小野川 才助(おのがわ さいすけ)

本名川村 喜三郎生年月日寶暦 8年(11年?)
出身地滋賀県大津市(旧 近江国滋賀郡)初土俵安永 8年10月 二段目
所属草摺(京都)[ 1]、小野川(大坂)[ 1]、玉垣[ 3]→[ 3]→玉垣[ 4] 
改名歴小車→相模川→小野川新入幕安永10年 3月
最高位大関(横綱免許)最終寛政 9年10月
幕内略歴 小野川 喜三郎(おのがわ きさぶろう)
安永10年 3月 東前 3  5勝1敗1預3休

天明 2年10月 東前 4  7勝1敗1分1休
天明 3年 3月 東前 4  5勝1預1無3休
天明 3年11月 東前 2  6勝1分1預2休
天明 4年 3月 東小結  6勝2敗2預
天明 4年11月 東関脇  9勝1預

天明 6年11月 東関脇  7勝3休
天明 7年 5月 東関脇 全国的な不作で町民が困窮した為に中止
天明 7年11月 東関脇  7勝1敗2休
天明 8年 4月 東関脇  7勝2敗1休
天明 8年11月 東関脇  7勝1敗1預1休
寛政元年 3月 東関脇 10勝
寛政元年11月 東関脇  8勝1分1預
寛政 2年 3月 東大関  8勝1無
小野川 才助(おのがわ さいすけ)
寛政 2年11月 東大関  6勝1敗1預2休
寛政 3年 6月 東大関  8勝1無1休
寛政 3年11月 東大関  8勝1預1休

寛政 5年11月 東大関  8勝1敗1分
寛政 6年 3月 東大関  3勝7休
寛政 6年11月 東大関 10休
寛政 7年 3月 東大関  4勝1休

寛政 8年10月 東大関  7勝2敗1休

寛政 9年10月 東大関  8勝1敗1休


通算 23場所 144勝13敗4分10預3無40休
 身長 体重178cm 137kg
年寄名小野川(久留米)没年月日文化 3年 3月12日
備考安永 9年以降は久留米藩の抱え。
小野川[ 1]の養子。
牛飼いの子で、郷里では近くの膳所藩の輸送部隊で力仕事に従事した。
均整の取れた体格で才気の有りそうな容貌。
足腰が柔軟で、組んで相手の呼吸を計りながら機敏に動き回る名人的な取り口。
谷風と競い合って寛政の相撲黄金時代を築き、寛政元年11月に揃って吉田司家から最初の横綱免許を授与された。
寛政 3年 6月の上覧相撲で、谷風に待ったをして「気負け」を宣せられた取組に代表されるように、慎重に立ち合いをしたので待ったが多く、気の短い江戸っ子には特に評判が悪かった。相手の隙を衝く方法なので「汚い」とも評されたが、裏を返せば、良く考えて取ったと言える。谷風も常に床の間に小野川像を掲げて丁寧な取り口を賞賛した。
天明 2年 2月 7日目に 4年間も無敗の谷風に勝ち、大評判に上った。
関西での人気は谷風をも圧倒していた。
相撲講談「寛政力士伝」では雷電の敵役として扱われてしまっている。
引退後は久留米藩の江戸屋敷で相撲頭取を務めた。

年号・西暦対応表

[相撲人名鑑]


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