羽黒山 政司(はぐろやま まさじ)

本名小林 正治生年月日大正 3年11月18日
出身地新潟県新潟市(旧 新潟県西蒲原郡)初土俵昭和 9年 1月
所属立浪[ 4- 5]新十枚目昭和12年 1月
 新入幕昭和12年 5月
最高位横綱最終昭和28年 9月
幕内略歴 羽黒山 政五郎(はぐろやま まさごろう)
昭和12年 5月 西前16  9勝 4敗
昭和13年 1月 東前 5 10勝 3敗
昭和13年 5月 東小結  7勝 6敗
昭和14年 1月 東小結  8勝 4敗 1分
昭和14年 5月 東関脇 11勝 4敗
羽黒山 政司(はぐろやま まさじ)
昭和15年 1月 東大関 11勝 4敗
昭和15年 5月 東大関  7勝 5敗 3休(虫垂炎)
昭和16年 1月 西大関 14勝 1敗
昭和16年 5月 西大関 14勝 1敗
昭和17年 1月 東張横 13勝 2敗
昭和17年 5月 東張横  2勝 4敗 9休(急性腎臓炎・胃カタル)
昭和18年 1月 西張横 13勝 2敗
昭和18年 5月 東張横 14勝 1敗
昭和19年 1月 西張横 12勝 3敗
昭和19年 5月 東横綱 10勝
昭和19年11月 東横綱  7勝 3敗
昭和20年 6月 西横綱  5勝 2敗
昭和20年11月 西横綱 10勝
昭和21年11月 西横綱 13勝
昭和22年 6月 東横綱  9勝 1敗 
昭和22年11月 東横綱 10勝 1敗 
昭和23年 5月 東横綱 11休    (右アキレス腱断裂)
昭和23年10月 西横綱 11休    (同上)
昭和24年 1月 西横綱 13休    (同上)
昭和24年 5月 西張横 11勝 4敗
昭和24年10月 西横綱 12勝 3敗 
昭和25年 1月 東横綱  6勝 4敗 5休(右アキレス腱断裂後遺症)
昭和25年 5月 東横綱 12勝 3敗 
昭和25年 9月 西横綱  4勝 1敗10休(左膝関節打撲)
昭和26年 1月 東張横 12勝 3敗
昭和26年 5月 西横綱 10勝 5敗
昭和26年 9月 東張横 10勝 5敗
昭和27年 1月 東張横 15勝   
昭和27年 5月 東横綱  7勝 3敗 5休(左足親指ひょう疽)
昭和27年 9月 東張横  4勝 3敗 8休(発作型慢性虫垂炎)
昭和28年 1月 西張横  9勝 6敗
昭和28年 3月 東横綱 15休    (右手親指骨折)
昭和28年 5月 西張横  3敗12休  (左膝関節捻挫)
昭和28年 9月 東張横 15休    (引退)


通算 39場所 321勝94敗1分117休 優3次2
得意手左四つ、寄り、吊り、上手投げ身長 体重179cm 130kg
年寄名羽黒山→立浪[ 5]没年月日昭和44年10月14日(54歳)
備考緑嶌の婿、安念山の岳父、三段目 越ノ花の親戚。
農家の三男で、土地相撲で活躍した父の血を引いたのか大兵だった。郷里の風習で風呂屋の主人を志して昭和 4年 1月に上京し、伯母が経営する両国の風呂屋「朝日湯」に奉公した。隣は錦嶌部屋で、入門を勧誘されても断り続けたが、今度は非凡な体格を見出した立浪が毎日の様に来始め、背中を流す間ずっと熱心に勧誘され続けるので遂には嫌がって伯父が経営する世田谷の風呂屋に逃げ込む程だったが「横綱になれば、もっと親孝行ができる」と聞いて入門を決意した。
羽黒山の名は郷里の羽黒に因んだ。
骨太で鋼鉄の如き体格ながら最初は右前褌を浅く取って頭を附けて押しか寄りで攻める堅実な取り口だったが相撲が小さいと批判され、体格が充実してからは左差しで怪力を生かして右上手を引き附け、胸を合わせて吊りながら寄って攻め、時に豪快な上手投げで叩き附ける攻撃的な取り口に変わった。少し腰が固いので速攻の力士や柔軟な体格の力士に苦戦する場合も有った。
本中に昇進した直後に双葉山の胸を借りての稽古中に右足首関節を捻挫し、新序出世が遅れた。
序ノ口から各段優勝して 1場所ずつで入幕し、以後も全て勝ち越して大関に昇進した。
昭和16年11月に吉田司家から横綱免許が授与された。大正時代生まれで最初の横綱。「剛」の印象を持たせる容姿や土俵入りは双葉山の「柔」と好対照だった。昇進披露は時局を鑑みて自粛し、費用から昭和17年 1月に陸海軍両省へ1500円ずつ献納した。
無類の稽古好きで、巡業先の稽古土俵には雪が降ろうが必ず現れ、関取十数人を相手に何時間も稽古を付け、猛突っ張りの昇には顔を出し、口の中が切れながらも力尽きるまで張らせた。更に続けて若い者に稽古を付けたが、筋肉が猛稽古で鍛え上げられているので、ぶつかる相手は痛がった。
本場所で負けると部屋を抜け出して浅草観音裏の「楓仙」で芸者買いをし、明け方まで帰って来ないので附け人の大岩山が身代わりに布団へ潜り込んで立浪の見回りを凌いだ。
戦争中の食糧不足や勤労奉仕で一時は体重が90kgに減った。
戦前は双葉山の陰に隠れてしまったが、双葉山の引退後は第一人者として戦後の荒廃時代を支えた。アキレス腱を 2回切って一時は再起不能と言われたが見事に復活し、12年に亘り横綱を務める驚異の持久力を示した。
昭和21年に妻が亡くなり、 3週間後には長男も亡くなる悲劇に遭ったが、悲しみに堪えて11月には全勝を飾った。
昭和28年 1月 4日目に右手親指を二瀬山に噛まれて骨折したが、他の 3横綱が不振だったので休むに休めず、添え木を当てて痛み止めを注射し、土俵へ上がる時に添え木を外す悲壮な土俵を務めた。
熱に弱く37℃で大騒ぎする程で、中華料理の脂物を食べると忽ち腹痛も起こした。
趣味は釣り堀での釣り。
後に取締を務めた。
従五位勲四等旭日小綬章が追贈された。
日本相撲協会の羽黒山のページ

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