高見山 酉之助(たかみやま とりのすけ)

本名吉岡 酉之助生年月日明治 6年10月25日
出身地千葉県銚子市(旧 新治県海上郡)初土俵明治28年 6月 序ノ口
所属高砂[ 1- 2]新十枚目明治37年 1月
改名歴加増山→大海→加増山→高見山新入幕明治40年 1月
最高位関脇最終大正 2年 5月
幕内略歴 加増山 酉之助(かぞうざん とりのすけ)
明治40年 1月 西前14  5勝3敗1分1休
明治40年 5月 西前 9  5勝3敗1分1休
明治41年 1月 西前 5  5勝4敗1休
高見山 酉之助(たかみやま とりのすけ)
明治41年 5月 西前 3  6勝3敗1休
明治42年 1月 東前 1 10休
明治42年 6月 東前 7  7勝3分
明治43年 1月 東関脇  1勝6敗2分1休
明治43年 6月 東前 5  5勝2敗2分1休
明治44年 2月 東小結  3勝3敗1分3休
明治44年 6月 東小結 10休
明治45年 1月 西前 5 10休
明治45年 5月 東前12  6勝2敗2分
大正 2年 1月 東前 2  3敗1分6休
大正 2年 5月 西前12 10休


通算 14場所 43勝29敗13分55休
得意手左四つ、寄り身長 体重173cm 139kg
 没年月日大正13年 1月11日(50歳)
備考色黒で太鼓腹の肥躯。小相撲の巡業では大関に据えられて看板に活用された。
相手を組み止めてから巨躯を生かして少しずつ寄る取り口だが勝ち味が遅く、速攻の力士や手取り力士を苦手とした。中でも玉椿は大の苦手で、彼との取組が組まれたのを聞くと慌てて部屋に帰り、蒲団を被って震えたと伝わる。
明治42年 6月に第 1回目の優勝掲額と旗手の栄誉に浴した。
廃業後は郷里で飲食店を経営した。

年号・西暦対応表

[相撲人名鑑]


[大相撲 記録の玉手箱]

この頁に関する問い合わせはまで

当サイトの文章・写真など全ての内容物の転載を禁ずる。
Any reproduction of any of its content is prohibited.
本網内容及版権帰本人所有、不得複制、転載。