竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに)

本名田崎 誠生年月日昭和32年 8月21日
出身地福岡県うきは市(旧 福岡県浮羽郡、出生地は福岡県北九州市(旧 福岡県八幡市))初土俵昭和48年 3月
所属宮城野[ 8- 9]新十枚目昭和53年11月
改名歴田嵜→筑葉山→竹葉山新入幕昭和61年 9月
最高位前13最終平成元年 1月
幕内略歴 竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに)
昭和61年 9月 東前13 6勝 9敗

昭和62年 1月 東前14 5勝10敗


通算 2場所 11勝19敗
得意手突き、押し身長 体重176cm 116kg
年寄名中川[10]→宮城野[10]→熊ヶ谷[15]→宮城野[12] 
備考子供の時から体格が大きく、黒崎小学校 6年生で相撲を始めて福岡県の体育大会で優勝し、黒崎中学校でも相撲を続けたかったが相撲部が無いので仕方無く野球部に所属した。最初は力士を志さなかったが、宮城野部屋の後援会会員から勧誘されると自分の努力次第で昇進できる世界に魅力を感じ、家族にも反対されず自分で決めろと言われたので入門した。
筑葉山の名は筑後と吉葉山に因んだ。竹葉山の名は、読みは同じまま宮城野が「竹は撓っても元に戻る」意味を込めて命名した。
小兵だが、立ち合いに激しく頭で当たって筈で一気に押す正攻法の取り口は闘志に溢れ、特に怪力を生かした右の攻めが強く、新弟子の時には横綱をも吊り上げる陸奥嵐に腕相撲で勝ったり、立浪部屋へ出稽古に行って黒姫山から「お前の右押っ附けは幕内級だ」と言われた程だったが、弱い左から攻められず突き押しで攻め切れないので幕内に定着できなかった。
無類の稽古熱心。
十枚目昇進を果たしたが 1場所で幕下へ降下して長く低迷したが、昭和58年 1月に再昇進した時に、化粧廻しに描かれていて顔が少し下向きだった猪を、「上位を目指すように」と宮城野に言われて顔が上向きの猪に変えた。
昭和61年 1月に鼻骨を骨折したが、翌場所も怖がらず頭で当たる相撲を取った。
思い出に残る取組として、昭和59年 5月 9日目に目標にしていた富士櫻に勝った取組を挙げた。
「白鵬「山」を越える男」を著した。

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