朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう)

本名バダルチ ダシニャム生年月日昭和56年 8月 7日
出身地モンゴル国ウランバートル市(旧 モンゴル人民共和国ウランバートル市)初土俵平成12年 1月
所属若松[11]→高砂[ 7]新十枚目平成14年 7月
 新入幕平成15年 3月
最高位関脇 
幕内略歴 朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう)
平成15年 3月 東前10  6勝 9敗
平成15年 5月 西前13  8勝 7敗
平成15年 7月 西前 9 10勝 5敗
平成15年 9月 東前 4  7勝 8敗
平成15年11月 西前 4  3勝12敗
平成16年 1月 東前12  7勝 8敗
平成16年 3月 西前12 13勝 2敗 次殊技
平成16年 5月 東前 2  3勝12敗
平成16年 7月 西前10 11勝 4敗
平成16年 9月 東前 4  4勝11敗
平成16年11月 東前10  7勝 8敗
平成17年 1月 東前11  8勝 7敗
平成17年 3月 西前 9  8勝 7敗
平成17年 5月 西前 8  8勝 7敗
平成17年 7月 西前 7  6勝 7敗 2休(右膝内側側副靱帯損傷)
平成17年 9月 東前10  6勝 2敗 7休(同上)
平成17年11月 西前12  9勝 6敗
平成18年 1月 西前 4  5勝10敗
平成18年 3月 西前 8 10勝 5敗
平成18年 5月 東前 2 10勝 5敗 
平成18年 7月 東小結  1勝 2敗12休(左第一趾足根中足関節靱帯損傷)
平成18年 9月 西前 9  7勝 8敗
平成18年11月 西前 9 10勝 5敗
平成19年 1月 東前 6 10勝 5敗
平成19年 3月 西前 2  4勝11敗
平成19年 5月 西前 8 12勝 3敗 次技
平成19年 7月 西前 1  8勝 7敗
平成19年 9月 西関脇  8勝 7敗
平成19年11月 西関脇  3勝12敗
平成20年 1月 西前 4 10勝 5敗
平成20年 3月 東前 1  8勝 7敗
平成20年 5月 西小結  6勝 9敗
平成20年 7月 東前 2  8勝 7敗
平成20年 9月 西小結  4勝11敗
平成20年11月 東前 5  5勝10敗
平成21年 1月 東前 8  6勝 9敗
平成21年 3月 東前11  9勝 6敗
平成21年 5月 東前 7  5勝10敗
平成21年 7月 東前12  9勝 6敗
平成21年 9月 東前 6  6勝 9敗
平成21年11月 東前10  8勝 7敗
平成22年 1月 西前 8  6勝 9敗
平成22年 3月 東前11 10勝 5敗
平成22年 5月 西前 4  9勝 6敗
平成22年 7月 西前 1  4勝11敗
平成22年 9月 西前 6  9勝 6敗
平成22年11月 西前 2  6勝 9敗
平成23年 1月 西前 5  6勝 9敗
平成23年 5月 西前 9  7勝 8敗
平成23年 7月 西前 9  6勝 9敗
平成23年 9月 西前12  7勝 8敗
平成23年11月 西前13  6勝 9敗
平成24年 1月 東前15  9勝 6敗
平成24年 3月 東前11  5勝10敗
平成24年 5月 東前14  6勝 9敗

平成24年 9月 東前13  8勝 7敗
平成24年11月 西前 9  3敗12休  (右足関節捻挫)


通算 57場所 400勝422敗33休 次2殊1敢1技2
得意手右四つ、寄り、投げ身長 体重186cm 147kg
備考モンゴル相撲のナチン(鷹を意味し、小結に相当する)の二男で、両親は共働きだったので夏の 3ヶ月間は兄弟と一緒に田舎の実家に行かされて遊牧民の生活も体験した。 6歳から12歳までナーダムの競馬に出場し続け、子供には難しいと言われる荒馬の調教も会得した。12歳でモンゴル相撲クラブ「オダム」に兄と一緒に入って基礎体力を鍛えた。13歳から来日直前までバスケットボールを習い、15歳から 1年間ほど柔道クラブに通い、相撲自体の練習はナーダムの 1ヶ月前に練習する程度で少なかったが、兄に「絶対に相撲で伸びる」と言われ、明徳義塾高校が相撲留学生を募集した時にも自分の事の様に参加を熱心に勧められたが、当時は勉強が得意で化学の専門学校にも通っていたので、スポーツ選手ではなく違う道に進んでほしいと望んでいた母からは反対された。ナーダムの少年相撲に出場できる最後の年である1997年 7月に両親は大会に向けて合宿に参加させようと相談していたが、相撲留学生の最後の選考会も同時期に開かれるので、兄と一緒に熱心に頼んで選考会に出場させてもらい、200人の中から勝ち抜いて選ばれた。反対していた母も、明徳義塾高校の校長と相撲部監督が家に来て、しっかり高校へも通って将来も大相撲への入門だけでなく大学への進学も選択できる旨の説明を聞いて納得したので、入門が許された。平成 9年 9月に柔道クラブの仲間だったダグワドルジと共に来日し、卒業後は日本での大学への進学も考えたが、ずっと一緒だったダグワドルジが先に入門していた上に同級生の久保も入門を決意したので、自分も入門を決意した。
朝赤龍 太郎の名は同郷・同学・同部屋の朝青龍朝潮 太郎に因んだ。
趣味は映画鑑賞・ラジコン。

年号・西暦対応表

[相撲人名鑑]


[大相撲 記録の玉手箱]

この頁に関する問い合わせはまで

当サイトの文章・写真など全ての内容物の転載を禁ずる。
Any reproduction of any of its content is prohibited.
本網内容及版権帰本人所有、不得複制、転載。