| 本名 | 山口→古田 元行 | 生年月日 | 昭和17年 6月 7日 |
| 出身地 | 鹿児島県薩摩川内市(旧 鹿児島県川内市) | 初土俵 | 昭和33年 7月 |
| 所属 | 井筒[10] | 新十枚目 | 昭和37年 7月 |
| 改名歴 | 川内→逆鉾 | 新入幕 | 昭和38年 5月 |
| 最高位 | 前 6 | 最終 | 昭和38年11月 |
| 幕内略歴 |
逆鉾 與治郎(さかほこ よじろう) 昭和38年 5月 西前14 11勝 4敗 敢 昭和38年 7月 東前 6 6勝 9敗 昭和38年 9月 東前 8 7勝 8敗 昭和38年11月 東前 9 15休 (脱走) 通算 4場所 24勝21敗15休 敢1 | ||
|---|---|---|---|
| 得意手 | 突っ張り、左四つ、出し投げ、内掛け | 身長 体重 | 176cm 90kg |
| 備考 | 中学生で柔道を始め、足腰と運動神経の良さで瞬く間に強さを発揮したのを川内出身の県会議員に見出され、井筒部屋に紹介されて入門した。 新弟子検査では身長不足で不合格だったが、「もう 1度測って下さい」と頼み、背伸びして合格した。 川内の名は出身地の川内市に因んだ。 小兵だが足腰が抜群に強く、回転の速い突っ張りから出し投げや内掛けを始めとする多彩な技を繰り出す俊敏な取り口。 順調な昇進で将来を期待されたが人気に溺れて稽古を疎かにし始め、昭和38年 9月後の大阪準場所中に脱走した。普通なら廃業だが将来を惜しんだ一門の年寄衆は休場扱いにしてくれ、探し出されて説得されたが聞き入れず自分で髷を切り、報道関係者にも廃業を発表してしまった。協会も惜しんで昭和39年 1月番附では名前こそ消したものの除名ではなく謹慎扱いとして、復帰を受け入れる体勢を作ったが、本人に続行の意志が無いのではどうしようも無いので止む無く廃業届を受理した。21歳の若さでの廃業は相撲関係者に惜しまれ、中でも弟の様に可愛がって来た兄弟子の鶴ヶ嶺の落胆振りは酷かった。物事を何でも徹底的にする(しない)性格で、巧く立ち回れなかったのも災いした。 史上最少幕内在位の三賞受賞力士。 廃業後は京都で相撲料理店「ちゃんこ逆鉾」を経営した。 | ||
まで