
( 1)倉重 公一
( 2)山口県
( 3)九重[13]
( 5)序二段73
( 6)昭和55年 1月19日
( 7)平成11年 5月
( 8)61勝72敗7休
(10)172cm 93kg
鳥海浪 英俊
ちょうかいなみ ひでとし
( 1)土井 英俊
( 2)山形県
( 3)立浪[ 6- 7]
( 4)土井錦→鳥海浪
( 5)序二段42
( 6)昭和53年 9月17日
( 7)平成12年 5月
( 8)80勝95敗7休
(10)174cm 107kg
聡ノ富士 久志
さとのふじ ひさし
( 1)松岡 久志
( 2)群馬県
( 3)安治川[ 4]→伊勢ヶ濱[ 9]
( 4)安聡富士→聡ノ富士
( 5)幕下55
( 6)昭和52年 4月15日
( 8)248勝251敗12休
(10)171cm 108kg
(12)前橋商業高校では柔道部に所属して初段の腕前で袖釣り込み腰を得意とした。就職も考えたが安治川部屋の群馬後援会会長に勧められ、自分の力を試そうと考えて入門を決意した。
安暉港 亮
あきみなと りょう
( 1)高橋 亮
( 2)宮城県
( 3)安治川[ 4]
( 5)序二段65
( 6)昭和52年 6月 3日
( 7)平成11年 7月
( 8)62勝71敗14休
(10)180cm 111kg
(12)気仙沼向洋高校では相撲部に所属し、相撲部の先生に勧められて入門した。
安暉港の名は「気仙沼港を照らすように」との願いを込めて安治川が命名した。
濱魁龍 資文
はまかいりゅう もとふみ
( 1)濱田 資文
( 2)福岡県
( 3)間垣[18]
( 4)濱田→若濱田→濱魁龍
( 5)幕下59
( 6)昭和52年 7月16日
( 7)平成15年 9月
( 8)149勝134敗32休
(10)172cm 110kg
(12)小学校で柔道を始め、福岡大学附属大濠高校では全国大会で活躍した。中学校 2年生の全国中学校相撲選手権大会で間垣部屋を宿舎にした。高校の推薦入学が決まった 3日後に、当時を覚えていた若ノ城から聞いた間垣に勧誘され、高校を卒業したら間垣部屋に入門する約束をした。
濱魁龍の名は心機一転を期して自分で命名した。
邨中 一馬
むらなか かずま
( 1)邨中 一馬
( 2)兵庫県
( 3)三保ヶ関[10]
( 4)邨中→増乃力→邨中
( 5)三段目 8
( 6)昭和53年 3月16日
( 7)平成16年 1月
( 8)133勝124敗58休
(10)177cm 104kg
(12)香住高校で株健道場に通って相撲を始め、
増乃力の名は三保ヶ関が命名した。
柳 譲治
やなぎ じょうじ
( 1)柳 譲治
( 2)神奈川県
( 3)武蔵川[14]
( 5)幕下14
( 6)昭和48年12月23日
( 7)平成17年 5月
( 8)201勝182敗9休
( 9)突き、押し
(10)178cm 186kg
(12)竜南中学校では相撲の鹿児島県大会で優勝して全国中学校相撲選手権大会に出場し、鹿児島商工高校でも全国大会で活躍した。専修大学に進学して相撲部に所属し、全国大会で活躍した。
平成 8年 3月 初土俵
翼司 一
よくつかさ はじめ
( 1)鈴木 翼
( 2)埼玉県(出生地は東京都)
( 3)入間川[16]
( 5)幕下29
( 6)昭和55年 9月28日
( 7)平成15年 1月
( 8)145勝135敗7休
( 9)左四つ、寄り
(10)179cm 134kg
(12)児玉小学校では野球やサッカーを経験したが、体格の大きさを見込まれて 5年生の時に わんぱく相撲の本庄市大会で優勝した。浦和市の相撲道場に通い始め、本庄西中学校では柔道部に所属して初段の腕前だったが、与野市に入間川部屋が設立されたのを機に、 2年生から毎週末、部屋へ稽古に通って夏休みと冬休みには泊まり込んだ。
都天山 賢一
みやこてんざん けんいち
( 1)坂元 賢一
( 2)宮崎県
( 3)二十山[13]
( 5)序二段124
( 6)昭和54年 6月17日
( 7)平成11年 1月
( 8)45勝60敗14休
(10)174cm 124kg
男佑 健太郎
だんゆう けんたろう
( 1)濱崎 健太郎
( 2)宮崎県
( 3)二十山[13]→北の湖
( 4)濱崎→浜天山→男佑
( 5)幕下59
( 6)昭和56年 2月11日
( 8)253勝251敗
(10)184cm 131kg
(12)幼稚園と小学校で水泳を、小学校でサッカーを経験し、中学校で相撲を始めた。
男佑の名は「人の右に出る男になれ」との願いを込めて二十山が命名した。
大天佑 智秋
だいてんゆう ともあき
( 1)山田 智秋
( 2)大阪府
( 3)二十山[13]→北の湖
( 4)山田→玉天山→大天龍→大天佑
( 5)序二段 6
( 6)昭和55年 5月16日
( 8)199勝227敗44休
(10)182cm 94kg
(12)東大阪市の入浴施設「金殿ドーム」の経営者に紹介されて入門した。
大天龍の名は前名の玉天山が片男波部屋の力士と間違われ易かったので、二十山が命名した。
須川 仁晴
すがわ きみはる
( 1)須川 仁晴
( 2)愛知県
( 3)入間川[16]
( 5)序ノ口54
( 6)昭和56年 2月 3日
( 7)平成 8年 7月
( 8)7休
(10)180cm 116kg
都築 篤志
つづき あつし
( 1)都築 篤志
( 2)東京都
( 3)入間川[16]
( 5)序ノ口57
( 6)昭和56年 3月14日
( 7)平成 8年 9月
( 8)1敗13休
(10)174cm 112kg
荒忍 由希洋
あらしのぶ ゆきひろ
( 1)千葉→川崎 由希洋
( 2)東京都
( 3)荒磯[12]
( 4)北光→荒忍
( 5)三段目43
( 6)昭和55年11月 1日
( 7)平成12年 5月
( 8)91勝84敗
( 9)左四つ、寄り
(10)177cm 112kg
大勝山 上慈
だいしょうざん じょうじ
( 1)中山 智文
( 2)福岡県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 5)三段目69
( 6)昭和55年 6月 7日
( 7)平成11年11月
( 8)73勝67敗14休
(10)180cm 123kg
(12)趣味は釣り。
潮光山 重春
ちょうこうざん しげはる
( 1)上柳 重春
( 2)福岡県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)潮光山(しおこうざん)→潮光山(ちょうこうざん)
( 5)幕下17
( 6)昭和55年10月23日
( 8)260勝243敗1休
( 9)押し
(10)175cm 116kg
(12)式守(秀五郎)部屋の後援会会員に勧誘されて入門した。
大駿河 楓
だいするが かえで
( 1)堀田 公司
( 2)静岡県
( 3)朝日山[17-18]
( 4)堀田→沼津富士→大駿河
( 5)序二段113
( 6)昭和55年 8月 1日
( 7)平成11年 5月
( 8)49勝74敗10休
(10)173cm 85kg
(12)格闘技が好きで、勝負が明確な相撲を選んで入門を決意した。
豪毅 穂高
ごうき ほだか
( 1)石田 穂高
( 2)三重県
( 3)尾車[ 8]
( 4)石田→穂高→豪毅
( 5)三段目15
( 6)昭和55年 4月 3日
( 8)250勝246敗8休
( 9)突き、押し
(10)178cm 162kg
(12)赤尾錬成道場に通って相撲を習い、明正中学校では相撲部に所属し、全国都道府県中学生相撲選手権大会にも出場した。 1年生の時から夏休みや冬休みに入ると中学校の先輩である大海風や桑海風を頼って尾車部屋に来ていた。
趣味はラジコン。
嶋瀬川 大輔
しませがわ だいすけ
( 1)酒匂 慎也
( 2)鹿児島県
( 3)木村(瀬平)[10]→桐山[20]
( 4)酒匂→木瀬の嶋→嶋瀬川
( 5)三段目45
( 6)昭和55年 4月20日
( 8)243勝255敗6休
(10)178cm 148kg
竹天山 徹
ちくてんざん とおる
( 1)竹内 徹
( 2)北海道
( 3)二十山[13]
( 4)竹内→竹天山
( 5)序ノ口12
( 6)昭和55年 9月12日
( 7)平成 8年 7月
( 8)4勝3敗7休
(10)173cm 110kg
(12)平成14年 7月17日の未明に仲間 2人と共に札幌市の家電量販店にドアを鶴嘴で壊して侵入し、FAX 2台を盗んだ。 8月29日に竹内容疑者を窃盗罪の容疑で逮捕された。他にも札幌市内の家電量販店を中心に十数件の窃盗を繰り返し、盗品は質店に入れ換金していた。
大谷川 良太
おおやがわ りょうた
( 1)谷川 良太
( 2)神奈川県
( 3)九重[13]
( 5)序ノ口35
( 6)昭和55年 4月15日
( 7)平成 8年 5月
( 8)7休
(10)180cm 82kg
玉乃鷹 崇弘
たまのたか たかひろ
( 1)山本 貴洋
( 2)高知県
( 3)片男波[12]
( 4)山本→玉ノ貴→玉乃鷹
( 5)三段目 2
( 6)昭和55年10月11日
( 8)248勝248敗8休
( 9)吊り
(10)192cm 139kg
(12)幕下 松葉川の孫、玉皇の兄。
中学校 2年生の時に片男波から勧誘されて入門した。
茶ノ花 大輔
ちゃのはな だいすけ
( 1)茶園 大輔
( 2)福岡県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)茶の花→茶ノ花
( 5)序二段114
( 6)昭和55年11月12日
( 7)平成 9年 9月
( 8)21勝23敗19休
(10)174cm 73kg
(12)式ノ花の弟。
引退後は鳶に転向した。
鷲の海 直樹
わしのうみ なおき
( 1)江本 直樹
( 2)群馬県
( 3)出羽海[10]
( 5)三段目86
( 6)昭和55年 7月12日
( 7)平成12年 9月
( 8)90勝86敗13休
(10)184cm 90kg
出羽の岩 典秀
でわのいわ のりひで
( 1)石川 典秀
( 2)群馬県
( 3)出羽海[10]
( 5)序二段78
( 6)昭和55年 5月27日
( 7)平成11年 5月
( 8)54勝70敗9休
(10)175cm 108kg
邦湊 拓真
くにみなと たくま
( 1)長瀬 拓真
( 2)新潟県
( 3)[22]
( 5)序二段135
( 6)昭和52年10月12日
( 7)平成 9年 1月
( 8)12勝10敗13休
(10)182cm 122kg
鷹湊 拓也
たかみなと たくや
( 1)秋山 拓也
( 2)群馬県
( 3)[22]
( 5)三段目72
( 6)昭和55年 6月 2日
( 7)平成10年11月
( 8)49勝35敗28休
(10)182cm 120kg
雪湊 浩正
ゆきみなと ひろまさ
( 1)山下 浩正
( 2)群馬県
( 3)[22]
( 5)序ノ口22
( 6)昭和55年 8月 4日
( 7)平成 9年 3月
( 8)9勝12敗7休
(10)183cm 121kg
湊龍 竜一
みなとりゅう りゅういち
( 1)竹澤 竜一
( 2)愛知県
( 3)[22]
( 5)序ノ口 8
( 6)昭和55年 9月24日
( 7)平成 9年 7月
( 8)10勝18敗14休
(10)186cm 108kg
柴崎 真也
しばざき しんや
( 1)柴崎 真也
( 2)埼玉県
( 3)鳴戸[13]
( 5)序二段11
( 6)昭和55年 2月11日
( 7)平成14年 1月
( 8)107勝124敗14休
(10)175cm 90kg
山頭 巌
やまがしら いわお
( 1)山頭 巌
( 2)長崎県
( 3)鳴戸[13]
( 5)三段目65
( 6)昭和56年 2月25日
( 7)平成20年 3月
( 8)238勝252敗14休
(10)182cm 98kg
(12)中部中学校では柔道を経験し、払い腰を得意として初段の腕前だった。平戸市大会で鳴戸の知人である整骨医に見出された。 3年生の11月に鳴戸を紹介された時には「考えさせてくれ」と返事を保留したが、父に相談すると「自分で考えなさい」と言われたので入門を決意した。
畑 知英
はた ともひで
( 1)畑 知英
( 2)広島県
( 3)武蔵川[14]
( 5)序二段59
( 6)昭和55年 3月11日
( 7)平成13年 1月
( 8)80勝98敗25休
(10)173cm 96kg
和歌武蔵 和樹
わかむさし かずき
( 1)野尻 和樹
( 2)和歌山県
( 3)武蔵川[14]
( 4)野尻→和歌武蔵
( 5)序二段86
( 6)昭和55年10月25日
( 7)平成 9年11月
( 8)30勝33敗7休
(10)179cm 113kg
(12)王寺小学校 4年生で同級生が新宮高校へ稽古しに行くのに同行して習い始めた。城南中学校 2年生の12月に武蔵川と会って勧誘されたが、 1学年下の下級生に勝てなかったので、全国大会で成績を残したら考えると言って断った。和歌乃山の中学校時代の先生が再び話を持って来て入門した。
地車 智成
じぐるま ともなり
( 1)室 智成
( 2)大阪府
( 3)武蔵川[14]
( 4)室→地車
( 5)三段目59
( 6)昭和55年 4月 5日
( 8)223勝235敗39休
( 9)左四つ、下手投げ
(10)181cm 117kg
(12)小学校と久米田中学校では柔道を経験して初段の腕前だった。
地車の名は郷里の地車祭に因んで父が命名した。
初っ切りを務めた。
及川 正行
おいかわ まさゆき
( 1)及川 正行
( 2)岩手県
( 3)玉ノ井[13]
( 5)序ノ口22
( 6)昭和55年 4月28日
( 7)平成 8年 7月
( 8)7休
(10)177cm 114kg
(12)水沢市立東水沢中学校では柔道を経験し、地区大会で活躍した。相撲でも小学生で東北大会に出場し、観戦した玉ノ井に声を掛けられたのを契機に、中学生の夏休みには毎年玉ノ井部屋で稽古に行き、入門した。
東輝龍 勇司
とうきりゅう ゆうじ
( 1)加地 勇二郎
( 2)愛知県
( 3)玉ノ井[13]
( 4)加地→東輝隆→東輝龍
( 5)幕下32
( 6)昭和55年10月27日
( 8)239勝227敗38休
(10)187cm 170kg
(12)伯父が相撲料理店「ちゃんこ栃光」を経営する縁で玉ノ井部屋の催事に行き始め、楠中学校 3年生の夏に福島県での合宿に参加した。中学校では町の道場で柔道を経験した。
桜竜 政也
おうりゅう まさや
( 1)櫻井 竜也
( 2)千葉県
( 3)桐山[20]
( 5)序二段65
( 6)昭和55年 4月 2日
( 7)平成11年 1月
( 8)56勝56敗7休
(10)174cm 104kg
力瀬川 勝利
りきせがわ しょうり
( 1)谷 勝利
( 2)千葉県
( 3)桐山[20]
( 5)序二段109
( 6)昭和55年12月16日
( 7)平成11年 1月
( 8)39勝52敗14休
(10)175cm 142kg
北司 良孝
きたつかさ よしたか
( 1)嘉村 司
( 2)山口県
( 3)北の湖
( 4)嘉村→北司
( 5)序二段183
( 6)昭和55年 4月24日
( 7)平成 8年 9月
( 8)5勝2敗14休
(10)175cm 77kg
陣の湖 真宏
じんのうみ まさひろ
( 1)吉田 真宏
( 2)兵庫県
( 3)北の湖
( 4)吉田→蒼の湖→陣の湖
( 5)序二段 1
( 6)昭和55年10月 8日
( 7)平成13年 5月
( 8)94勝102敗21休
(10)179cm 124kg
(12)蒼の湖と陣の湖の名は、部屋の行司 木村 歳之助を通じて行司 木村 城之介に考えてもらった 4つの候補から選んだ。最初は蒼の湖を選んだが 2勝しか挙げられなかったので陣の湖に改名した。
松風 賢治
まつかぜ けんじ
( 1)松本 賢治
( 2)福岡県
( 3)北の湖
( 5)序二段 8
( 6)昭和55年10月 9日
( 7)平成10年 5月
( 8)39勝29敗23休
(10)185cm 99kg
笠洋 正好
りゅうよう まさよし
( 1)加藤 正好
( 2)静岡県
( 3)北の湖
( 4)加藤→笠洋
( 5)幕下13
( 6)昭和56年 1月31日
( 8)256勝234敗14休
( 9)突っ張り、左四つ、上手投げ
(10)189cm 142kg
(12)横須賀小学校の時に、ゲームを買いに行くとの名目で相撲大会に連れて行かれ、無理矢理に出場させられた。相撲の静岡県大会で優勝して全国大会に出場したが、以後は相撲と縁が無かった。中学校は野球を経験し一塁手を務めた。 3年生で入門の話が既に決まったのを聞いて、仕方無く入門した。
藤ノ嶋 勝史
ふじのしま かつし
( 1)藤嶋 勝史
( 2)秋田県(出生地は東京都)
( 3)伊勢ヶ濱[ 7]
( 5)序二段 3
( 6)昭和55年12月25日
( 7)平成15年 9月
( 8)136勝151敗21休
(10)184cm 126kg
(12)小学校 1年生で相撲を始め、朝霞第四中学校では全国大会で活躍した。伊勢ヶ濱部屋の後援会会長が朝霞の人で小学校 6年生の時に伊勢ヶ濱部屋の千秋楽打ち上げに参加したのが縁で入門が決まった。
「太く伸びるように」との願いを込めて下の名を伸太に変えた。
高齋藤 忠則
たかさいとう ただのり
( 1)齋藤 忠則
( 2)埼玉県
( 3)高砂[ 6]
( 4)齋藤→高齋藤
( 5)序二段106
( 6)昭和55年 8月 5日
( 7)平成 9年 9月
( 8)24勝31敗8休
(10)174cm 114kg
魁山本 幸司
かいやまもと こうじ
( 1)山本 幸司
( 2)高知県
( 3)友綱[10]
( 5)序二段193
( 6)昭和56年 2月24日
( 7)平成 8年 9月
( 8)7勝7敗7休
(10)173cm 118kg
魁清水 俊
かいしみず しゅん
( 1)清水 俊
( 2)宮城県
( 3)友綱[10]
( 5)序二段45
( 6)昭和55年 7月10日
( 7)平成15年 3月
( 8)115勝158敗21休
(10)179cm 96kg
魁田中 潤
かいたなか じゅん
( 1)田中 潤
( 2)大阪府
( 3)友綱[10]
( 5)序二段42
( 6)昭和55年 4月28日
( 7)平成16年 5月
( 8)130勝206敗7休
(10)177cm 97kg
比嘉 善勝
ひが よしかつ
( 1)比嘉 善勝
( 2)沖縄県
( 3)二子山[11]
( 5)序二段34
( 6)昭和52年12月13日
( 7)平成11年 7月
( 8)63勝56敗14休
(10)179cm 125kg
(12)沖縄県立中部農林高校ではウェイトリフティング部に所属し、全国大会で活躍した。
森江 圭介
もりえ けいすけ
( 1)森江 圭介
( 2)香川県
( 3)二子山[11]
( 5)序ノ口54
( 6)昭和55年 4月28日
( 7)平成 8年 7月
( 8)1勝6敗7休
(10)177cm 93kg
関ノ山 稔
せきのやま みのる
( 1)川原 稔
( 2)山口県
( 3)二子山[11]→貴乃花
( 4)川原→関ノ山
( 5)序二段 9
( 6)昭和55年 9月13日
( 7)平成18年 5月
( 8)176勝244敗7休
(10)177cm 95kg
(12)関ノ山の名は出身地の下関市に因んで自分で命名した。
貴周防 信啓
たかすおう のぶひろ
( 1)高橋 信啓
( 2)山口県
( 3)二子山[11]
( 4)高橋→貴周防
( 5)序ノ口64
( 6)昭和55年10月22日
( 7)平成 8年 9月
( 8)7休
(10)176cm 110kg
箕應山 朋恭
きおうざん ともゆき
( 1)築田 朋恭
( 2)大阪府
( 3)押尾川[17]→尾車[ 8]
( 4)築田→箕應山
( 5)幕下27
( 6)昭和55年 4月17日
( 8)254勝231敗19休
( 9)突き、押し
(10)182cm 140kg
(12)箕面市立南小学校では野球を、中学校ではバスケットボールを経験し、母に連れられていった温泉で押尾川部屋に出入りする高槻の市議会議員に声を掛けられ、部屋へ見学に行き始めた。最初は相撲に興味が無かったので気が進まなかったが、 2年生の時にテレビで見た若乃花貴乃花の活躍に憧れ、入門を決意した。母には反対されたが、押し切って入門した。
箕應山の名は箕面市と牧落八幡宮で祀る應神天皇に因んで、牧落八幡宮の宮司が命名した。
松本山 響
まつもとやま ひびき
( 1)松本 響
( 2)東京都
( 3)押尾川[17]
( 5)序二段78
( 6)昭和55年 7月15日
( 7)平成 9年 1月
( 8)17勝11敗7休
(10)179cm 111kg
(12)葛飾白鳥相撲教室と佐久間相撲教室に通って相撲を習い、全国大会で活躍した。中学校では相撲部が無かったが、校長に実力を認められて相撲部を創設してもらった。
鏡竜 康夫
かがみりゅう やすお
( 1)中嶋 康夫
( 2)埼玉県
( 3)鏡山[ 7- 8]
( 4)中嶋→康昇龍→鏡竜
( 5)三段目99
( 6)昭和55年 6月 6日
( 7)平成20年 5月
( 8)235勝260敗16休
(10)173cm 111kg
(12)康昇龍の名は、本名の下の名と龍が昇る連想に因んで両親が命名した。
藤巻龍 良介
ふじまきりゅう りょうすけ
( 1)山内 良介
( 2)東京都
( 3)鏡山[ 7- 8]
( 4)山内→藤巻龍
( 5)序ノ口 5
( 6)昭和55年 7月11日
( 7)平成 9年 9月
( 8)20勝36敗7休
(10)179cm 123kg
安磨ノ藤 聡
あまのふじ さとし
( 1)藤川 聡
( 2)兵庫県
( 3)安治川[ 4]
( 4)藤川→安磨ノ藤
( 5)序二段26
( 6)昭和55年 8月14日
( 7)平成12年 5月
( 8)75勝93敗7休
(10)175cm 111kg
(12)安磨ノ藤の名は郷里の兵庫県の旧名である播磨と本名の姓に因んで安治川が命名した。
朝天寿 佳大
あさてんじゅ よしひろ
( 1)藤墳 佳大
( 2)岐阜県
( 3)若松[11]
( 4)朝藤墳→朝天寿
( 5)序二段137
( 6)昭和52年 8月 1日
( 7)平成12年 3月
( 8)59勝92敗18休
( 9)食い下がり
(10)174cm 72kg
朝菅原 敏博
あさすがはら としひろ
( 1)菅原 敏博
( 2)愛媛県
( 3)若松[11]
( 5)序二段155
( 6)昭和55年 7月25日
( 7)平成10年 1月
( 8)25勝31敗14休
(10)177cm 94kg
朝天山 俊治
あさてんざん としはる
( 1)辻野 俊治
( 2)福岡県
( 3)若松[11]
( 4)朝辻野→朝天山
( 5)序二段 3
( 6)昭和55年10月17日
( 7)平成13年11月
( 8)93勝98敗26休
( 9)押し
(10)183cm 144kg
朝闘士 正一
あさとうし しょういち
( 1)小畑→祖父江 正一
( 2)神奈川県
( 3)若松[11]→高砂[ 7]
( 4)朝小畑→朝迅風→朝闘士
( 5)幕下39
( 6)昭和56年 1月16日
( 7)平成17年 1月
( 8)192勝177敗2休
( 9)押し
(10)176cm 143kg
(12)富士見小学校 4年生で警察の道場に通って柔道を始め、中学校 3年生の時に平塚市大会で優勝した。観ていた若松部屋の関係者に近くの夏合宿に誘われたので柔道の先生と一緒に見に行くと、若松を紹介された。入門する気は無く家族も反対したが、若松の「頑張ればそれなりのものが返って来る世界」という話を聞いている内に面白いと思って入門を決意し、決まっていた相洋高校への進学を辞退して入門した。
引退後は一宮市の介護施設「ヴィヴァハウス」に勤務した。
大輝龍 秀輝
だいきりゅう ひでき
( 1)木村 秀輝
( 2)神奈川県
( 3)中村[10]
( 5)序ノ口 8
( 6)昭和55年11月 5日
( 7)平成 9年 3月
( 8)5勝9敗7休
(10)179cm 88kg
(12)大信龍の兄(双子)。
中学生の時は道場に通って柔道を経験して初段の腕前だった。中学校では相撲部に所属し、入門を決意した。
大信龍 秀信
だいしんりゅう ひでのぶ
( 1)木村 秀信
( 2)神奈川県
( 3)中村[10]
( 5)序二段126
( 6)昭和55年11月 5日
( 7)平成 8年11月
( 8)8勝6敗14休
(10)178cm 101kg
(12)大輝龍の弟(双子)。
中学生の時は道場に通って柔道を経験して初段の腕前だった。相撲の経験は無かったが、の入門に刺激を受けて入門を決意した。
碧山 茂信
あおいやま しげのぶ
( 1)中村 茂信
( 2)愛知県
( 3)中村[10]
( 4)大中村→碧山
( 5)序二段 5
( 6)昭和55年 4月24日
( 7)平成18年 7月
( 8)180勝208敗33休
(10)181cm 148kg
(12)本名の姓が中村で出身地は名古屋市中村区、中村部屋に入門し、 7月場所の宿舎所在地も出身地と同じ名古屋市中村区、と「中村」に縁が有った。
大田中 賢二
おおたなか けんじ
( 1)田中 賢二
( 2)鳥取県
( 3)中村[10]
( 5)序ノ口13
( 6)昭和55年 7月20日
( 7)平成 8年11月
( 8)7勝7敗7休
(10)175cm 76kg
富士ノ響 司
ふじのひびき つかさ
( 1)今西 司
( 2)山口県
( 3)中村[10]
( 4)今西→富士ノ響
( 5)序二段 4
( 6)昭和55年 9月 5日
( 7)平成14年 1月
( 8)110勝120敗15休
(10)177cm 100kg
北勝司 尚幸
ほくとつかさ なおゆき
( 1)栗山 尚幸
( 2)北海道
( 3)八角[ 8]
( 4)栗山→北勝司
( 5)序二段57
( 6)昭和55年 5月27日
( 7)平成18年 1月
( 8)168勝218敗13休
(10)173cm 121kg
(12)引退後は郷里で家業の漁業に従事した。
北勝城 勲
ほくとじょう つとむ
( 1)山口 勲
( 2)大阪府
( 3)八角[ 8]
( 4)北山口→北勝城
( 5)幕下 4
( 6)昭和55年10月22日
( 7)平成20年 1月
( 8)245勝205敗40休
( 9)左四つ、寄り
(10)190cm 157kg
(12)雷光の弟。
小学生の時に相撲を始め、全国大会で活躍した。
北勝剛 和也
ほくとごう かずや
( 1)矢幡 和也
( 2)茨城県
( 3)八角[ 8]
( 4)矢幡→北勝剛
( 5)幕下54
( 6)昭和56年 1月16日
( 8)247勝254敗3休
(10)183cm 183kg
(12)大工の長男で、鹿島中学校では柔道を経験し、払い腰を得意とした。 2年生の夏に八角の知人に見出され、訪ねて来た八角に勧誘されて入門した。
北勝泉 直樹
ほくといずみ なおき
( 1)福山 直樹
( 2)大阪府
( 3)八角[ 8]
( 4)福山→北勝泉
( 5)三段目85
( 6)昭和56年 3月 3日
( 7)平成12年 9月
( 8)88勝82敗19休
(10)193cm 126kg
旭熊天 龍也
きょくゆうてん たつや
( 1)上村 龍也
( 2)熊本県
( 3)大島[ 2]
( 4)上村→旭熊天
( 5)序二段81
( 6)昭和55年 5月21日
( 7)平成10年 1月
( 8)29勝30敗18休
(10)176cm 116kg
(12)旭豪丸の弟。
旭宝 祐紀
きょくほう ゆうき
( 1)本田 祐紀
( 2)福岡県
( 3)大島[ 2]
( 4)本田→旭宝
( 5)序ノ口39
( 6)昭和54年 4月14日
( 7)平成 8年 9月
( 8)1勝5敗8休
(10)174cm 97kg
旭竜神 孝
きょくりゅうじん たかし
( 1)石橋→北村 孝
( 2)福岡県
( 3)大島[ 2]
( 4)石橋→旭竜神
( 5)序ノ口26
( 6)昭和55年12月20日
( 7)平成 8年 9月
( 8)2勝5敗7休
(10)180cm 115kg
(12)三池山の異父兄。
稽古の辛さの余り、稽古場のカーテンに放火し、天井に燃え移る前に兄弟子達が気付いて消し止めたが、部屋に居られなくなって脱走して廃業した。廃業後は郷里に戻って建設業に従事したが、暴走族を率い、暫くしてから帰郷して跡を継いだ異父弟と共に、何度も暴力事件を起こした。平成12年 6月には母の会社に住み込みで働いていた後輩の作業員を、友人 6人と木刀で殴って死なせる傷害致死事件を起こし、懲役 3年 6ヶ月の実刑判決を受けて16年の春まで服役した。更に 9月25日には友人一家 4人に関する死体遺棄罪の容疑で一家揃って逮捕された。11月には福岡地方検察庁久留米支部の同行室で警察署員の隙を衝き、警察署員 3人を同行室に閉じこめて逃走したが、再び拘束された。
久保島 紘司
くぼしま こうじ
( 1)久保島 紘司
( 2)北海道
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)久保島→北の剛→久保島
( 5)三段目46
( 6)昭和55年10月 9日
( 7)平成20年 5月
( 8)246勝263敗2休
(10)175cm 120kg
(12)相撲好きが高じて入門した。
北の剛の名は、出身地の北海道と部屋が輩出した柏戸 剛の様な相撲を取れとの願いを込めて伊勢ノ海が命名した。
大人しい性格。
琴野本 大輔
ことのもと だいすけ
( 1)野本 大輔
( 2)愛知県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段165
( 6)昭和55年11月11日
( 7)平成 9年11月
( 8)22勝34敗14休
(10)172cm 79kg
琴ノ島 渉二
ことのしま しょうじ
( 1)中島 渉
( 2)福岡県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 4)琴中島→琴ノ島
( 5)序二段30
( 6)昭和55年 5月19日
( 7)平成14年 5月
( 8)110勝123敗26休
(10)179cm 144kg
琴古内 秀明
ことふるうち ひであき
( 1)古内 秀明
( 2)千葉県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序ノ口51
( 6)昭和56年 1月 1日
( 7)平成 8年 9月
( 8)1敗13休
(10)175cm 103kg
琴永田 一歩
ことながた いちふ
( 1)永田 一歩
( 2)福岡県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段77
( 6)昭和56年 1月15日
( 7)平成12年 1月
( 8)66勝81敗14休
(10)182cm 115kg
琴小山 智
ことおやま さとし
( 1)小山 智
( 2)宮城県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序ノ口64
( 6)昭和55年 6月28日
( 7)平成 8年 7月
( 8)3敗11休
(10)173cm 95kg
琴坂本 真也
ことさかもと しんや
( 1)坂本 真也
( 2)熊本県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序ノ口67
( 6)昭和56年 1月13日
( 7)平成 8年 5月
( 8)7休
(10)173cm 111kg
琴平山 賢太郎
ことひらやま けんたろう
( 1)平山 賢太郎
( 2)長崎県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段36
( 6)昭和55年11月 8日
( 7)平成13年 3月
( 8)89勝110敗12休
(10)183cm 81kg
琴高橋 智仁
ことたかはし ともひと
( 1)高橋 智仁
( 2)山形県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段33
( 6)昭和56年 2月 8日
( 7)平成11年 3月
( 8)49勝48敗22休
(10)190cm 139kg
琴田頭 修一
ことたどう しゅういち
( 1)田頭 修一
( 2)熊本県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段90
( 6)昭和55年11月26日
( 7)平成10年11月
( 8)48勝57敗7休
(10)182cm 113kg
土佐錦 透
とさにしき とおる
( 1)宇佐美 透
( 2)高知県
( 3)出羽海[10]
( 5)序ノ口13
( 6)昭和55年 8月31日
( 7)平成 9年 1月
( 8)6勝15敗7休
(10)173cm 100kg
佐田乃島 和穂
さだのしま かずほ
( 1)佐々野 和穂
( 2)長崎県
( 3)出羽海[10]→中立[12]→境川[13]
( 4)佐田の島→佐田乃島
( 5)幕下38
( 6)昭和55年10月10日
( 7)平成19年 9月
( 8)242勝212敗29休
( 9)寄り
(10)183cm 147kg
(12)佐田乃島の名は中立が命名した。
輝山 大峯
てるやま おおみね
( 1)中原 栄一
( 2)熊本県
( 3)春日野[10]
( 5)序二段117
( 6)昭和53年 3月23日
( 7)平成10年 9月
( 8)19勝12敗25休
(10)178cm 92kg
(12)輝山の長男。
春竹小学校ではミニサッカーを経験し、中学校では陸上部に所属した。芦北高校では自分で相撲部を創設して 1人で稽古に励み、 2年生の 2月に入門を決意した。
栃日高 秀二
とちひだか ひでじ
( 1)伊藤 秀二
( 2)北海道
( 3)春日野[10-11]
( 4)伊藤→栃日高
( 5)三段目27
( 6)昭和53年 3月26日
( 7)平成16年 7月
( 8)168勝130敗52休
( 9)左四つ、寄り、押し
(10)174cm 145kg
(12)函館水産高校では柔道部に所属し、日高大会で優勝した。相撲にも駆り出され、北海道大会で 3位に入賞して福島国民体育大会にも出場した。近くの競走馬牧場に勤務する竹縄の義兄に見出され、 3年生の夏に訪ねて来た竹縄に勧誘されて入門した。
栃龍山 武寛
とちりゅうざん たけひろ
( 1)横山 武寛
( 2)福岡県
( 3)春日野[10]
( 4)横山→栃龍山
( 5)序二段16
( 6)昭和55年 5月16日
( 7)平成14年11月
( 8)135勝135敗10休
(10)177cm 111kg
栃王 駿鋭
とちおう しゅんえい
( 1)窪田 清盛
( 2)山形県
( 3)春日野[10-11]
( 4)窪田→栃王→窪田→栃王
( 5)幕下28
( 6)昭和56年 2月18日
( 7)平成16年 9月
( 8)179勝149敗29休
( 9)突き、押し、右四つ、寄り
(10)185cm 180kg
(12)引退後は千賀ノ浦部屋のマネージャに転向した。
開進 和孝
かいしん かずたか
( 1)山口 和孝
( 2)千葉県
( 3)二所ノ関[10]
( 5)三段目 6
( 6)昭和53年 3月10日
( 7)平成16年 9月
( 8)181勝176敗
( 9)突き、押し
(10)178cm 104kg
(12)習志野高校では柔道を経験し、元 二所ノ関部屋の幕下 倉地に紹介されて入門した。肝機能の数値が高かったので、毎日 3kmの走行で体調を整えて新弟子検査に臨んだ。
素直で真面目な性格。
剛輝 巧矢
ごうき たくや
( 1)千葉 巧矢
( 2)東京都
( 3)二所ノ関[10]
( 5)幕下57
( 6)昭和55年 6月 5日
( 7)平成18年 9月
( 8)201勝177敗63休
(10)193cm 162kg
(12)町田高校への推薦入学に落選してしまい、世話をしてくれた大学の教授が湊川の知人だった縁で入門した。
羽黒國 雄太
はぐろくに ゆうた
( 1)田中 健太
( 2)東京都
( 3)立浪[ 6- 7]→武隈[12]
( 4)羽黒嶋→羽黒國
( 5)序二段34
( 6)昭和55年 5月 9日
( 7)平成16年 3月
( 8)139勝169敗14休
(10)182cm 163kg
(12)北の洋の孫、黒姫山の二男、羽黒洋の弟。
畠山 勝博
はたけやま かつひろ
( 1)畠山 勝博
( 2)北海道
( 3)間垣[18]
( 5)序二段180
( 6)昭和55年 7月 4日
( 7)平成 9年 1月
( 8)10勝11敗14休
(10)173cm 88kg
長谷川 幸博
はせがわ ゆきひろ
( 1)長谷川 幸博
( 2)千葉県
( 3)間垣[18]
( 5)序二段20
( 6)昭和56年 1月 7日
( 7)平成11年 9月
( 8)59勝43敗45休
( 9)両四つ、寄り
(10)182cm 137kg
(12)民宿の長男で、鴨川中学校 3年生の12月に親が入門させようとして間垣に連絡して入門が決まった。
平成11年 2月に辞めようと思って髷を切ったが、間垣五城楼が説得に来て、親も戻そうとしていたので観念して部屋に戻った。
吉川 直哉
よしかわ なおや
( 1)吉川 直哉
( 2)埼玉県
( 3)間垣[18]
( 5)序二段123
( 6)昭和55年 9月13日
( 7)平成10年 1月
( 8)26勝30敗14休
(10)172cm 112kg
(12)平成16年の夏から葛飾区や千葉県松戸市の周辺でバイクを用いて約50件の引ったくりを繰り返し、17年 1月27日までに逮捕、起訴された。
西ノ郷 裕樹
にしのごう ゆうき
( 1)佐藤 裕樹
( 2)福島県
( 3)大鵬
( 4)佐藤→大佐藤→西ノ郷
( 5)三段目75
( 6)昭和55年12月24日
( 7)平成13年11月
( 8)107勝117敗14休
(10)174cm 104kg
(12)中学校では野球部に所属して捕手を務めたが肘を負傷して断念した。プロスポーツ選手を志していて、時に駆り出される相撲大会で良い成績が残せていたので、入門した
西ノ郷の名は出身地の西郷村に因んだ。
鬪鵬 聡司
とうほう さとし
( 1)甘利 聡司
( 2)兵庫県
( 3)大鵬大嶽[16]
( 4)甘利→闘鵬→鬪鵬
( 5)三段目 8
( 6)昭和55年 8月27日
( 8)239勝216敗49休
( 9)右四つ、寄り
(10)183cm 121kg
(12)小学校 2年生で平成道場に通って相撲を始め、日新中学校では 2年生で全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場した。道場に出入りする元 花籠部屋の三段目 槍竜に紹介されて入門した。
濱田 剛
おおはまだ つよし
( 1)濱田 剛
( 2)山口県
( 3)大鵬
( 4)濱田→大濱
( 5)序二段138
( 6)昭和55年12月29日
( 7)平成 9年 9月
( 8)23勝26敗14休
(10)175cm 109kg
本園 正一
もとぞの しょういち
( 1)本園 正一
( 2)福岡県
( 3)時津風[14]
( 5)三段目98
( 6)昭和55年 4月30日
( 7)平成12年 3月
( 8)71勝75敗22休
(10)175cm 93kg
豊光 敏也
とよひかり としや
( 1)生越 敏也
( 2)大阪府
( 3)時津風[14-16]
( 4)生越→豊光
( 5)幕下40
( 6)昭和55年 9月29日
( 8)249勝248敗7休
( 9)左四つ、寄り
(10)179cm 121kg
(12)南千里中学校ではバスケットボールを経験し、 2年生の時に腰や手の親指の脱臼で山内接骨院に通ったが、接骨医が蒼樹山の入門を世話した人だった縁で紹介されて入門した。
平成19年 6月に時津風の指示で時太山に暴行を加えて死亡させたとされる件に関し、20年 2月29日に傷害致死罪の容疑で検察官に送致(書類のみ)された。協会からは 1場所の出場停止処分を受けた。
時ノ海 隆度
ときのうみ たかのり
( 1)野原 隆度
( 2)沖縄県
( 3)時津風[14-16]
( 4)野原→沖ノ海→時乃海→時ノ海
( 5)幕下48
( 6)昭和55年11月27日
( 7)平成20年 1月
( 8)230勝238敗29休
( 9)突き、押し、去なし
(10)176cm 99kg
平成19年 6月に時津風の指示で時太山に暴行を加えて死亡させたとされる件に関し、20年 2月29日に傷害致死罪の容疑で検察庁に送致(書類のみ)された。
竜昇山 紘彰
りゅうしょうやま ひろあき
( 1)大前 博章
( 2)兵庫県
( 3)三保ヶ関[10]
( 4)大前→竜昇山
( 5)幕下59
( 6)昭和55年12月22日
( 7)平成18年 3月
( 8)198勝214敗8休
( 9)左四つ、投げ
(10)173cm 87kg
(12)三段目 竜昇山の長男。
荒井中学校 1年生で柔道を始め、初段の腕前で兵庫県大会や近畿大会に出場した。中筋小学校の時から相撲が好きで力士を志したので、中学校を卒業して父と同じ三保ヶ関部屋に入門した。
趣味は音楽鑑賞と麻雀。
永留 景亮
ながとめ けいすけ
( 1)永留 景亮
( 2)鹿児島県
( 3)井筒[14]
( 5)序二段107
( 6)昭和55年 4月 9日
( 7)平成10年 3月
( 8)28勝28敗21休
(10)179cm 164kg
山竜 将太郎
やまりゅう しょうたろう
( 1)山本 竜太
( 2)東京都
( 3)立田川[14]→陸奥[ 9]
( 5)三段目35
( 6)昭和56年 3月15日
( 8)234勝250敗20休
( 9)右前褌、左四つ、寄り
(10)179cm 109kg
(12)江戸川区立西葛西小学校と西葛西中学校では柔道部に所属し、森田道場にも通った。内股を得意として初段の腕前で、母の友達の友達の友達が女将の姉だった縁で入門した。
大清水 保起與
おおしみず やすきよ
( 1)清水 保起與
( 2)大阪府
( 3)立田川[14]
( 5)序二段75
( 6)昭和55年 6月 2日
( 7)平成11年 1月
( 8)48勝58敗13休
(10)181cm 135kg
若山口 聡
わかやまぐち さとし
( 1)山口 聡
( 2)千葉県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)序ノ口 3
( 6)昭和55年 7月13日
( 7)平成 9年 3月
( 8)12勝23敗7休
(10)183cm 108kg
阿武山 純平
おうのやま じゅんぺい
( 1)津田 純平
( 2)福岡県
( 3)阿武松[12]
( 4)津田→阿武山
( 5)三段目88
( 6)昭和53年 2月 1日
( 8)238勝266敗
(10)170cm 115kg
(12)高校では柔道を経験し、力士を志して阿武松に手紙を書いて入門を志願した。
平成 8年 5月 初土俵
玉乃龍 泰光
たまのりゅう やすみつ
( 1)星野尾 泰光
( 2)香川県
( 3)片男波[12]
( 4)星野尾→玉乃龍
( 5)三段目63
( 6)昭和51年10月15日
( 7)平成11年 5月
( 8)60勝59敗7休
( 9)右四つ、寄り
(10)180cm 132kg
(12)木太中学校や岡山理科大学附属高校では全国大会にも出場し、国士舘大学では相撲部に所属して力士を志し、中途退学して入門した。
勝盛 一隆
かちもり かずたか
( 1)松田 一隆
( 2)岩手県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)松田→勝盛
( 5)幕下40
( 6)昭和52年 6月27日
( 8)239勝236敗22休
( 9)右四つ、寄り
(10)177cm 119kg
(12)若ノ海の長男、序二段 若松鵬の兄。
目黒学院高校では相撲部に所属した。は生前から力士にしたいと母に言っており、の一周忌の時に、母がと初土俵が同期の伊勢ノ海に相談した。相談の結果、伊勢ノ海と、同じく初土俵が同期の稲川の 3人で預かろうと決まり、 1人だけ部屋持ちの伊勢ノ海に入門する話が決まった。
畑山 秀美
はたやま ひでみ
( 1)畑山 秀美
( 2)宮城県
( 3)武蔵川[14]
( 5)三段目98
( 6)昭和52年 4月19日
( 7)平成17年 1月
( 8)168勝177敗19休
(10)173cm 100kg
琴讃岐 正則
ことさぬき まさのり
( 1)讃岐 正則
( 2)福岡県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)未出世
( 6)昭和55年 1月 4日
( 7)平成 8年 7月
(10)173cm 87kg
博ノ洋 和之
ひろのなだ かずゆき
( 1)細川 和之
( 2)大阪府
( 3)高田川[ 8]
( 4)細川→博ノ洋
( 5)序ノ口59
( 6)昭和55年10月21日
( 7)平成 8年 9月
( 8)7休
(10)173cm 164kg
陸奥東 智唯
むつあずま ともただ
( 1)石川 智唯
( 2)福島県
( 3)東関[12]
( 5)序ノ口61
( 6)昭和55年 8月 4日
( 7)平成 8年 9月
( 8)7休
(10)174cm 108kg
小野 夢人
おの ゆめと
( 1)小野 夢人
( 2)東京都
( 3)高島[13]
( 5)序ノ口62
( 6)昭和55年10月28日
( 7)平成 8年11月
( 8)8敗6休
(10)174cm 76kg
暉風 雄一郎
ひかりかぜ ゆういちろう
( 1)河野 雄一郎
( 2)埼玉県
( 3)尾車[ 8]
( 4)河野→暉風
( 5)三段目85
( 6)昭和54年 3月25日
( 7)平成13年 9月
( 8)105勝105敗14休
(10)175cm 111kg
(12)少林寺拳法を経験し、家の 2軒隣が幕下 将風の実家だった縁で、評判を聞いて訪ねて来た尾車に勧誘されて入門を決意した。
久保 竜
くぼ りゅう
( 1)久保 竜
( 2)三重県
( 3)大島[ 2]
( 5)序ノ口54
( 6)昭和55年 7月24日
( 7)平成 9年 3月
( 8)1勝6敗7休
(10)179cm 75kg
千代の龍 孝友
ちよのりゅう たかとも
( 1)白取 孝友
( 2)北海道
( 3)九重[13]
( 4)白取→千代の龍
( 5)幕下58
( 6)昭和53年 9月28日
( 7)平成11年 7月
( 8)73勝52敗8休
( 9)両四つ、突き、押し
(10)182cm 118kg
(12)函館工業高校では格闘家を目指して体を鍛えていたが、見出されて入門した。
引退後は人材派遣会社に勤務した。
千代九十九 秀視
ちよつくも ひでみ
( 1)藤田 秀視
( 2)長崎県
( 3)九重[13]
( 4)藤田→千代九十九
( 5)三段目52
( 6)昭和55年11月 5日
( 7)平成16年11月
( 8)168勝155敗34休
( 9)左四つ、寄り
(10)175cm 96kg
(12)大野中学校で柔道を始め、大外刈りと寝技を得意として初段の腕前だった。見出した近所の人に電話で連絡を受けた九重に電話で勧誘され、入門を決意した。
千代九十九の名は郷里の九十九島に因んで父が命名した。
平成 8年 7月 初土俵
綿貫 貴史
わたぬき たかひろ
( 1)綿貫 貴史
( 2)山口県
( 3)放駒[17]
( 5)序ノ口58
( 6)昭和55年 7月21日
( 7)平成 9年 1月
( 8)7休
(10)184cm 120kg
(12)徳山市立住吉中学校では柔道部に所属して内股を得意とし、山口県大会でも活躍した。相撲も、週 2回だが近くの南陽工業高校に通って稽古した。放駒に勧誘され、迷ったが熱心な勧誘に惹かれ、自分の力を試してみようと考えて入門した。
東翔 大介
あずましょう だいすけ
( 1)中嶋 大介
( 2)群馬県
( 3)玉ノ井[13]
( 4)中嶋→中島山→東翔
( 5)序二段46
( 6)昭和55年 8月13日
( 7)平成12年 1月
( 8)60勝59敗21休
(10)170cm 109kg
子龍 英治
しりゅう えいじ
( 1)佐藤 英治
( 2)東京都
( 3)阿武松[12]
( 4)佐藤→子龍
( 5)序ノ口 9
( 6)昭和51年 6月10日
( 7)平成 9年 1月
( 8)6勝8敗7休
(10)180cm 95kg
(12)文京第一中学校ではバスケットボールを経験し、東京都選抜でも選ばれた。日本体育大学附属荏原高校を卒業して幾つかのアルバイトをしたが、或る日に突然として「何か歴史に名を刻む様な事をしたい」と思い立って力士を志し、テレビの特集番組で見た阿武松部屋に入門した。入門前から髪を伸ばしていて、新弟子ながら髷を結った。
武虎 詠二
たけとら えいじ
( 1)土井 詠二
( 2)愛媛県
( 3)阿武松[12]
( 4)土井→武虎
( 5)序二段179
( 6)昭和54年12月27日
( 7)平成 9年11月
( 8)16勝26敗7休
(10)174cm 78kg
朝樋口 純
あさひぐち じゅん
( 1)樋口 純
( 2)福岡県
( 3)若松[11]
( 5)序二段169
( 6)昭和54年11月25日
( 7)平成 9年 5月
( 8)6勝8敗7休
(10)174cm 106kg
左古 貴士
さこ たかし
( 1)左古 貴士
( 2)大阪府
( 3)出羽海[10]
( 4)左古→左古の海→清光→左古
( 5)序二段13
( 6)昭和55年 6月14日
( 7)平成15年 3月
( 8)132勝148敗
(10)172cm 115kg
柳田 誠
やなぎだ まこと
( 1)柳田 誠
( 2)東京都
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)序二段167
( 6)昭和55年 9月 6日
( 7)平成 9年 1月
( 8)9勝5敗7休
(10)181cm 88kg
(12)中学校ではバスケットボールを経験し、卒業して内装業に従事した。平成 8年 6月に相撲料理店「相撲茶屋 大旺」で食事をした時に店の主人である元 大旺に体格の大きさを見出されて入門を勧められ、これも何かの縁と考えて入門を決意した。
平成 8年 9月 初土俵
沖ノ龍 臣斗
おきのりゅう おみと
( 1)鉢嶺 景立
( 2)沖縄県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)鉢嶺→沖ノ龍
( 5)三段目49
( 6)昭和52年 6月17日
( 7)平成16年 5月
( 8)151勝144敗27休
(10)189cm 126kg
(12)沖縄工業高校では練心館道場に通って柔道を習い、初段の腕前で沖縄県大会でも活躍した。 2年生の冬と 3年生の時に道場を訪ねて来た伊勢ノ海に勧誘され、プロレスとどちらを選ぶか迷った。卒業して全日本プロレスに練習生として入社したが、力士を志し始めたので退社し、プロレスラーの永源 遙と初土俵が同期だった縁で伊勢ノ海部屋に入門した。
栃赤木 敏男
とちあかぎ としお
( 1)山内 敏男
( 2)大分県
( 3)春日野[10]
( 5)三段目85
( 6)昭和54年 5月31日
( 7)平成15年 1月
( 8)122勝130敗14休
(10)184cm 103kg
(12)大分県立佐伯鶴城高校では野球部に所属して捕手を務めたが、 1年生の 7月に高校の近くの川で友人達と釣りをしていて春日野の知人に勧誘された。 2年生の 8月に春日野が訪ねて来て勧誘され、力士に憧れていたので入門した。
栃赤木の名は郷里の字である大字赤木に因んだ。
平成 8年11月 初土俵
上當 敦
うえあたり あつし
( 1)上當 敦
( 2)沖縄県
( 3)二子山[11]
( 5)序二段141
( 6)昭和55年11月13日
( 7)平成10年 3月
( 8)19勝18敗19休
(10)182cm 106kg
荒雄川 芳則
あらおがわ よしのり
( 1)佐々木 芳則
( 2)宮城県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 4)若佐々木→荒雄川
( 5)序二段114
( 6)昭和53年10月22日
( 7)平成10年11月
( 8)31勝28敗18休
(10)179cm 98kg
(12)古川高校では相撲部に所属し、宮城県大会でも活躍した。卒業して大学への進学を目指して 2年目の浪人生活中に「若いときに何かをやらないと後悔する」と考え、力士を志して入門した。
春日岳 一
かすがだけ はじめ
( 1)西山 克彦
( 2)大阪府
( 3)安治川[ 4]→春日山[20]
( 4)西山→春日岳
( 5)序二段114
( 6)昭和53年10月22日
( 7)平成10年11月
( 8)36勝35敗13休
(10)179cm 126kg
(12)春日岳の名は春日山が命名した。
安起ノ嵐 法仁
あきのあらし のりひと
( 1)川野 法仁
( 2)群馬県
( 3)安治川[ 4]
( 4)川野→安起ノ嵐
( 5)序二段30
( 6)昭和53年 9月13日
( 7)平成12年 5月
( 8)43勝36敗33休
(10)175cm 104kg
(12)前橋商業高校では野球部に所属し、安治川部屋の後援者に勧誘されて入門を決意した。

年号・西暦対応表

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