谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ)

本名金子 与四郎(梶之助)生年月日寛延 3年 8月 8日
出身地宮城県仙台市(旧 陸奥国宮城郡)初土俵明和 6年 4月 大関
所属伊勢ノ海[ 1- 3] 
改名歴秀ノ山→達ヶ関→谷風新入幕明和 6年 4月
最高位大関(横綱免許)最終寛政 6年11月
幕内略歴 伊達関 森右エ門(だてがせき もりえもん)
明和 6年 4月  西大関          4勝3休( 7日目の結果は不明)
達ヶ関 森右エ門(だてがせき もりえもん)
明和 6年11月  西大関          1敗7休
明和 7年 3月  西大関          3勝5休
明和 7年11月  西前 1          7勝1敗
明和 8年 3月  西前 3          8休
明和 8年10月  西小結          5勝1分2預
達ヶ関 森右衞門(だてがせき もりえもん、改訂前は達ヶ関 森右エ門(だてがせき もりえもん))
安永元年11月  西小結(改訂前は西前 1)  6勝2休
達ヶ関 森右エ門(だてがせき もりえもん)
安永 2年閏 3月 西前 1          5勝1敗1分1預
安永 2年10月  西前 1          5勝2敗1預
安永 3年 4月  西前 1          6勝2休
安永 3年10月  西小結          5勝2分1休
安永 4年 3月  西小結          4勝
安永 4年10月  西小結          5勝1敗2預1休
安永 5年正月  西前 1         ?(勝負附が欠如)
谷風 梶之助(たにかぜ かじのすけ)
安永 5年10月  西小結          7勝1無
安永 6年 4月  西関脇          2勝1敗5休
安永 6年10月  西小結          5勝1敗1分1預
安永 7年 3月  西関脇          9勝1休
安永 7年11月  西関脇         10休
安永 8年 3月  西関脇          9勝1休
安永 8年10月  西関脇          9勝1分
安永 9年 3月  西関脇          6勝
安永 9年10月  西関脇          8勝2預
安永10年 3月  西大関          9勝1休
天明元年10月  西関脇          9勝1休
天明 2年 2月  西大関          6勝1敗3休
天明 2年10月  西大関          7勝1預1無1休
天明 3年 3月  西大関          5勝1無4休
天明 3年11月  西大関          8勝1分1休
天明 4年 3月  西大関          6勝2預2休
天明 4年11月  西大関          3勝7休
天明 6年 3月  西大関         10勝
天明 6年11月  西大関          3勝1敗6休
天明 7年 5月  西関脇         全国的な不作で町民が困窮した為に中止
天明 7年11月  西関脇          6勝1敗1分1預1休
天明 8年 4月  西関脇          7勝1分1預1休
天明 8年11月  西関脇          7勝1分1預1休
寛政元年 3月  西関脇          7勝1敗1分1休
寛政元年11月  西関脇          6勝1分3休
寛政 2年 3月  西大関          4勝1分1預1無2休
寛政 2年11月  西大関          7勝1敗1分1休
寛政 3年 6月  西大関          6勝1敗1無2休
寛政 3年11月  西大関         10休
寛政 4年 3月  西大関          8勝2休
寛政 4年11月  西大関          3勝
寛政 5年 3月  西大関          7勝2休
寛政 5年11月  西大関          5勝2分3休
寛政 6年 3月  西大関          5勝5休
寛政 6年11月  西大関          4勝6休


通算 49場所 254勝14敗16分16預5無106休
得意手寄り身長 体重188cm 160kg
 没年月日寛政 7年正月 9日(現役中、44歳)
備考仙台藩の抱え。
先祖が長らく国分家の家臣として流鏑馬の矢取を務め、名字帯刀を許されていた豪農の長男。達ヶ関の異母兄。妻の ひで は医官として知られた太田 資広の三女で「父は日本一の医者だから、私も日本一の人の妻に成る」と言って谷風に嫁いだ。
小野川と競い合って寛政の相撲黄金時代を築き、寛政元年11月に揃って吉田司家から最初の横綱免許を授与された。
力量だけでなく人望も集め、色白・切れ長の目で柔和な容貌だが、大変な負けず嫌いで時に強引な物言いを附けた。
病気の母親を抱える佐野山なる力士が居たが、これを知った谷風は相撲会所に根回しをして回向院興行での取組を作らせた。谷風の贔屓筋は勝つに決まっているので懸賞を附けたが、谷風は簡単に負けた。加えて床に着いている佐野山の母親の枕元で病魔退散の四股を踏んだと伝わる。
_7歳で隣家の主人の東兵衛から「あの俵を運べたら あげるよ」言われて玄米の五斗俵を持って運び、驚いた東兵衛は謝って饅頭 1袋と取り替えてもらった。
玄米の五斗俵を殻町(仙台城下の大通りで穀物の市場で 1里半以上も離れていた)まで休み無しに持って運んだ。
入門前は白川の酒造家「山本屋」で奉公していたが、 7〜 8人で持ち上げる酒を搾る締め木の天秤石を 1人で持ち上げていた。
四斗俵を 2つ両手にぶら下げ、拍子木代わりに26回も打った。
体格が大きいので便所の踏み板を怖がったとも伝わる。
天明 4年頃に「土俵上で儂を倒すのは無理。儂が横になっているのを見たければ風邪に罹った時に来い」と豪語した時に流行った感冒は「たにかぜ」と称された。没した時の感冒は時に混同されるが、「たにかぜ」ではなく「御猪狩風」である。

年号・西暦対応表

[相撲人名鑑]


[大相撲 記録の玉手箱]

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