平成 5年 1月 初土俵
若桜 文彦
わかざくら ふみひこ
( 1)若山 文彦
( 2)茨城県
( 3)中村[10]
( 4)若山→若桜
( 5)幕下55
( 6)昭和47年 6月26日
( 7)平成10年 9月
( 8)113勝99敗26休
( 9)突き、押し
(10)181cm 141kg
(12)小学生の時は相撲の茨城県大会で入賞し、サッカーも経験して茨城県大会に出場し、野球も経験した。日立市河原子中学校では柔道を経験し、水戸短期大学附属高校を卒業して日立電線に就職した。 1年半勤務したが、テレビで相撲を観て自分も挑戦しようと思い、同郷の松輝の知人に中村部屋を紹介されたが、年齢制限規定(20歳未満)で新弟子検査を受検できなかった。しかし、当年の暮れに協会が年齢制限規定を23歳未満に改定したので、中村部屋に電話して入門した。
琴村田 憲太郎
ことむらた けんたろう
( 1)村田 憲太郎
( 2)長崎県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序ノ口51
( 6)昭和51年 8月 7日
( 7)平成 5年 5月
( 8)7休
(10)175cm 108kg
藤縄 隆
ふじなわ たかし
( 1)坂本 隆
( 2)茨城県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)坂本→藤縄
( 5)序二段15
( 6)昭和49年11月 2日
( 7)平成16年11月
( 8)223勝253敗21休
(10)180cm 207kg
浪速 嘉則
なにわ よしのり
( 1)佐々木 嘉則
( 2)大阪府
( 3)東関[12]
( 4)若佐々木→浪速
( 5)三段目98
( 6)昭和49年 7月23日
( 7)平成 8年 9月
( 8)57勝52敗31休
(10)184cm 119kg
(12)運転免許を取得しようと鳥取で合宿をしていて、九州へ向かう途中だった東関と駅で偶然に会い、誘われて喫茶店に連れて行ってもらい、勧誘されて入門した。
肥後乃島 敬享
ひごのしま たかみち
( 1)島崎 一道
( 2)熊本県
( 3)三保ヶ関[10]
( 4)島崎→肥後乃島
( 5)三段目 4
( 6)昭和49年 7月 7日
( 7)平成13年11月
( 8)181勝179敗11休
(10)186cm 172kg
(12)熊本農業高校で相撲を経験した。
三杉豊 高暁
みすぎゆたか たかあき
( 1)木村 豊
( 2)埼玉県
( 3)峰崎[ 7]
( 4)翔鶴山→三杉豊
( 5)三段目60
( 6)昭和49年 4月 5日
( 7)平成11年 9月
( 8)134勝138敗8休
(10)175cm 107kg
(12)大東文化大学附属第一高校ではラグビー部に所属して右プロップとして活躍し、大学選手権大会の優勝に貢献した。上福岡市の相撲料理店「北等」で峰崎に勧誘され、相撲が好きで小学校では相撲を取ってもいたので入門を決意した。
引退後は木村 晃健の名で芸能活動をした。
佐々木 巨
ささき おおし
( 1)佐々木 巨
( 2)北海道
( 3)武蔵川[14]
( 5)未出世
( 6)昭和49年10月 7日
( 7)平成 5年 3月
(10)174cm 76kg
朝井 英二
あさい えいじ
( 1)朝井 英治
( 2)大阪府
( 3)宮城野[10]
( 4)朝井→訪竜→朝井
( 5)幕下11
( 6)昭和45年 5月 8日
( 7)平成 8年 5月
( 8)78勝55敗7休
( 9)突き、押し
(10)173cm 112kg
(12)子供の時に夏祭りの相撲大会に出る内に相撲が好きになり、小学校 4年生から近くの浪速武道館に通った。中学校では相撲部がなかったのでラグビー部に所属した。相撲道場の先生の縁で宮城野部屋へ何度も遊びに行った。卒業後に入門したかったが家族に反対されて入門は大学の卒業後に延びた。近畿大学附属高校と近畿大学では共に主将を務めた。
訪竜の名は「竜が訪れて人の上に立つ」との願いを込めて郷里の諏訪神社の関係者が命名した。
廃業後は建設業に従事しながら、自分が育った浪速武道館で相撲を指導した。平成15年 9月から大阪市で「大衆酒場 英治」を経営した。
朝桜山 弘幸
あさおうざん ひろゆき
( 1)本多 弘幸
( 2)神奈川県
( 3)若松[11]
( 4)朝本多→朝桜山
( 5)三段目57
( 6)昭和49年 6月 8日
( 7)平成 9年11月
( 8)94勝71敗38休
( 9)左四つ、寄り
(10)186cm 154kg
(12)朝桜山の名は、肩の脱臼治療で平成 8年 7月から 3場所連続で休場した後に、気分を一新して朝乃若に肖ろうと考えて自分で命名した。
朝闘山 智晴
あさとうざん ともはる
( 1)永山 智晴
( 2)京都府
( 3)若松[11]
( 4)朝永山→朝闘山
( 5)三段目27
( 6)昭和49年12月18日
( 7)平成10年 7月
( 8)114勝102敗15休
( 9)突き、押し
(10)175cm 128kg
(12)普賢寺小学校から田名部中学校を経て西城陽高校では柔道を経験し、 3年生では京都府大会で活躍した。若松の近畿大学時代の相撲部監督が、柔道を習っていた城陽道場の先生の知人だった縁で勧誘され、道場の後輩だった冠甲の活躍に刺激を受けて入門を決意した。
倭神竜 淳士
わこうりゅう あつし
( 1)鈴木 淳
( 2)東京都
( 3)陸奥[ 8]
( 4)鈴木→倭神竜
( 5)序二段168
( 6)昭和49年12月18日
( 7)平成 6年 9月
( 8)16勝33敗14休
(10)178cm 77kg
(12)漫画家を志望したが、偶然に見ていたテレビの相撲特集番組で、陸奥部屋を取り上げていて、特に相撲が好きではなかったが突然として入門を思い立ち、東京都立大森東高校を卒業して入門した。
倭神竜の名は自分で考えた。最初は倭神虎だったが、呼びにくいと陸奥に言われて変えた。
嶋の峰 健二郎
しまのみね けんじろう
( 1)和田 健二郎
( 2)神奈川県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)序二段141
( 6)昭和49年 7月21日
( 7)平成 7年 1月
( 8)32勝45敗7休
(10)188cm 87kg
嶋嵐 耕一
しまあらし こういち
( 1)寺尾 耕一
( 2)京都府
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)序二段190
( 6)昭和49年 7月25日
( 7)平成 5年 7月
( 8)5勝9敗7休
(10)174cm 88kg
若八嶋 泰成
わかやしま たいせい
( 1)室谷 弘樹
( 2)石川県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 4)室谷→若八嶋
( 5)幕下16
( 6)昭和45年 8月14日
( 7)平成 9年 7月
( 8)88勝53敗48休
( 9)突き、押し
(10)180cm 163kg
(12)若八嶋の名は、負傷が多かったので今後の奮起を期待して若嶋津と末広がりの八に因んで、松ヶ根と後援者が命名した。
若ノ翔 雅人
わかのしょう まさと
( 1)くわ原 雅人
( 2)群馬県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 4)桑原→若ノ翔
( 5)序二段96
( 6)昭和49年10月 3日
( 7)平成 7年 5月
( 8)44勝47敗7休
(10)175cm 82kg
千代の森 和久
ちよのもり かずひさ
( 1)青田 和久
( 2)東京都
( 3)九重[13]
( 4)青田→千代の森
( 5)三段目 8
( 6)昭和49年 6月 7日
( 7)平成12年 1月
( 8)144勝141敗9休
(10)181cm 116kg
研谷 博
とぎたに ひろし
( 1)研谷 博
( 2)奈良県
( 3)鳴戸[13]
( 5)三段目83
( 6)昭和51年 2月18日
( 7)平成10年 1月
( 8)96勝93敗21休
(10)176cm 110kg
洲崎 良次
すさき よしつぐ
( 1)洲崎 良次
( 2)奈良県
( 3)鳴戸[13]
( 5)序二段157
( 6)昭和50年 1月24日
( 7)平成 5年 9月
( 8)4勝3敗7休
(10)189cm 87kg
(12)隆洲崎の兄。
智辨学園高校では野球部に所属し、エースとして147km/hの速球とフォークボールを得意とした。プロ野球に入ろうと思い、阪神タイガースとオリックスブルーウェーブスの入団テストも受けたが不合格とされ、体格を中学生の時から見込んでいた鳴戸部屋の後援会会員に勧誘されて入門した。
平成 5年 3月 初土俵
泰陽 良一
たいよう よしかず
( 1)山内 良一
( 2)大阪府
( 3)高田川[ 8]
( 4)山内→桧尾山→青銅山→前の国→前之国→前乃春→前之春→泰陽
( 5)三段目80
( 6)昭和52年 6月 7日
( 8)305勝325敗
(10)174cm 121kg
(12)松原市立松原中学校では柔道部に所属し、 2年生の時に大阪府大会で優勝した。知人に勧められて入門を決意した。
桧尾山の名は「すくすく伸びていくように」との願いを込めて 3月場所の宿舎だった観心寺の住職が命名した。前乃春・泰陽の名は部屋の行司 木村 和一郎が命名した。
克己山 健太郎
かつみやま けんたろう
( 1)柿田 健太郎
( 2)長崎県
( 3)高田川[ 8]
( 4)柿田→克己山
( 5)序二段94
( 6)昭和52年12月 3日
( 7)平成 9年 7月
( 8)71勝90敗14休
(10)174cm 100kg
(12)克己山の名は「己に克つ」との願いを込めて部屋の行司 木村 和一郎が命名した。
鈴木山 義則
すずきやま よしのり
( 1)鈴木 義則
( 2)東京都
( 3)二子山[11]→荒磯[12]
( 5)序二段92
( 6)昭和52年12月24日
( 7)平成 6年 5月
( 8)14勝8敗27休
(10)176cm 139kg
(12) 5歳の時から近所の道場で相撲を始め、府中第一中学校では関東大会でも活躍した。
東峰 一記
あずまみね かずのり
( 1)石原 一記
( 2)鹿児島県
( 3)玉ノ井[13]
( 4)霧東→東峰
( 5)三段目58
( 6)昭和52年 7月19日
( 7)平成12年 5月
( 8)139勝148敗14休
(10)176cm 145kg
藤春 忍
ふじはる しのぶ
( 1)藤春 忍
( 2)福岡県
( 3)大鵬
( 5)序ノ口47
( 6)昭和52年 6月11日
( 7)平成 5年 9月
( 8)3勝11敗11休
(10)179cm 76kg
田谷 勝浩
たや かつひろ
( 1)田谷 勝浩
( 2)千葉県
( 3)大鵬
( 5)序二段207
( 6)昭和52年 5月10日
( 7)平成 6年11月
( 8)20勝35敗8休
(10)178cm 74kg
柏雄山 雄次
はくゆうやま ゆうじ
( 1)栗原 雄次
( 2)茨城県
( 3)鏡山[ 7]
( 4)栗原山→柏雄山
( 5)序ノ口21
( 6)昭和52年 7月 6日
( 7)平成 5年 9月
( 8)1勝6敗7休
(10)178cm 121kg
濱口 洋平
はまぐち ようへい
( 1)濱口 洋平
( 2)大阪府
( 3)[22]
( 5)序ノ口 1
( 6)昭和53年 3月 2日
( 7)平成 6年 1月
( 8)10勝11敗7休
(10)192cm 109kg
南原 勝之
なんばら かつゆき
( 1)南原 勝之
( 2)大阪府
( 3)[22]
( 5)幕下20
( 6)昭和49年 9月30日
( 7)平成16年 5月
( 8)234勝220敗15休
( 9)右四つ、寄り、上手投げ
(10)186cm 133kg
(12)近畿大学附属高校ではバスケットボールを経験したが、中途退学して入門した。
肥後司 真太郎
ひごつかさ しんたろう
( 1)坂田 真太郎
( 2)熊本県
( 3)入間川[16]
( 4)坂田→肥後司
( 5)幕下28
( 6)昭和51年 8月25日
( 7)平成11年11月
( 8)137勝104敗39休
( 9)突き、押し
(10)191cm 146kg
(12)小学校6年生から九州学院中学校まで柔道を経験して初段の腕前で、当時は大学に進学して教師か警察官に就こうと思っていた。15歳でプロレス会社「SWS」に練習生として入社したが、 3ヶ月で会社が解散してしまい、郷里に帰った。熊本工業大学附属高校に勧誘されたので一旦は入学する予定だったが、入間川が通う整体師に「同じ相撲をやるんならプロでやった方が良い」と勧められた。格闘技は好きだったが相撲は嫌いだったので、他の部屋から勧誘されても断っていたが、高校の相撲部の先生に紹介されて入間川と会って人柄に惹かれたので入門を決意した。
荒飛 政彦
あらとび まさひこ
( 1)内園 政彦
( 2)奈良県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)内園→荒飛
( 5)三段目24
( 6)昭和53年 1月24日
( 7)平成16年 7月
( 8)227勝242敗7休
(10)179cm 104kg
荒海 信吾
あらうみ しんご
( 1)岩本 信吾
( 2)高知県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)岩本→岩本山→荒海
( 5)三段目16
( 6)昭和52年10月18日
( 7)平成14年 3月
( 8)187勝178敗13休
( 9)右四つ、寄り
(10)172cm 99kg
(12)昭和小学校では相撲部に所属し、 4年生からわんぱく相撲に出場した。高知市立城東中学校では全国大会で優勝した。小学校の相撲部監督が伊勢ノ海の知人だった縁で、 1年生の時に 3月場所へ招待され、 2年生の時から合宿で伊勢ノ海部屋へ行って稽古した。
白蛇 陽平
はくだ ようへい
( 1)塩屋 陽平
( 2)山口県
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)塩屋→白蛇
( 5)序二段58
( 6)昭和52年 6月 5日
( 7)平成 7年 5月
( 8)46勝38敗7休
(10)179cm 109kg
大綱 倫太郎
おおつな りんたろう
( 1)高橋 倫太郎
( 2)大阪府
( 3)伊勢ノ海[11]
( 4)高橋山→大綱
( 5)幕下58
( 6)昭和52年 4月14日
( 7)平成13年 7月
( 8)171勝164敗15休
( 9)突き、押し
(10)182cm 124kg
(12)小学校 4年生から中学生まで、元 伊勢ノ海部屋の幕下 立花が指導する寝屋川少年相撲クラブに通った。
趣味は漫画収集。
斎藤 久明
さいとう ひさあき
( 1)斎藤 久明
( 2)東京都
( 3)二子山[11]
( 5)序二段69
( 6)昭和49年 3月15日
( 7)平成 9年 7月
( 8)80勝95敗7休
(10)175cm 93kg
(12)都立秋川高校ではラグビー部に所属して右プロップを務めたが、体格を生かそうと考えて入門した。
貴ノ森 竜太郎
たかのもり りゅうたろう
( 1)森元 竜太郎
( 2)山口県
( 3)二子山[11]
( 5)三段目98
( 6)昭和52年 8月31日
( 7)平成11年 1月
( 8)115勝116敗14休
(10)177cm 117kg
(12)小学生の時から近所に住む二子山部屋の後援会会員に勧誘されたが、入門の意志は無かった。中学校 3年生の時に後援会会員に連れられて山口巡業に行き、貴花田の姿を見て憧れ、入門を決意した。
貴伊吹 正和
たかいぶき まさかず
( 1)合田 正和
( 2)香川県
( 3)二子山[11]
( 5)序二段80
( 6)昭和52年12月22日
( 7)平成 7年 3月
( 8)35勝35敗14休
(10)190cm 128kg
(12)観音寺市立伊吹中学校では陸上部に所属し、砲丸投げの香川県大会で活躍した。
貴伊吹の名は出身中学校に因んだ。
廃業後は尽誠学園高校に入学して入門前に経験していた砲丸投げを再び始め、全国高校大会も 2度出場した。体格を見込んだ先生からアメリカンフットボールを勧められてスポーツ推薦で平成10年に立命館大学へ入学した。社会人としては Xリーグ中地区のオンワードスカイラークスに所属した後でNFL欧州に挑戦し、NFLヨーロッパのベルリン・サンダーに所属した。17年5月のライン・ファイヤー戦で試合終了間際に途中出場を果たし、日本人では初めてオフェンスラインとしてNFLヨーロッパのフィールドに立った。
趣味は将棋とテレビゲーム。
美貴山 良真
よしきやま りょうま
( 1)川田 良真
( 2)埼玉県
( 3)二子山[11]→貴乃花
( 4)川田→美貴山
( 5)幕下24
( 6)昭和52年 6月29日
( 7)平成17年 3月
( 8)242勝214敗34休
( 9)突き、押し
(10)187cm 151kg
(12)加須小学校に入学する前から相撲が好きで力士を志し、入門する部屋も自分で本を読んで調べ、藤島部屋を選んだ。 6年生の夏休みに親に内緒で叔父と一緒に藤島部屋を訪ね、入門を志願した。相撲自体は夏休みや日曜日に稽古する程度だった。藤島に、体格を大きくするのに柔道はどうかと訊ねると、水泳が良いと言われたので、昭和中学校ではスイミングスクールで水泳を経験した。
美貴山の名は貴乃花と体格の大きさから山に因んで貴乃花が命名した
岸 太樹
きし たいき
( 1)岸 太樹
( 2)兵庫県
( 3)二子山[11]
( 5)序二段108
( 6)昭和53年 1月16日
( 7)平成 7年 5月
( 8)31勝32敗14休
(10)180cm 110kg
篠原 春彦
しのはら はるひこ
( 1)篠原 春彦
( 2)東京都
( 3)二子山[11]
( 5)序二段101
( 6)昭和53年 2月13日
( 7)平成11年 9月
( 8)96勝128敗21休
(10)174cm 108kg
前ヶ浜 伸二
まえがはま しんじ
( 1)中島 伸二
( 2)神奈川県
( 3)高田川[ 8]
( 4)中島→前ヶ浜
( 5)序二段190
( 6)昭和51年 5月14日
( 7)平成 6年 3月
( 8)5勝2敗14休
(10)177cm 100kg
隆洲崎 善信
たかすさき よしのぶ
( 1)洲崎 善信
( 2)奈良県
( 3)鳴戸[13]
( 4)洲崎→隆洲崎
( 5)序二段65
( 6)昭和53年 2月13日
( 7)平成 8年 3月
( 8)56勝56敗14休
(10)182cm 85kg
(12)洲崎の弟。
村田 博光
むらた ひろみつ
( 1)村田 博光
( 2)大阪府
( 3)鳴戸[13]
( 5)序二段14
( 6)昭和49年 7月10日
( 7)平成 8年11月
( 8)72勝75敗7休
(10)175cm 80kg
輝の里 一輝
てるのさと かずき
( 1)長野 一輝
( 2)愛媛県
( 3)鳴戸[13]
( 4)長野→輝の里
( 5)三段目23
( 6)昭和53年 1月17日
( 8)299勝303敗28休
(10)179cm 164kg
(12)川之江市立南中学校では柔道を経験し、払い腰を得意としたが、 2年生の11月頃に知人の元力士に体格の大きさを見出されて鳴戸を紹介され、知人の家で会った後で暫く考えて入門を決意した。
輝の里の名は、鳴戸が幾つか挙げた候補の中から、隆の里と自分の本名から 1字ずつ採ったのを気に入って選んだ。
若狭海 泰輔
わかさうみ たいすけ
( 1)今尾 泰輔
( 2)福井県
( 3)鳴戸[13]
( 4)今尾→若狭海
( 5)三段目32
( 6)昭和52年 8月31日
( 7)平成13年 5月
( 8)150勝151敗42休
( 9)左四つ、外掛け、内掛け
(10)176cm 109kg
(12)酒屋・コンビニエンスストアの長男で、柔道の福井県大会に出場した経歴を持つ父の影響で、南小学校 3年生で柔道を始めて栗野中学校まで続けて初段の腕前で、 3年生の敦賀市大会で優勝して福井県大会に出場した。柔道を続けようと思ったが、訪ねて来た鳴戸に勧誘されて入門した。
石井 聚峰
いしい じゅほう
( 1)石井 聚峰
( 2)埼玉県
( 3)鳴戸[13]
( 5)序二段85
( 6)昭和52年 4月14日
( 7)平成 7年11月
( 8)46勝50敗16休
(10)176cm 90kg
高橋 敦
たかはし あつし
( 1)高橋 敦
( 2)千葉県
( 3)鳴戸[13]
( 5)三段目49
( 6)昭和51年 7月13日
( 7)平成11年11月
( 8)131勝116敗19休
(10)192cm 135kg
(12)中学校を卒業して調理専門学校に進学したが、調理場では長身が邪魔になっていると感じて他の可能性を探し、知人に紹介されて鳴戸部屋の稽古を見学して入門を決意した。
佐々波 誠一
さざなみ せいいち
( 1)佐々木 誠一
( 2)長崎県
( 3)鳴戸[13]
( 4)佐々木→佐々波
( 5)幕下46
( 6)昭和52年11月15日
( 7)平成17年 5月
( 8)254勝251敗7休
( 9)右四つ、寄り
(10)182cm 125kg
(12)左官業の長男で、平戸南部中学校では野球部に所属して一塁手を務めた。 3年生の夏に鳴戸を後援する野球関係の知人に勧誘され、11月に訪ねて来た鳴戸にも勧誘されたので入門を決意した。
佐々波の名は、実家が海に近い事に因んで自分で命名した。
北勝山 健一
ほくとやま けんいち
( 1)佐野 健一
( 2)愛知県
( 3)九重[13]→八角[ 8]
( 5)序二段158
( 6)昭和52年 5月 7日
( 7)平成 6年 9月
( 8)24勝27敗12休
(10)173cm 93kg
田才 浩路
たさい ひろみち
( 1)田才 浩路
( 2)新潟県
( 3)九重[13]
( 5)序二段 3
( 6)昭和52年 6月 7日
( 7)平成10年 1月
( 8)95勝93敗14休
(10)187cm 129kg
(12)1痛分
千代の舞 誉史
ちよのまい たかし
( 1)摩治 誉史
( 2)福岡県
( 3)九重[13]
( 4)摩治→千代の舞
( 5)三段目14
( 6)昭和52年 5月25日
( 7)平成10年 5月
( 8)104勝92敗21休
(10)177cm 87kg
松木 勝也
まつき かつや
( 1)松木 勝也
( 2)茨城県
( 3)九重[13]
( 5)序二段15
( 6)昭和52年 9月29日
( 7)平成 8年 1月
( 8)55勝51敗13休
(10)176cm 90kg
魁ノ浪 悟
かいのなみ さとる
( 1)小笠原 悟
( 2)青森県
( 3)友綱[10]
( 4)小笠原→魁ノ浪
( 5)三段目54
( 6)昭和52年 4月18日
( 7)平成16年 1月
( 8)212勝243敗
(10)185cm 154kg
(12)青森市立東中学校では相撲部に所属し、自分の力を試そうと考えて入門した。
棟方 弘光
むなかた ひろみつ
( 1)棟方 弘光
( 2)青森県
( 3)春日野[10-11]
( 5)幕下10
( 6)昭和52年 7月17日
( 7)平成20年 3月
( 8)300勝255敗75休
( 9)前褌、食い下がり
(10)178cm 143kg
(12)実家は食堂で、小学校 3年生で相撲クラブに勧誘され、廻し姿が嫌で断ったが、 4年生で大会に出場する人数が足りない為に駆り出されて出場すると 3位に入賞し、賞状や賞品を貰って気を良くしたので相撲クラブに加入した。弘前第三中学校でも相撲部に所属し、弘前実業高校に進学する予定だったが、 2年生の時に両親が経営する食堂に春日野の同級生が訪ねて来て勧誘され、次いで訪ねて来た春日野に勧誘されて入門を決意した。
夢源 将太
むげん しょうた
( 1)前村 智也
( 2)熊本県
( 3)花籠[15]
( 4)前村→夢限→夢源
( 5)三段目38
( 6)昭和47年 6月10日
( 7)平成 7年 9月
( 8)58勝40敗7休
(10)182cm 125kg
(12)熊本工業大学附属高校では相撲部に所属し、国士舘大学に進学したが入門するかどうか半年間考え抜いた末に 2年生で中途退学して入門した。
夢限の名は「限り無い夢」との意味を込めて、夢源の名は原点に戻る意味を込めて自分で命名した。
太萌山 敦
だいほうやま あつし
( 1)柳
( 2)東京都
( 3)花籠[15]
( 4)小柳→小柳→太萌山
( 5)幕下21
( 6)昭和52年 7月 8日
( 8)311勝303敗16休
( 9)右四つ、寄り
(10)186cm 148kg
(12)中学校の先生に勧められて入門した。
輝龍 豊一
きりゅう とよかず
( 1)宮原 龍吾
( 2)長野県
( 3)花籠[15]
( 4)宮原→輝龍
( 5)序二段172
( 6)昭和52年 4月 6日
( 7)平成 7年 9月
( 8)37勝61敗7休
(10)175cm 128kg
夏乃百合 薫
なつのゆり かおる
( 1)中原 薫
( 2)山口県
( 3)花籠[15]
( 4)中原→夏乃百合
( 5)序二段95
( 6)昭和52年 7月31日
( 7)平成 6年 9月
( 8)27勝29敗7休
(10)173cm 81kg
新錦 一弘
しんにしき かずひろ
( 1)長井 一弘
( 2)新潟県
( 3)時津風[14-16]
( 4)長井→一豊→新錦
( 5)三段目20
( 6)昭和52年 7月18日
( 8)308勝322敗
(10)175cm 99kg
笠井 吉章
かさい よしあき
( 1)笠井 吉章
( 2)新潟県
( 3)時津風[14]
( 5)序二段155
( 6)昭和52年 6月20日
( 7)平成 6年 9月
( 8)24勝32敗7休
(10)172cm 101kg
豊泉 匡地
とよいずみ きょうじ
( 1)加藤 匡地
( 2)岐阜県
( 3)時津風[14]
( 4)加藤→豊泉
( 5)幕下60
( 6)昭和52年11月26日
( 7)平成14年 5月
( 8)168勝152敗65休
( 9)左四つ、寄り
(10)183cm 122kg
(12)中学校ではバドミントンを経験したが、競輪選手を志した。 3年生の秋に高校へ進学しようかと迷っていると、料理店「田舎ッペ」を経営する元 時津風部屋の三段目 豊の里に勧誘されて時津風とも会い、父が勤務する会社の人も時津風の知人だったので両親も賛成し、入門した。
徳ノ洋 徹
とくのうみ とおる
( 1)若松 徹
( 2)徳島県
( 3)時津風[14]
( 4)若豊松→徳ノ洋
( 5)序ノ口53
( 6)昭和52年 7月 9日
( 7)平成 5年 7月
( 8)1勝3敗10休
(10)173cm 88kg
矢木野 学
やぎの まなぶ
( 1)矢木野 学
( 2)岐阜県
( 3)時津風[14]
( 5)序二段182
( 6)昭和52年12月 2日
( 7)平成 5年 9月
( 8)5勝7敗9休
(10)183cm 90kg
将泉 大和
まさいずみ まさひろ
( 1)千田 将礼
( 2)茨城県
( 3)高砂[ 6]
( 4)千田→将泉
( 5)序二段139
( 6)昭和52年 5月 7日
( 7)平成 9年 5月
( 8)57勝104敗7休
(10)173cm 119kg
東海林 裕
しょうじ ひろし
( 1)東海林 裕
( 2)長野県
( 3)高砂[ 6- 7]
( 5)三段目28
( 6)昭和52年 9月17日
( 7)平成14年 9月
( 8)198勝201敗
(10)173cm 108kg
根矢 修吏
ねや よしお
( 1)根矢 修吏
( 2)茨城県
( 3)高砂[ 6]
( 5)序二段65
( 6)昭和52年 6月23日
( 7)平成13年 1月
( 8)142勝178敗9休
(10)174cm 116kg
今山 延亮
いまやま のぶあき
( 1)今山 延亮
( 2)静岡県
( 3)高砂[ 6]
( 5)序ノ口 4
( 6)昭和52年11月17日
( 7)平成 5年 9月
( 8)4勝3敗7休
(10)183cm 160kg
押の龍 康雄
おしのりゅう やすお
( 1)渡邊 康雄
( 2)愛知県
( 3)押尾川[17]
( 4)渡邊→押の龍
( 5)序ノ口 9
( 6)昭和52年 4月12日
( 7)平成 5年 9月
( 8)4勝3敗14休
(10)179cm 83kg
(12)押の龍の名は押尾川が命名した。
十王山 貢
じゅうおうやま みつぐ
( 1)永山 貢
( 2)東京都
( 3)押尾川[17]
( 4)永山→十王山
( 5)序二段97
( 6)昭和53年 3月22日
( 7)平成 6年 5月
( 8)18勝18敗13休
(10)184cm 84kg
(12)永山 学の兄。
十王山の名は郷里の十王町に因んだ。
若金龍 壮平
わかきんりゅう そうへい
( 1)瀧下 壮平
( 2)佐賀県
( 3)押尾川[17]
( 4)瀧下→若金龍(わかこんりゅう)→若金龍(わかきんりゅう)
( 5)幕下 6
( 6)昭和53年 2月 3日
( 7)平成14年 9月
( 8)211勝188敗
( 9)押し、前褌、寄り
(10)174cm 118kg
(12)陶芸家の二男で、小学校 4年生から週 2回の割合で柔道道場に通い、初段の腕前だった。山内中学校では足が速くなったので陸上部に所属し、砲丸投げと短距離走の選手だった。 卒業後も高校に進学して柔道を続ける予定だったが、 2年生の時に柔道と相撲の佐賀県大会の日程が重なって相撲の大会に出場すると優勝してしまい、押尾川部屋に勧誘され、親が反対するので一旦は断ったが、巡業を観に行って千代の富士に憧れており、プロの世界で力を試そうと考えて反対を押し切って入門した。
若金龍の名は父が営む「金龍窯」に因んだ。
糖尿病から緑内障を併発して引退した。平成14年10月から建築業に従事した。
笹良 吏志
ささら さとし
( 1)田村 吏志
( 2)神奈川県
( 3)押尾川[17]
( 4)田村→若柳→笹良
( 5)三段目99
( 6)昭和52年 5月10日
( 7)平成12年 5月
( 8)140勝143敗18休
( 9)押し
(10)174cm 118kg
(12)秦野市立本町中学校ではバドミントンを経験したが、神奈川県警察の刑事に紹介されて押尾川部屋へ稽古見学に行き、入門を決意した。
若柳の名は「若い柳の様なしなやかさと強さを持って欲しい」との願いを込めて押尾川が命名した。
引退後は相撲料理店「相撲茶屋 盛風力」に勤務した。
駒東 弘幸
こまあずま ひろゆき
( 1)原島 弘幸
( 2)東京都
( 3)放駒[17]
( 5)序ノ口12
( 6)昭和52年 4月27日
( 7)平成 5年11月
( 8)1勝8敗12休
(10)173cm 77kg
関ノ駒 周二
せきのこま しゅうじ
( 1)吉田 周二
( 2)山口県
( 3)放駒[17]
( 5)序ノ口51
( 6)昭和52年11月 5日
( 7)平成 5年 7月
( 8)2勝5敗7休
(10)173cm 85kg
玖珠の駒 徹
くすのこま とおる
( 1)山本 徹
( 2)大分県
( 3)放駒[17]
( 5)序二段159
( 6)昭和53年 3月25日
( 7)平成 7年 5月
( 8)24勝39敗14休
(10)183cm 89kg
(12)魁童の弟。
廃業後は部屋で ちゃんこ番を務め、杉並の季節料理店「生粋 東京」で勤務した。
駒大真 真也
こまたいしん まさや
( 1)大崎 真也
( 2)鹿児島県
( 3)放駒[17]
( 5)序二段34
( 6)昭和52年 9月 5日
( 7)平成 7年 5月
( 8)41勝36敗14休
(10)174cm 106kg
(12)駒大真の名は本名に因んだ。
羽黒洋 大典
はぐろなだ だいすけ
( 1)田中 大介
( 2)東京都
( 3)立浪[ 6- 7]→武隈[12]
( 4)田中山→羽黒洋→羽黒灘→羽黒洋
( 5)幕下51
( 6)昭和49年12月 8日
( 7)平成14年 5月
( 8)168勝107敗110休
( 9)突き、押し
(10)190cm 174kg
(12)北の洋の孫、黒姫山の長男、羽黒國の兄。
子供の時から力士に憧れたが、中学校を卒業した時点では力が無かったので高校で鍛えようと考え、明治大学附属中野高校に進学した。全国大会に出場し、関東中学校・関東高校・関東総合少年の部で優勝した。卒業後は大学に進学する予定だったが、幕下附出の規定が厳しくなったので、早く入門しようと考えて入門した。
羽黒洋の名は北の洋に因んだ。
引退後は鍼灸学校に通ったが生活が苦しくなり、自分でウェブページを開設していた経験を見込まれて平成14年11月頃から魁道の兄に誘われ、韓国から輸入した偽ブランド商品をネット競売で販売し始めた。本物の10分の 1程度の価格で販売していたが、16年 2月 2日に商標法違反(販売目的所持など)の容疑で逮捕された。東京地方裁判所で懲役 2年が求刑され、 6月21日に懲役 2年・執行猶予 3年の判決を言い渡された。
風師 峡太郎
かざし きょうたろう
( 1)大崎 透
( 2)大阪府
( 3)立浪[ 6- 7]
( 4)大崎山→風師
( 5)三段目15
( 6)昭和52年 5月31日
( 7)平成13年 9月
( 8)167勝159敗31休
( 9)突き、押し
(10)179cm 129kg
(12)田代岩に紹介されて小学校 5年生の頃から立浪部屋の大阪宿舎へ遊びに行った。入門する気は無かったが、中学校 3年生の夏に立浪と会って入門を決意した。
風師 峡太郎の名は知人の家の近くに位置する風師山と関門海峡に因み、知人が命名した。前名の大崎山では良い成績が残せなかったので『山』を外して風師にした。
錦風 真悟
にしきかぜ しんご
( 1)足達 康之
( 2)東京都→北海道
( 3)尾車[ 8]
( 5)幕下 1
( 6)昭和53年 2月14日
( 8)323勝307敗
( 9)突き、押し
(10)179cm 150kg
(12)理容店の二男で、小学校 1年生から江戸川区立小岩第二中学校では柔道を経験し、空手も経験したが、 3年生から父の知人に若筑波を紹介されて相撲の基本を教わった。 4年生からは知人の紹介で夏休みや冬休みの度に尾車部屋を訪れて体験入門した。父に勧められて中学校 2年生で入門を決意した。
錦風の名は同郷の栃錦琴風に因み、眞悟の名は 2歳で夭折した兄の名に因んで父が命名した。
稲子 良隆
いなご よしたか
( 1)稲子 良隆
( 2)鹿児島県
( 3)宮城野[10]
( 5)序二段63
( 6)昭和52年 7月28日
( 7)平成 7年 5月
( 8)34勝26敗24休
(10)178cm 101kg
(12)若隼人の弟。
自分の力を試してみようと考え、若隼人の反対を押し切って入門した。
廃業後は郷里で運送業に従事した後で、鹿児島の警備会社に勤務した。
吉ノ浪 真一
よしのなみ しんいち
( 1)大田原 真一
( 2)茨城県
( 3)宮城野[10]
( 4)大田原→吉ノ浪
( 5)三段目98
( 6)昭和52年 5月 9日
( 7)平成13年 1月
( 8)146勝163敗13休
( 9)左四つ、寄り
(10)183cm 142kg
片岡 賢一
かたおか けんいち
( 1)片岡 賢一
( 2)愛知県
( 3)宮城野[10]
( 5)序二段81
( 6)昭和52年12月22日
( 7)平成 8年 1月
( 8)46勝52敗14休
(10)178cm 94kg
沖野 宏哉
おきの ひろや
( 1)沖野 宏哉
( 2)広島県
( 3)間垣[18]
( 5)序ノ口10
( 6)昭和50年 9月10日
( 7)平成 5年 9月
( 8)5勝5敗11休
(10)174cm 100kg
大鐘剛 裕幸
だいしょうごう ひろゆき
( 1)荒木 裕幸
( 2)東京都
( 3)二所ノ関[10]
( 4)荒木→大鐘剛
( 5)序ノ口 7
( 6)昭和52年 7月16日
( 7)平成 6年 3月
( 8)3勝4敗7休
(10)180cm 168kg
北鷲山 慎
ほくしゅうざん まこと
( 1)飯倉 慎
( 2)神奈川県
( 3)二所ノ関[10]
( 4)飯倉→北鷲山
( 5)序二段24
( 6)昭和49年 4月11日
( 7)平成 8年 3月
( 8)64勝55敗7休
(10)181cm 116kg
福甲 貴寛
ふくかぶと たかひろ
( 1)福永 貴寛
( 2)鹿児島県
( 3)甲山[ 9]
( 4)福永→福甲
( 5)三段目98
( 6)昭和50年 7月31日
( 7)平成 8年 5月
( 8)65勝61敗7休
(10)182cm 81kg
(12)高校では槍投げを経験した。
天翔力 保
てんしょうりき たもつ
( 1)小林 保
( 2)千葉県
( 3)出羽海[ 9-10]
( 4)小林→出羽の灘→天翔力
( 5)序二段33
( 6)昭和52年 5月31日
( 7)平成 9年 9月
( 8)97勝92敗
(10)174cm 133kg
鹿島剣 和也
かしまつるぎ かずや
( 1)酒井 和也
( 2)茨城県
( 3)出羽海[ 9]
( 4)酒井山→鹿島剣
( 5)序二段101
( 6)昭和52年 7月11日
( 7)平成 7年 1月
( 8)27勝36敗14休
(10)180cm 89kg
(12)鹿嶋海の弟。
自分の力を試そうと考え、兄の反対を押し切って入門した。
鹿島剣の名は郷里の鹿島郡に因んで両親が命名した。
錦城 昌吾
にしきじょう しょうご
( 1)染谷 昌吾
( 2)茨城県
( 3)出羽海[ 9-10]
( 4)染谷→錦城
( 5)序二段22
( 6)昭和53年 1月 5日
( 7)平成12年 9月
( 8)148勝167敗
(10)176cm 106kg
義ヶ猛 勇次
よしがたけ ゆうじ
( 1)田中 義幸
( 2)神奈川県
( 3)出羽海[ 9-10]
( 4)吉田中→義ヶ竹→義ヶ猛
( 5)三段目 2
( 6)昭和53年 1月18日
( 7)平成11年 1月
( 8)113勝116敗16休
( 9)右四つ、投げ
(10)181cm 110kg
(12)吉の谷の甥。
朝金川 浩司
あさかながわ こうじ
( 1)金川 浩司
( 2)徳島県
( 3)若松[11]
( 5)序二段44
( 6)昭和52年 8月17日
( 7)平成 8年11月
( 8)69勝64敗21休
(10)173cm 140kg
朝鷲 透
あさわし とおる
( 1)伊藤 透
( 2)長野県
( 3)若松[11]
( 4)朝伊藤→朝鷲
( 5)序二段42
( 6)昭和50年12月24日
( 7)平成11年 1月
( 8)99勝104敗28休
( 9)上手投げ
(10)183cm 100kg
(12)大鷲の長男。
小学生の時は力士を志したが、相撲が盛んでない土地柄で相撲の稽古ができず、中学校から小諸商業高校では柔道を経験したが腕の負傷で断念し、相撲の道に進んだ。
引退後はプロレスラーに転向して闘龍門ジャパンに所属、平成12年 9月にデビュー、パワーファイターのヒールとして活躍し、UWA世界 6人タッグで優勝した。得意技は千秋楽固めとランニング喉輪落とし。
朝岡本 晃治
あさおかもと こうじ
( 1)岡本 晃治
( 2)愛媛県
( 3)若松[11]
( 5)序二段108
( 6)昭和52年10月29日
( 7)平成 7年 1月
( 8)28勝28敗14休
(10)178cm 90kg
(12)北条北中学校では 2年生からテニス部に所属し、郷里で行われる女相撲の大関の息子が経営する相撲料理店に若松が行ったのが縁で 3年生の夏休みに若松部屋へ遊びに行って入門を決意し、両親の反対を押し切って入門した。
趣味はテレビゲーム。
朝錦 典弘
あさにしき のりひろ
( 1)高島 典弘
( 2)大阪府
( 3)若松[11]
( 4)朝高島→朝錦
( 5)序二段16
( 6)昭和53年 1月31日
( 7)平成10年 1月
( 8)92勝88敗23休
(10)176cm 150kg
天一 力
てんいち ちから
( 1)渡辺 俊哉
( 2)新潟県
( 3)北の湖
( 4)渡辺山→天一
( 5)幕下10
( 6)昭和52年11月22日
( 8)329勝301敗
( 9)突き、押し
(10)176cm 135kg
(12)浦川原村立中保倉小学校 3年生で神社の相撲教室に週 3回通って相撲を始めた。大和町立藪神小学校 5年生で大会に出場し始め、新潟県大会にも出場した。大和中学校では相撲部が無かったので柔道部に所属し、南魚沼郡大会では 3年連続で優勝した。相撲でも新潟県代表として全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場した。北の湖の知人に紹介されて勧誘され、「高校へ行ってからにしろ」と言う父の反対を押し切って入門した。
天一の名は、小学生の時に相撲を指導してくれた人が草相撲で名乗っていた名を譲ってもらった。
初っ切りを務め、途中で乱入する覆面力士も務めた。
北雄峰 好平
ほくゆうほう こうへい
( 1)松本 好平
( 2)佐賀県
( 3)北の湖
( 4)松本→北松本→北雄峰
( 5)三段目 2
( 6)昭和52年 4月 8日
( 7)平成14年 5月
( 8)190勝195敗
( 9)左四つ、上手投げ
(10)177cm 120kg
豊田 幸司
とよだ こうじ
( 1)豊田 幸司
( 2)大阪府
( 3)朝日山[17]
( 5)序二段131
( 6)昭和52年 4月 4日
( 7)平成 6年 9月
( 8)19勝23敗
(10)174cm 135kg
徳長 勇二
とくなが ゆうじ
( 1)徳長 勇二
( 2)北海道
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)序ノ口57
( 6)昭和50年 4月25日
( 7)平成 5年 7月
( 8)7休
(10)178cm 105kg
波舞乃嶋 隆幸
はぶのしま たかゆき
( 1)嘉野 隆幸
( 2)鹿児島県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 4)若吉野→若嘉野→波舞乃嶋
( 5)序二段 9
( 6)昭和52年 8月 1日
( 7)平成 9年 3月
( 8)76勝85敗7休
(10)175cm 96kg
佐賀乃嶋 宗一
さがのしま そういち
( 1)山本 宗一
( 2)佐賀県
( 3)松ヶ根[ 9]
( 5)三段目96
( 6)昭和52年 4月22日
( 7)平成 9年 3月
( 8)82勝75敗11休
(10)175cm 118kg
(12)鳥栖西中学校では相撲部に所属し、佐賀県大会で優勝して全国大会に出場した。相撲部の先生に紹介されて入門した。
向濱 和志
むこはま かずし
( 1)濱 和志
( 2)大阪府
( 3)陸奥[ 8]
( 5)序ノ口54
( 6)昭和53年 2月 3日
( 7)平成 5年 9月
( 8)1勝10敗10休
(10)185cm 105kg
琴田中 延佳
ことたなか のぶまさ
( 1)田中 延佳
( 2)福井県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段116
( 6)昭和52年 6月17日
( 7)平成 6年 3月
( 8)17勝17敗8休
(10)174cm 79kg
豹雅 貢
ことひょうが みつぐ
( 1)越野 貢
( 2)石川県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 4)琴越野→琴豹
( 5)三段目19
( 6)昭和52年10月24日
( 7)平成11年 1月
( 8)119勝109敗17休
(10)174cm 102kg
(12)琴豹雅の名は琴錦が命名した。最初は琴豹牙だったが、字画の都合で牙を雅に変えた。
琴今田 智幸
ことこんだ ともゆき
( 1)今田 智之
( 2)山形県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)幕下55
( 6)昭和52年 9月 8日
( 7)平成10年 5月
( 8)107勝95敗15休
( 9)右四つ、寄り
(10)189cm 160kg
(12)同郷である琴の若の後援会関係者に体格の大きさを見出されて入門した。
引退後はトラックの運転手を務めた。
琴栗田 富夫
ことくりた とみお
( 1)栗田 富夫
( 2)群馬県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段149
( 6)昭和53年 1月15日
( 7)平成 7年 1月
( 8)28勝42敗7休
(10)173cm 78kg
琴乙山 建太郎
ことおとやま けんたろう
( 1)乙山 健太郎
( 2)新潟県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段19
( 6)昭和53年 1月30日
( 7)平成10年 7月
( 8)92勝110敗22休
(10)179cm 107kg
(12)黒崎町立黒崎中学校では相撲部に所属し、全国中学校相撲選手権大会にも出場した。新潟巡業で佐渡ヶ嶽に勧誘されて入門した。
琴小畑 恵介
ことおばた けいすけ
( 1)小畑 恵介
( 2)熊本県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段15
( 6)昭和52年 6月 1日
( 7)平成 6年 5月
( 8)18勝10敗21休
(10)191cm 110kg
(12)鶴城中学校で相撲部に所属し、全国中学校相撲選手権大会で団体優勝に貢献した。
琴神田 堅太郎
ことかんだ けんたろう
( 1)神田 堅太郎
( 2)埼玉県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序ノ口69
( 6)昭和52年12月23日
( 7)平成 5年 9月
( 8)4敗10休
(10)179cm 95kg
琴日野 一之
ことひの かずゆき
( 1)日野 一之
( 2)東京都
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 4)琴日野→琴泰河→琴日野
( 5)幕下 9
( 6)昭和53年 1月16日
( 7)平成16年 3月
( 8)239勝223敗
( 9)突き、押し
(10)177cm 125kg
(12)若葉小学校では 4〜 6年生にサッカーを経験し、調布第四中学校では柔道部に所属し、警察の道場にも通って初段の腕前だった。相撲には全く興味が無かったが、進路指導を受けた時に勉強が嫌いなだけの理由で力士志望を伝えてしまい、話が進んでしまった。入門する部屋は相撲好きの両親に任せたが、両親は琴櫻の贔屓で関取も多かったので佐渡ヶ嶽部屋に決まった。
郷司 秀樹
さとつかさ ひでき
( 1)東郷 秀樹
( 2)愛知県
( 3)入間川[16]
( 4)東郷→郷司
( 5)三段目81
( 6)昭和50年 1月18日
( 7)平成13年 9月
( 8)171勝172敗14休
(10)172cm 98kg
(12)八幡中学校では陸上部に所属し、短距離選手だった。卸しのアルバイトを約 2年続けたが18歳の時に力士を志し、入間川部屋を訪ねて入門した。
高良山 太一
たからやま たいち
( 1)岡本 誠司
( 2)岐阜県
( 3)東関[12]
( 4)高見飛騨→高良山
( 5)序二段100
( 6)昭和52年 7月 6日
( 7)平成 7年 1月
( 8)31勝31敗15休
(10)176cm 128kg
高見潮 道徳
たかみしお みちのり
( 1)島田 道徳
( 2)岩手県
( 3)東関[12]
( 5)序二段192
( 6)昭和52年 8月21日
( 7)平成 6年 5月
( 8)7勝4敗10休
(10)184cm 124kg
高見丸 和利
たかみまる かずとし
( 1)早川 和利
( 2)群馬県
( 3)東関[12]
( 4)早川→高見丸
( 5)序二段76
( 6)昭和52年 7月 5日
( 7)平成 9年 5月
( 8)73勝97敗7休
(10)183cm 111kg
(12)早川の弟。
玉対馬 成博
たまつしま まさひろ
( 1)中辻 成博
( 2)長崎県
( 3)片男波[12]
( 4)中辻→玉対島→玉対馬
( 5)序二段195
( 6)昭和52年 7月26日
( 7)平成 6年 9月
( 8)17勝29敗17休
(10)176cm 98kg
(12)中学校では砲丸投げを経験した。
平成 5年 5月に玉対島と誤って改名し、翌場所に玉対馬と再改名した。
式ノ海 圭介
しきのうみ けいすけ
( 1)畑田 圭介
( 2)福岡県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)畑田→式ノ海
( 5)幕下49
( 6)昭和52年 5月29日
( 7)平成18年 1月
( 8)262勝247敗30休
( 9)押し
(10)187cm 139kg
(12)中学校では柔道に打ち込み、高校に行きたくなかったのと、親が大賛成したので入門した。
式ノ海の名は、式守(秀五郎)の知人が命名した。
佐貫山 洸次
さぬきやま こうじ
( 1)木村 幸一
( 2)茨城県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)木ノ村→佐貫山
( 5)三段目35
( 6)昭和52年11月 7日
( 7)平成13年 9月
( 8)166勝184敗7休
(10)180cm 96kg
(12)八原小学校と愛宕中学校では野球を経験し、 3年生の運動会で見出されて勧誘され、母に反対されたが入門した。
佐貫山の名は部屋の所在地である佐貫町に因んで式守(秀五郎)の知人が命名した。
趣味は歌。
大乃潮 賢一
おおのしお けんいち
( 1)立石 聖
( 2)静岡県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)立石→大乃潮
( 5)幕下59
( 6)昭和52年 8月25日
( 7)平成16年 7月
( 8)227勝216敗33休
( 9)突き、押し、右四つ、寄り
(10)187cm 137kg
(12)南陽中学校では砲丸投げを経験した。
大乃潮の名は姓名判断に従って式守(秀五郎)の知人が命名した。
趣味は釣り。
竹垣 一
たけがき はじめ
( 1)竹垣 一
( 2)千葉県
( 3)立田川[14]
( 4)竹垣→竹ノ里→武の里→竹垣
( 5)幕下21
( 6)昭和52年10月10日
( 7)平成11年 7月
( 8)137勝122敗7休
( 9)右四つ、下手投げ
(10)179cm 134kg
(12)野田市立第一中学校では柔道を経験し、初段の腕前だった。母に相撲を勧められて先生に相談すると、立田川部屋の後援会会員が校長の知人だったので話が決まった。 3学期には、学校に来なくても卒業させると校長が計らってくれたので部屋に入って稽古に専念した。
松村 克男
まつむら かつお
( 1)松村 克男
( 2)鹿児島県
( 3)立田川[14]
( 4)松村→松ノ里→松村
( 5)三段目89
( 6)昭和49年 6月15日
( 7)平成11年 5月
( 8)120勝125敗14休
(10)180cm 119kg
(12)高校でレスリングを経験し、卒業して酒田建設に就職する予定だったが、入門した。
松ノ里の名は入門の 1年後に附けようと決めていた。
美濃櫻 克憲
みのざくら かつのり
( 1)中里 克憲
( 2)岐阜県
( 3)熊ヶ谷[12]→高島[13]
( 4)中里→美濃櫻
( 5)三段目75
( 6)昭和52年12月18日
( 7)平成17年 1月
( 8)216勝267敗14休
(10)177cm 148kg
桶谷 雅紀
おけたに まさき
( 1)桶谷 雅紀
( 2)京都府
( 3)九重[13]
( 5)序二段167
( 6)昭和52年 8月31日
( 7)平成 6年 7月
( 8)14勝22敗13休
(10)176cm 71kg
千代の宮 崇浩
ちよのみや たかひろ
( 1)甲斐 崇浩
( 2)宮崎県
( 3)九重[13]
( 4)甲斐→千代の宮
( 5)三段目58
( 6)昭和52年 5月17日
( 7)平成12年 7月
( 8)149勝133敗26休
(10)186cm 134kg
(12)千代の宮の名は郷里の宮崎県に因んで九重が命名した。
大ノ島 誠
おおのしま まこと
( 1)片山 誠
( 2)長崎県
( 3)九重[13]→八角[ 8]
( 5)三段目23
( 6)昭和51年 6月 9日
( 7)平成16年 3月
( 8)212勝225敗18休
(10)178cm 95kg
(12)漁師の二男で、相撲の西彼杵郡大会で優勝し、大崎高校を 1年生で中途退学して入門した。
大ノ島の名は郷里の大島町に因んだ。
竹村 恭明
たけむら やすあき
( 1)竹村 恭明
( 2)長野県
( 3)九重[13]
( 5)序ノ口63
( 6)昭和52年 5月19日
( 7)平成 5年 9月
( 8)1敗6休
(10)174cm 104kg
千代富輝 宏務
ちよふうき ひろむ
( 1)津村 匠
( 2)大阪府
( 3)九重[13]
( 4)津村→千代富輝
( 5)三段目63
( 6)昭和49年 6月 8日
( 7)平成 9年 9月
( 8)99勝90敗
(10)176cm 97kg
千代天満 晃
ちよてんま あきら
( 1)横山 満
( 2)福島県
( 3)九重[13]
( 4)横山→千代天満
( 5)幕下48
( 6)昭和52年 7月17日
( 7)平成16年 5月
( 8)228勝207敗34休
( 9)押し
(10)174cm 140kg
(12)広野中学校では柔道を経験し、巴富士後援会会員だった親戚に紹介されて入門した。
福天山 義彦
ふくてんざん よしひこ
( 1)日高 義彦
( 2)福岡県
( 3)三保ヶ関[10]→二十山[13]
( 4)日高→福天山
( 5)序二段149
( 6)昭和53年 2月 1日
( 7)平成10年 1月
( 8)73勝121敗10休
(10)179cm 108kg
肥後 俊和
ひご としかず
( 1)肥後 俊和
( 2)鹿児島県
( 3)井筒[13-14]
( 4)肥後→飛薩龍→鶴桜→鶴櫻→憲樹→肥後
( 5)幕下 8
( 6)昭和52年 6月19日
( 8)314勝282敗34休
( 9)右四つ、寄り
(10)182cm 140kg
(12)吉野中学校では柔道を経験し、鹿児島市大会で優勝して鹿児島県大会でも 3位に入賞した。以前から力士を志したが中学校では相撲部が無く伝も無いので諦めた。 3年生の夏に両親と船津温泉に行った時に井筒の親戚と偶然に会って勧誘され、両親の反対を押し切って入門した。
鶴桜の名は鶴ヶ嶺と桜島に因んで寺尾の知人が命名した。
趣味は睡眠。
丸碆 好弘
まるばえ よしひろ
( 1)丸碆 好弘
( 2)福岡県
( 3)井筒[13]
( 5)序ノ口 3
( 6)昭和52年 9月26日
( 7)平成 6年 3月
( 8)5勝6敗17休
(10)176cm 101kg
玉利 彰和
たまり あきかず
( 1)玉利 彰和
( 2)鹿児島県
( 3)井筒[13]
( 5)序ノ口45
( 6)昭和52年 6月17日
( 7)平成 5年 9月
( 8)3勝4敗7休
(10)184cm 110kg
丹后 良平
たんご りょうへい
( 1)丹后 良平
( 2)大阪府
( 3)大鵬
( 5)序二段180
( 6)昭和49年 4月15日
( 7)平成 5年 9月
( 8)6勝8敗7休
(10)176cm 109kg
田中 真吾
たなか しんご
( 1)田中 真吾
( 2)大阪府
( 3)大鵬
( 5)未出世
( 6)昭和49年 6月19日
( 7)平成 5年 5月
(10)173cm 75kg
旭豪丸 龍一
きょくごうまる りゅういち
( 1)上村 龍一
( 2)熊本県
( 3)大島[ 2]
( 4)上村→旭豪丸
( 5)三段目35
( 6)昭和52年 5月 2日
( 7)平成10年 1月
( 8)96勝89敗18休
(10)176cm 130kg
(12)旭熊天の兄。
旭豪丸の名は旭豪山に因んで自分で命名した。
北尾 勝也
きたお かつや
( 1)北尾 勝也
( 2)大阪府
( 3)大島[ 2]
( 5)序二段58
( 6)昭和50年 1月21日
( 7)平成 6年 3月
( 8)17勝11敗14休
(10)187cm 143kg
廣江 友彦
ひろえ ともひこ
( 1)廣江 友彦
( 2)鳥取県
( 3)中村[10]
( 5)序二段162
( 6)昭和52年12月23日
( 7)平成 7年 5月
( 8)28勝35敗7休
(10)181cm 86kg
(12)ハンガリーで育った。相撲好きの父に影響されて力士を志し、中村部屋の後援者に紹介されて平成 4年10月に来日した。
明るい性格。
剛翔富士 幸彦
ごうしょうふじ ゆきひこ
( 1)千本 幸彦
( 2)東京都
( 3)中村[10]
( 4)千本→剛翔富士
( 5)序二段149
( 6)昭和49年 4月 6日
( 7)平成 7年 9月
( 8)43勝62敗
(10)180cm 88kg
(12)剛翔富士の名は強そうな名前にしようと考え、野中と相談して決めた。
梅川 輝晃
うめかわ てるひさ
( 1)梅川 輝晃
( 2)京都府
( 3)中村[10]
( 5)序二段97
( 6)昭和49年 6月 7日
( 7)平成 7年 1月
( 8)36勝34敗7休
(10)178cm 83kg
和歌桜 康幸
わかざくら やすゆき
( 1)廣瀬 康幸
( 2)和歌山県
( 3)中村[10]
( 4)廣瀬→廣瀬富士→和歌桜
( 5)序二段163
( 6)昭和52年 4月20日
( 7)平成 5年 9月
( 8)8勝4敗9休
(10)176cm 155kg
(12)廃業後はタレント(安田大サーカスのHIRO)に転向した。
南乃富士 龍也
みなみのふじ りゅうや
( 1)大平 龍也
( 2)愛知県
( 3)中村[10]
( 4)大平→南乃富士
( 5)序二段37
( 6)昭和53年 3月30日
( 7)平成10年 1月
( 8)90勝106敗7休
(10)180cm 80kg
岩木山 英士
いわきやま えいじ
( 1)高橋 栄治
( 2)青森県
( 3)峰崎[ 7]
( 4)津軽浪→沖ノ石→岩木山
( 5)序二段65
( 6)昭和52年 4月23日
( 7)平成 8年 5月
( 8)49勝73敗11休
( 9)右四つ、寄り
(10)177cm 92kg
(12)子供の時は卓球を経験したが、浪岡中学校では相撲部に所属して青森県大会で活躍した。中学校 3年生の時に同級生のの父と峰崎が訪ねて来て勧誘され、冬休みにと一緒に部屋へ遊びに行って入門を決意した。も呼出として入門した。
沖ノ石の名は弘行の父が命名した。岩木山の名は郷里の山に因んで峰崎が命名した。
安神将 泰也
あしんしょう やすなり
( 1)府川 泰明
( 2)神奈川県
( 3)安治川[ 3- 4]
( 4)明ノ富士→安神将
( 5)序二段84
( 6)昭和51年12月 4日
( 7)平成 9年 7月
( 8)55勝54敗38休
(10)173cm 109kg
安大 哲士
あんだい さとし
( 1)木村 哲士
( 2)青森県
( 3)安治川[ 3- 4]
( 4)五所川原→安大
( 5)序二段93
( 6)昭和53年 3月23日
( 7)平成 6年11月
( 8)21勝18敗25休
(10)186cm 118kg
扇富士 利光
おうぎふじ としみつ
( 1)中澤 利光
( 2)大阪府
( 3)安治川[ 3- 4]→伊勢ヶ濱[ 9]
( 4)三国富士→安扇富士→扇富士
( 5)幕下41
( 6)昭和52年 4月23日
( 8)314勝299敗17休
( 9)突き、押し
(10)176cm 136kg
(12)日本蕎麦料理店の長男で、三国中学校では柔道を経験し、 3年生の11月に親の知人が旭富士の知人だった縁で旭富士が訪ねて来て勧誘された。スポーツ経験と言えば西三国小学校で柔道を齧った程度で、高校へ進学する予定だったが、勉強が嫌いでもあったので、迷った末に入門した。
安島灘 慎一
あじまなだ しんいち
( 1)島田 慎一
( 2)兵庫県
( 3)安治川[ 3- 4]
( 4)旭慎山→安島灘
( 5)序二段161
( 6)昭和52年 6月29日
( 7)平成 7年 9月
( 8)23勝28敗26休
(10)173cm 84kg
智ノ富士 力也
とものふじ りきや
( 1)立岡 力也
( 2)滋賀県
( 3)安治川[ 3- 4]→伊勢ヶ濱[ 9]
( 4)智ノ富士→安智泉→智ノ富士
( 5)三段目54
( 6)昭和52年10月 7日
( 8)278勝292敗25休
(10)178cm 130kg
伊勢ノ花 康祐
いせのはな やすまさ
( 1)棟方 康祐
( 2)青森県
( 3)安治川[ 3- 4]→伊勢ヶ濱[ 9]
( 4)旭棟方→安輝ノ花→伊勢ノ花
( 5)幕下23
( 6)昭和50年 1月 3日
( 8)325勝305敗
( 9)右四つ、寄り
(10)180cm 135kg
(12)五所川原商業高校では相撲部に所属し、先輩であり憧れの存在でもある安治川に声を掛けられて入門を決意した。
杉の山 宗祐
すぎのやま そうすけ
( 1)浅田 宗祐
( 2)大阪府
( 3)高田川[ 8]
( 4)浅田→杉の山
( 5)幕下20
( 6)昭和53年 2月16日
( 7)平成11年11月
( 8)133勝119敗28休
( 9)左四つ、寄り
(10)185cm 132kg
(12)小学校 3年生まで相撲を経験し、松原市立松原中学校の柔道部に所属し、同じ部員である山内の入門に刺激を受けて入門を決意した。山内の親に連絡を受けた日が新弟子検査の前日で、駆け附けた山響に連れられて入門した。
杉の山の名は「すくすく伸びていくように」との願いを込めて 3月場所の宿舎だった観心寺の住職が命名した。
趣味は読書とロック音楽鑑賞。
上田山 孝一
うえだやま こういち
( 1)上田 孝一
( 2)高知県
( 3)武蔵川[14]
( 4)上田→上田山
( 5)序ノ口26
( 6)昭和53年 1月 9日
( 7)平成 5年 5月
( 8)7休
(10)175cm 124kg
武乃陸 道寛
たけのみち みちひろ
( 1)平野 道寛
( 2)福岡県
( 3)武蔵川[14]
( 4)平野→平野山→武乃陸
( 5)序二段11
( 6)昭和49年 4月19日
( 7)平成16年 1月
( 8)216勝234敗5休
(10)171cm 163kg
(12)平野の兄。
越ノ山 明
こしのやま あきら
( 1)永井 明
( 2)新潟県
( 3)武蔵川[14]
( 4)永ノ井→太陽→越ノ山
( 5)三段目 3
( 6)昭和52年 8月18日
( 7)平成19年 7月
( 8)289勝265敗48休
( 9)押っ附け、押し
(10)175cm 121kg
平成 5年 5月 初土俵
出羽風 純
でわかぜ じゅん
( 1)八代谷 純
( 2)兵庫県
( 3)出羽海[ 9-10]
( 4)八代谷→出羽風
( 5)三段目79
( 6)昭和53年 1月12日
( 7)平成11年 5月
( 8)122勝123敗7休
(10)171cm 77kg
高野 義教
たかの よしゆき
( 1)高野 義教
( 2)滋賀県
( 3)高砂[ 6]
( 5)序二段109
( 6)昭和52年 8月 2日
( 7)平成 8年 5月
( 8)51勝61敗14休
(10)180cm 94kg
若三剛 寿
わかみごう ひさし
( 1)高島 剛
( 2)大阪府
( 3)間垣[18]
( 4)若高島→若泉→若三剛
( 5)三段目15
( 6)昭和53年 2月 4日
( 8)268勝249敗106休
(10)175cm 116kg
千葉 優士
ちば まさし
( 1)千葉 優士
( 2)青森県
( 3)[22]
( 5)序二段25
( 6)昭和52年 3月24日
( 7)平成 8年 5月
( 8)58勝51敗17休
(10)170cm 87kg
(12)建具店の長男で、家業を継ぐつもりだったが、七戸高校へ進学してからも、昔から好きだった相撲で自分の力を試したいという思いをどうしても捨てきれず、両親を説得して入門した。
穴見 博之
あなみ ひろゆき
( 1)穴見 博之
( 2)福岡県
( 3)[22]
( 5)序ノ口34
( 6)昭和51年 1月 8日
( 7)平成 6年 5月
( 8)10勝18敗7休
(10)170cm 78kg
市ノ花 市仁
いちのはな いちひと
( 1)阿部 市仁
( 2)青森県
( 3)[22]
( 5)三段目31
( 6)昭和53年 2月11日
( 7)平成12年 9月
( 8)143勝123敗42休
(10)185cm 126kg
(12)六ヶ所村立千歳中学校では野球部に所属して捕手を務めたが、知人に勧められて入門した。
趣味はブラックバス釣り。
雄花 新治
ゆうか しんじ
( 1)佐藤 新治
( 2)愛知県
( 3)花籠[15]
( 5)序二段154
( 6)昭和52年 6月 3日
( 7)平成 7年 7月
( 8)37勝47敗7休
(10)171cm 109kg
浪ノ洋 清徳
なみのなだ きよのり
( 1)表西 清博
( 2)兵庫県
( 3)花籠[15]
( 4)表西→浪ノ洋
( 5)序二段152
( 6)昭和52年 4月28日
( 7)平成 7年 7月
( 8)14勝14敗7休
(10)173cm 111kg
大使山 尚紀
たいしやま なおき
( 1)近藤 尚紀
( 2)奈良県
( 3)大鳴戸[11]
( 5)序ノ口61
( 6)昭和51年 4月 9日
( 7)平成 6年 3月
( 8)7休
(10)180cm 105kg
(12)天理中学校では柔道部に所属し、卒業後にガソリンスタンドなどでアルバイトをしていて大鳴戸部屋の関係者に体格の大きさを見出されて勧誘された。迷った末に自分の力を試してみようと考えて入門を決意した。
藤嵐 祐介
ふじあらし ゆうすけ
( 1)藤井 祐介
( 2)大阪府
( 3)伊勢ノ海[11]
( 5)三段目38
( 6)昭和52年12月28日
( 8)290勝319敗14休
(10)184cm 138kg
(12)堺市立赤坂台中学校ではバスケットボールを経験した。親戚が先代 伊勢ノ海の知人だった縁で入門した。
藤嵐の名は本名の姓に因んで伊勢ノ海が命名した。
優樹 悟史
ゆうき さとし
( 1)斎藤 悟史
( 2)新潟県
( 3)[22]
( 5)序二段126
( 6)昭和52年 9月30日
( 7)平成 6年 3月
( 8)13勝8敗14休
(10)173cm 72kg
(12)豊山の従兄弟の長男。
相撲が好きで力士に憧れて入門した。
優樹の名は「優秀で、地に根を生やす木の様な力士になるように」との願いを込めてが命名した。
朝二宮 政志
あさにのみや まさし
( 1)二宮 政志
( 2)東京都
( 3)若松[11]
( 5)序二段175
( 6)昭和49年11月21日
( 7)平成 7年 1月
( 8)25勝38敗7休
(10)180cm 87kg
朝西春 嘉則
あさにしはる よしのり
( 1)伊藤 嘉則
( 2)愛知県
( 3)若松[11]
( 5)序二段44
( 6)昭和48年 9月15日
( 7)平成10年 1月
( 8)90勝97敗11休
(10)176cm 98kg
(12)1痛分
朝小田 益士
あさおだ やすし
( 1)小田 益士
( 2)京都府
( 3)若松[11]
( 5)序二段164
( 6)昭和52年12月13日
( 7)平成 6年 9月
( 8)20勝22敗7休
(10)172cm 100kg
堤 健一
つつみ けんいち
( 1)堤 健一
( 2)青森県
( 3)宮城野[10]
( 5)序ノ口50
( 6)昭和52年 4月 5日
( 7)平成 5年11月
( 8)2勝5敗7休
(10)174cm 84kg
緒方 悟志
おがた さとし
( 1)緒方 悟志
( 2)愛知県
( 3)春日野[10]
( 5)序二段21
( 6)昭和51年 6月 8日
( 7)平成14年 1月
( 8)176勝188敗
(10)173cm 105kg
山下 勝則
やました かつのり
( 1)山下 勝則
( 2)長崎県
( 3)春日野[10]
( 5)序二段171
( 6)昭和53年 2月12日
( 7)平成 7年 3月
( 8)30勝40敗7休
(10)176cm 111kg
高里 盛秀
たかざと もりひで
( 1)高里 盛秀
( 2)沖縄県
( 3)春日野[10]
( 5)序二段28
( 6)昭和47年12月 9日
( 7)平成 7年 1月
( 8)26勝15敗29休
( 9)突き、押し
(10)190cm 155kg
(12)沖縄尚徳学園高校では柔道部に所属し、 1学年下には阿嘉が居た。沖縄国際大学から勧誘されたが警察官を志望し、試験を受けたが不合格とされ、卒業後はJR東日本の関連会社で警備業に従事した。仕事で神奈川県に行った時に東京の友達の家へ泊まったが、近くの中華料理店に行くと、春日野の知人であった店の主人に勧誘され、連絡を受けて訪ねて来た千賀ノ浦にも勧誘されて入門した。
琴中島 洋介
ことなかじま ようすけ
( 1)中島 洋介
( 2)長野県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)未出世
( 6)昭和51年 7月 8日
( 7)平成 5年 9月
(10)176cm 86kg
大天山 達彦
だいてんざん たつひこ
( 1)堤添 達彦
( 2)大阪府
( 3)三保ヶ関[10]→二十山[13]
( 4)堤添→大天山
( 5)序二段166
( 6)昭和53年 2月16日
( 7)平成 7年 1月
( 8)24勝32敗
(10)173cm 101kg
富士ノ風 真弘
ふじのかぜ まさひろ
( 1)田尾 真弘
( 2)兵庫県
( 3)尾車[ 8]
( 4)田尾→富士ノ風
( 5)幕下14
( 6)昭和52年 6月24日
( 8)316勝293敗14休
( 9)右四つ、寄り
(10)181cm 174kg
(12)伊丹市立笹原中学校では野球部に所属し、一塁手と五番打者を務めた。力士を志していなかったが、知人に紹介されて 2年生の春に大阪の宿舎で尾車と会って勧誘され、入門を決意した。
千代の蘭 健太
ちよのらん けんた
( 1)宇佐見 健太郎
( 2)東京都
( 3)九重[13]
( 4)宇佐見→千代の蘭
( 5)三段目98
( 6)昭和52年 8月 8日
( 7)平成13年 1月
( 8)126勝140敗42休
(10)172cm 101kg
小濱山 光雄
おばまやま みつお
( 1)小濱 光雄
( 2)鹿児島県
( 3)九重[13]
( 5)序二段10
( 6)昭和52年 7月19日
( 7)平成12年 1月
( 8)130勝126敗24休
(10)185cm 110kg
(12)濱の弟。
北 忠好
きた ただよし
( 1)北 忠好
( 2)東京都
( 3)九重[13]
( 5)序二段176
( 6)昭和51年10月 1日
( 7)平成 6年 5月
( 8)9勝7敗12休
(10)174cm 75kg
佐藤山 修
さとうやま おさむ
( 1)佐藤 修
( 2)長野県
( 3)九重[13]
( 5)未出世
( 6)昭和52年 5月 1日
( 7)平成 5年 9月
(10)173cm 92kg
北勝洋 義朗
ほくとなだ よしあき
( 1)佐藤 義朗
( 2)大阪府
( 3)九重[13]
( 5)序ノ口67
( 6)昭和51年10月28日
( 7)平成 5年 9月
( 8)7休
(10)178cm 117kg
白石 孝夫
しらいし たかお
( 1)白石 孝夫
( 2)千葉県
( 3)九重[13]
( 5)序二段30
( 6)昭和53年 4月 1日
( 7)平成 9年 9月
( 8)82勝85敗15休
(10)180cm 119kg
秀光山 武
しゅうこうざん たけし
( 1)中世古 忍
( 2)三重県
( 3)式守(秀五郎)[ 9]
( 4)中世古→秀光山
( 5)序二段88
( 6)昭和51年 5月13日
( 7)平成13年 7月
( 8)138勝191敗7休
(10)170cm 93kg
平成 5年 7月 初土俵
多胡 秀樹
たご ひでき
( 1)多胡 秀樹
( 2)群馬県
( 3)[22]
( 5)序ノ口58
( 6)昭和49年 9月 4日
( 7)平成 6年 1月
( 8)7休
(10)186cm 135kg
若鷲羽 慎吾
わかわしゅう しんご
( 1)江里口 慎吾
( 2)神奈川県
( 3)出羽海[ 9-10]
( 4)江里口→若鷲羽
( 5)三段目77
( 6)昭和53年 2月 3日
( 7)平成10年 5月
( 8)98勝99敗6休
(10)180cm 85kg
(12)東京工業高校ではレスリングを経験し、 1年生で中途退学して入門した。
甲旺 隆一
かぶとおう りゅういち
( 1)赤堀 隆一
( 2)神奈川県
( 3)甲山[ 9]
( 4)赤堀→甲旺
( 5)序二段17
( 6)昭和53年 1月22日
( 7)平成14年 5月
( 8)167勝199敗5休
(10)176cm 80kg
(12)横浜市立都田中中学校では野球部に所属して一塁手として活躍したが、子供の時から相撲が好きで舞の海を贔屓にし、自分の力を試そうと考えて入門を決意した。
甲旺の名は「これから大きくなれ」との願いを込めて本人が命名した。
浜嵐 成栄
はまあらし なりさか
( 1)林 成栄
( 2)静岡県
( 3)宮城野[10]
( 4)林→浜嵐
( 5)三段目45
( 6)昭和50年10月 4日
( 7)平成11年 9月
( 8)129勝123敗7休
(10)184cm 125kg
(12)浜嵐の名は郷里の浜松市に因んで若隼人が命名した。
森木 雅直
もりき まさなお
( 1)森木 雅直
( 2)大阪府
( 3)井筒[13-14]
( 5)序ノ口44
( 6)昭和51年 7月13日
( 7)平成 6年 5月
( 8)3勝4敗7休
(10)180cm 119kg
矢風 博義
やかぜ ひろよし
( 1)柳田 博義
( 2)埼玉県
( 3)尾車[ 8]
( 4)柳田→矢風
( 5)序二段207
( 6)昭和51年11月11日
( 7)平成 7年 3月
( 8)24勝40敗6休
(10)175cm 70kg
平成 5年 9月 初土俵
安咲海 昭吾
あさきうみ しょうご
( 1)野津 昭吾
( 2)愛知県
( 3)安治川[ 4]
( 4)野津→安咲海
( 5)幕下45
( 6)昭和50年12月 1日
( 7)平成17年 9月
( 8)252勝227敗25休
( 9)右四つ、寄り
(10)181cm 138kg
(12)中学校を卒業して自動車整備の専門学校に通ったが、安治川に勧誘されて 3年生で中途退学して入門した。
安曇富士 司
あずみふじ つかさ
( 1)岡田 司
( 2)兵庫県
( 3)安治川[ 4]
( 4)岡田→安曇富士
( 5)序二段23
( 6)昭和52年11月23日
( 7)平成 7年11月
( 8)39勝34敗18休
( 9)押し
(10)173cm 121kg
(12)蓮池小学校 5年生で相撲を始めで近くの市川高校に通って稽古し、 6年生のわんぱく相撲全国大会に出場した。播磨中学校でも兵庫県大会や近畿大会で活躍した。兵庫県大会を観に来ていた旭富士に勧誘されたが身長が169cmだったので見送った。市川高校でも相撲部に所属し、新弟子検査合格を目指して牛乳を飲んだり鉄棒にぶら下がったりといった対策を毎日続け、 1学期で中途退学して入門した。新弟子検査では身長が172.5cmだったが、測定係の北の湖が負けてくれて合格できた。
琴古場 優一郎
ことこば ゆういちろう
( 1)古場 優一郎
( 2)愛知県
( 3)佐渡ヶ嶽[12]
( 5)序二段63
( 6)昭和50年10月11日
( 7)平成 7年 9月
( 8)36勝34敗14休
(10)176cm 100kg
(12)岐阜第一高校では柔道部に所属した。入門に当たって中途退学する予定だったが、柔道部の監督に説得されて高校生活を続けながら力士生活を始めた。
真面目な性格。
姫ノ若 健一
ひめのわか けんいち
( 1)田村 健一
( 2)大阪府
( 3)花籠[15]
( 4)田村→姫ノ若
( 5)序二段195
( 6)昭和52年 9月22日
( 7)平成 8年 7月
( 8)13勝15敗7休
(10)175cm 125kg
(12)平成 5年 3月の新弟子検査では内臓検査で不合格とされ、稽古を続けながらの治療を約半年間も行い、 9月に漸く合格した。
昇司 高志
しょうつかさ たかし
( 1)苅谷 高志
( 2)愛知県
( 3)入間川[16]
( 4)苅谷→昇司
( 5)序二段55
( 6)昭和50年 9月 9日
( 7)平成13年 9月
( 8)142勝172敗15休
(10)174cm 122kg
(12)春日丘高校を 1年生で中途退学して材木店で働いたが力士を志し、同郷の入間川に電話して入門を志願した。
勝又 和行
かつまた かずゆき
( 1)勝又 和行
( 2)千葉県
( 3)九重[13]
( 5)序ノ口57
( 6)昭和53年 1月24日
( 7)平成 6年 1月
( 8)7敗7休
(10)173cm 130kg
吉田 隆浩
よしだ たかひろ
( 1)吉田 隆浩
( 2)大阪府
( 3)陸奥[ 8]
( 5)序二段208
( 6)昭和52年 5月11日
( 7)平成 6年 9月
( 8)8勝13敗14休
(10)182cm 105kg
平成 5年11月 初土俵
日勝洋 正樹
にっしょうなだ まさき
( 1)石田 正樹
( 2)北海道
( 3)八角[ 8]
( 4)石田→日勝洋
( 5)序二段13
( 6)昭和52年 9月30日
( 7)平成11年 3月
( 8)112勝97敗15休
(10)180cm 125kg
(12)鹿追高校までは柔道を経験したが、八角に勧誘されて 1年生で中途退学して入門した。
日勝洋の名は郷里の鹿追町町長が命名した。
津田 貴道
つだ たかみち
( 1)津田 貴道
( 2)山口県
( 3)放駒[17]
( 4)津田→魁雲→津田
( 5)三段目92
( 6)昭和50年10月19日
( 7)平成10年 5月
( 8)80勝69敗40休
( 9)突き、押し
(10)181cm 115kg
(12)小学校 5年生から柔道を習い、富田中学校では山口県大会で入賞する活躍をした。南陽工業高校でも柔道を続けたが部員が 3人しか居なくて背部寸前の状態で稽古もできなかったので、 1年生の終わりに相撲部へ入部し、山口県大会で優勝した。 3年生の夏に放駒の知人である先生の紹介で放駒と会った時は不安を感じて入門を決意できなかったが、秋に入って決意し、少しでも入門が早い方が良いと考えて中途退学して入門した。
魁雲の名は部屋の若者頭 花ノ国が命名した。
廣瀬 公貞
ひろせ まさただ
( 1)廣瀬 公貞
( 2)東京都
( 3)荒磯[12]
( 5)未出世
( 6)昭和47年11月13日
( 7)平成 6年 1月
(10)174cm 105kg
北海竜 寛美
ほっかいりゅう ひろみ
( 1)渡辺 寛美
( 2)北海道
( 3)高島[13]
( 5)序二段172
( 6)昭和47年 4月12日
( 7)平成 7年 3月
( 8)15勝20敗7休
(10)178cm 118kg
(12)苫小牧南高校を卒業後は音楽家を志望して東京の音楽専門学校に通ったが、昔から相撲が好きだったので、体格もそこそこだし自分の力を試してみようと考え、入門した。
北海竜の名は郷里の北海道に因んだ。
天ノ舞 典夫
てんのまい のりお
( 1)小池 典夫
( 2)愛知県
( 3)高島[13]
( 5)序ノ口57
( 6)昭和50年 1月25日
( 7)平成 6年 1月
( 8)7休
(10)174cm 76kg
(12)稲沢市立大里中学校ではバレーボール部に所属し、アタッカーを務めた。卒業後は高校に進学したものの中途退学して就職したが、中学校の 1年後輩である高橋が入門した話を聞き、自分もやろうと思い立って入門した。
北村 創
きたむら はじめ
( 1)北村 創
( 2)福岡県
( 3)二子山[11]
( 5)序二段136
( 6)昭和52年 9月 5日
( 7)平成 7年 9月
( 8)31勝39敗7休
(10)170cm 67kg
白乃龍 尚隆
はくのりゅう なおたか
( 1)中西 洋治
( 2)兵庫県
( 3)井筒[13-14]
( 4)中西→白乃龍
( 5)三段目31
( 6)昭和52年 4月 4日
( 8)288勝263敗52休
( 9)左四つ、寄り
(10)186cm 136kg
(12)桃山台中学校では柔道を経験し、払い腰を得意として初段の腕前で、神戸市大会でも活躍した。 3年生の時に井筒部屋の京都後援会会員に井筒を紹介された。神戸弘陵高校に進学して柔道を続けたが、相撲の方が良いと考えて 1学期で中途退学して入門した。
白乃龍の名は、伝説で神戸市垂水区の山に住むとされる白い龍に因んだ。下の名の尚隆は姓名判断に因んだ。
趣味は喋り。

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