当サイトの制作に際しての感想や、更新情報に書く程ではない小さな更新履歴を書き綴った制作記である。
徒然なるままに書くので、更新は不定期である。


_6月 6日
サイトを単に制作するだけではなく、その履歴なども記録しておこうと考えて制作記を追加してみた。流行のWeblogで書こうかとも思ったが、動作が遅い印象しか無く、私にとって長所が無さそうなので、普通に頁を作って書くことにした。


_6月 8日
現在、力士褒賞金に関する頁を作成中。調査は 9割方終了し、細かい追加修正とHTML化を残すのみ。昨年の 2月頃に調査を始め、 4月頃から生活が忙しくなって今年の 2月に再開するまで殆ど手付かずだったが、思ったより早く完成しそうだ。今月の番附発表日後の辺りには公開したい。


_6月 9日
力士褒賞金の頁の作成が一段落ついたので、主要参考資料の私家版正誤表に協会発行の番附と星取表の正誤を追加し始めた。「大相撲」や「相撲」で連載されていた三谷 光司 氏(故人)の記事を参考にする。


_6月12日
番附の正誤表を作っていると、昭和41年 1月に金剛が中島に改名したが同名が存在したので亀島と再改名して出場した記載を発見。すると、関取名鑑(金剛 敏彦)の改名歴は「中嶌→金剛→中島」ではなく「中嶌→金剛→中島→亀島」にすべきだな。早速 修正した。

各資料の正誤に気を付けているわけだが、「他人事ではない、自分も気を付けねば」という事ぐらいは弁えなければならない。実際に当サイトも、万全を期しているつもりでも誤謬・脱落がそれなりに存在する。特に記録は項目数を急増させたせいか見落としが少なくなく、後で気付いて修正するのも度々ある。
サイトを充実させようとして内容を増やしていくわけだが、増えていくに従って更新量も増えていく。そこで更新の正確性や頻度が維持できればいいが、できなければ誤謬は増えて更新も滞りがちになり、サイトを充実させようとしたが為に全体の印象としては逆に充実度が下がっていくという皮肉な現象が起こる。現状では更新作業に充てる時間を増やして対応しているのだが、サイトの内容を増やせる限界点はどこにあるのか、いつまで続けられるのか、ふと不安に陥ることもある。


_6月15日
作成中の番附・星取表の正誤に関しては三谷 光司 氏の記事を参考にしているのは前にも触れたが、読む度につくづく感心させられる。
口幅ったい言い方ながら、当サイトは自分でも大したサイトだと自画自賛するようになってきたのだが、それでも、彼の記事を読むと調査範囲の広さや深さに圧倒され、まだまだ自分など足元にも及ばないと思えてくる。特に幕下以下の動向については、私はとても手が回らない。三段目昇進回数とか、序二段連続在位とか、とてもとても。十枚目以上の人数は全力士の高々 1割にも満たないのだから、幕下以下を調査対象に含めることは、単純計算で言えば対象数が 1桁増えるということである。今はその労力の想像すらできない状況だが、いつか自分もそれ位の調査力を具えられたら、と思う。


_6月17日
番附・星取表の正誤表を作成中、昭和43年 1月の大量ミスに出くわす。忘れていたが、当場所の番附は三段目が序ノ口に落とされたりした滅茶苦茶なものだった。各段優勝・三賞受賞力士を作成した時も正しい地位を調べるのが大変だったなぁ…。
調べてみると、地位の訂正は通常のように「〜枚目格」に仕立てて帳尻を合わせるのではなく、人数が多いせいか「〜枚目」にしたらしい。という事は、東序二段25枚目以下の殆ど全員の地位が変わってしまう。200人以上の訂正をするのかよ…。泣き言を言っていられないのでEXCELなどでなるべく省力化しつつ作成を進める。


_6月22日
番附・星取表の正誤表を作成中。相変わらず誤りが多い。三段目下位や序二段で、同成績なのに翌場所の順序が入れ替わる例が目立つ。適当に編成しているのか?


_6月24日
最近、時間が思う様に取れず作業も進まない。インターネットへのアクセスも滞り勝ちだ。週末には時間を取って作業を進めたい。


_6月25日
来週の土曜夜にABCテレビで社会福祉大相撲を放映するらしい。だが、放映時間は深夜 2時54分からの75分枠である。今までは日曜の昼に放映していたと思ったが、遂に深夜に追いやられたか…。同じく段々と時間が深夜に追いやられた挙げ句に消えた大相撲ダイジェストや、いつの間にか無くなった夢巡業シリーズを思い出す。この社会福祉大相撲はNHKのそれより更にバラエティ色が強く、力比べ系の企画は好きなのだが、いつか無くなってしまうのだろうか。社会福祉大相撲自体はテレビ朝日の慈善事業として続けるかもしれないが、放映は無くなるかも知れぬ。

竹ヶ戸さんの掲示板〈好角土俵〉に、竹ヶ戸さんによる友鵆 壽作の墓探しに関する記事が有り、本名と没年月日を解明された模様。早速 当方の力士名鑑でも反映させた。また、寛政12年 4月場所の出羽ヶ関が鷲ヶ濱に改名していて、「日本相撲史 上巻」の星取表が誤っているとの記事も有り、こちらは現在作成している正誤表の完成と同時に当サイトで更新するとしよう。
私は多くの掲示板のシステムに馴染めないので、あまり掲示板を見に行くこともないのだが、この掲示板〈好角土俵〉は私にとって役立つ情報が多いので、私が見に行く数少ない掲示板の 1つになっている。

旭天鵬と旭天山が日本国籍を取得したそうで、力士名鑑旭天鵬の頁で、本名の項を更新した。


_6月26日
番附・星取表の正誤表の作成は昭和47年まで進んだ。幕下以下の星取表は昭和46年から枚数が表示されるようになったので、地位を調べるのに一々数えなくても済むようになり、随分と楽になった。
12日に金剛の改名歴について書いたが、扇山についても同様の事実を知る。改名歴は「高橋川→伊達ノ花→扇山」だったのを「高橋川→宮ノ花→高橋川→伊達ノ花→扇山」と修正した。


_6月27日
番附・星取表の正誤表の作成は一気に平成 7年まで進んだ。と言っても、昭和49・50年は各年の「大相撲」12月号が手元に無いので未調査である。
また、53年以降は「大相撲」が隔月発行に変わったせいか三谷 氏の連載「異色調査」から『番付からみたことし』が消えてしまい、58年に「相撲」において『記録で見た相撲界』として復活するまでの 5年間も空白である。更に、平成 7年 1月に三谷 氏が亡くなってしまい、以前の様な「濃い」調査を期待できないので、これらは自分で調査していく必要が有る。かなり時間が掛かりそうだ。


_7月 1日
番附発表に伴い定例の更新を行う。新関取 2名のファイルも新たに作り、関取名鑑の最高位更新も確かめる。


_7月 2日
今日は葛城市の相撲館に行って、所持していない資料による調査を行った。おかげで、資料不足で不明だった点がだいぶ解消された。


_7月 5日
力士褒賞金を公開した。約10ヶ月の中断期間も含めて 1年半近くを制作に要した力作なので、感慨も一入である。
最も手間が掛かったのは、60円を越えた十枚目以下の調査だった。昭和以前の十枚目なら「戦後新入幕力士物語」の星取表で調べられるので簡単なのだが、幕下以下や平成以降の十枚目は個人別の星取表など公には無いので、場所毎の星取表を元に 1場所ずつ計算して調べた。全員を調べるわけにはいかないので、まずは土俵歴10年以上の十枚目と17年以上(初土俵が昭和)の幕下以下を調べ、それらの力士の褒賞金を計算すると共に60円到達の所要場所数を調べた。最高位と所要場所数は或る程度の相関が有るので、余裕も見込んだ上で、十枚目・幕下5枚目以内は土俵歴 9年以上、幕下 1桁は11年以上、幕下上位は13年以上、幕下は15年以上、三段目以下は17年以上、という基準を設定し、該当力士について調べた。これでもかなり厳しい基準なので、おそらく遺漏は無いと思うが、万が一有れば御一報いただきたい。
こうして候補者をかなり絞ったわけだが、それでも多い時はは 1場所で80人近くも星取表で探さなければなかった。特に幕下以下は星取表で改名が判らないので、見つからない場合は見落としているのか改名しているのか、どちらか判らない場合が有り、まずは相撲雑誌の力士往来で改名者を確認してから探すようにしていた。
こうして苦労しながら完成したわけだが、それでもこの頁が何かの役に立てば幸いである。



_7月30日
「相撲」10月号が届いたので、「年寄名跡の代々」を元に力士名鑑千田川を更新した。これで千田川で所属代が不詳の弟子がいなくなった。


_8月19日
主要参考資料の私家版正誤表を更新した。網羅できたとは思っておらず、遺漏も多いと思うので、お気付きの点などは御一報下されば幸いである。しかし、最近は誤謬が少ないように思われたが、先場所の星取表で 9日目の不戦が丸ごと抜けていたのには少し驚いた。


_8月25日
台湾に関して新しい情報を得て、力士名鑑の出身地に関して若干の変更をした(Webでは後に反映する)。台北市は昭和42年 7月に台湾省の省轄市から国の直轄市に昇格し、台湾省は平成10年12月に省としての機能を凍結され、事実上の廃止となって台南市も直轄市に準ずる扱いになった。これに伴い、鹿嶌洋の出生地を中華民国台湾省から中華民国台南市に、栃ノ華の出身地を中華民国台湾省から中華民国台湾市に変更した。自治体の改名による変更ではなく(台湾省が台湾市になったわけではない)、自治体の序列変更(この場合は省轄市から直轄市に変更)による変更である。


_8月27日
先日、司天龍が祖父の伯父に当たるという方からメールが届き、姓の勇川は「ゆうかわ」と読む旨を御教示いただいた。私は「いさみかわ」だと思っていたので、「い」の項に入れていたのだ。この点もWebでは後日に訂正する。
上記の如く、「○○の子孫です」という方からメールを戴くことが時々ある。過去にも、(記憶しているだけでも)立汐玉櫻などの子孫の方々からメールを戴き、巷の文献では得られない貴重な情報を戴いた。ありがたいことである。


_8月28日
昨日、図書館から「相撲部屋24時 おかみさん奮戦記」(中澤嗣子 著/講談社)を借りてきて読んでいる。著者は中村部屋の女将であり、東洋英和女学院大学大学院において「今日の力士養成のあり方」の研究で修士号を取得して話題に上った人である。
前半は相撲界に関する説明、後半は自身の研究とも関連する力士養成についての考察で構成されている。まだ前半を読んでいる途中だが、引っ掛かる表現が若干あるものの(番附の昇降など)、相撲の知識が無い人にもわかりやすいように説明されている。気付いた点を以下に記す。

・私にとって特に興味を惹いたのは、番附編成会議での編成の具体的な方法(26頁)や横綱・大関推挙の様子(21頁)などである。これらは会議の出席者かその関係者でなければ知ることができない内容であり、大いに参考になった。
・「立ったまま前かがみになって握った手を床に着き、顔はあいさつする人のほうを向いて大きな声であいさつします。これが、正式な力士のあいさつの仕方とされています。」(41〜42頁)…この文だと、立位体前屈に近い格好を思い浮かべてしまい、窮屈で挨拶どころではなく、特に腹の大きな力士には無理だと思うのだが、前屈みになりながら膝も床に着けるということなのだろうか?
・地方巡業の収益を力士全員に分配する賞与金(年 2回支給)の存在は知らなかった(58〜59頁)。
・「相撲部屋の栄枯盛衰は激しく、出羽海や高砂のように江戸時代から続く名門もありますが、」(60頁)…江戸時代から続いている名門(部屋)は現存しない。名跡としては江戸時代から続いているものは少なくないが、部屋として、となると存在しない。出羽海は『続いている部屋』としては明治中期から、高砂に至っては名跡自体の創始が明治初期(但し、現存する中では最も長く『続いている部屋』)である。
・(中学生力士について)「しかし、元横綱・北の湖、元横綱・北勝海、元大関・琴風などは、みなそのようにして相撲部屋で育ち、」(68頁)…北勝海は中学校卒業前に部屋で稽古していたが、ここで言う中学生力士ではない。
・(新弟子数について)「その後、一〇〇名を割ることはほとんどなく、平成に入っても同様でした。平成四〜五年は若・貴ブームで、二〇〇名以上の入門者を記録しましたが、今は一〇〇名前後に落ち着いています。」(69〜70頁)…前文では場所毎の入門者数として記していたが、当文では年間の合計入門者数か年間の最多入門者数を記したのか? 1場所で200名も入門した場所は無い(最多は平成 4年 3月の151名)。


_9月10日
先にも述べた「相撲部屋24時 おかみさん奮戦記」について。
文中に何人かの力士が実例として匿名で登場するが、これらが誰なのか調べてみた。

「お父さんは日本人で、お母さんはハンガリー人という力士」(74頁)は間違い無く元序二段の廣江で、平成 5年 3月に初土俵を踏み、 7年 5月に廃業した。史上初のハンガリー出身力士(但し、番附上の出身地は鳥取)でもある。「約三年間、在籍し」とあるが、これは足掛け 3年ということになる。

「都会育ちの C力士」(195頁)は、本文から推すと、 3月場所初土俵、体重125kg、翌年 1月から休場、 7月限りで引退、同郷出身の兄弟子が 2人いる。
「今なお、日本の伝統的な子育て観を保っている地域から入門を希望してきた D君」(196頁)はCと同期で、翌年 2月に家へ帰ると言い出し、復帰後に本場所で大勝ちをした(205頁)という。
「その前の年の五月場所後に急に引退した元力士」(203頁)は、 Dが帰ると言い出した前の年、つまり、 Cと Dが入門した年に引退している。
これら 3人は今一つ当てはまる力士が居ない。最も近いと思っている候補は、 Cが元序二段の石田、 Dが序二段の鎌田、元力士が元序二段の松原なのだが、石田は入門時の体重が150kg、出身地が稲沢市(都会なのか?名古屋市なら頷けるが)で、休場し始めたのは平成13年 9月場所からなど、疑問が多い。松原も、12年 7月場所から休場して引退したのは13年 9月なので、やや疑問が残る。

「島からの入門希望者 K君」(206頁)の手掛かりは、平成12年 1月の時点で中学 2年生であり、本州の最西端近くにある S島(平成11年に橋が架かり、玄界灘に続く豊かな漁場を持つ)の出身、身長180cm、体重120kgだったこと、である。これらから推測すると、平成15年 3月に初土俵を踏んだ池本と思われる。山口県豊浦郡豊北町の出身で、 S島は角島だろうか。しかし、昭和62年 6月の生まれなので平成12年 1月の時点では小学 6年生のはずだが…。また、 S島が角島だとすれば、架かった橋は本土と結ぶ角島大橋だと思われるが、この橋の開通は平成12年11月であり、この点は齟齬を来している。

以上のように推測してみたが、果たしてどうだろうか。


10月 1日
各段優勝・三賞受賞力士で、朝青龍の連続優勝に関して「〜場所連続」が脱落していたので追記した。

現在、当サイトをどのように拡張していこうか思案中である。しかし、拡張には少なからず問題が伴う。当方の労力は限られているため、拡張してページを増やせば増やす程に更新する量も増え、結果として更新頻度が減り、サイトの質の低下を招きかねない、という問題である。サイトの質を上げようとして拡張したのに、その拡張が却って質の低下を招くのだから皮肉なことである。
既にこの問題には直面しており、今日は何の日?俳句と短歌の如く、何年も更新していない(できない)項目が存在する。今日は何の日?は追記分をエクセルではまとめているのだが、他のページの更新や作成に時間を取られて(こちらに)追記ができず、力士の最高位の更新をするのが精一杯である。俳句と短歌も全てエクセルではまとめてはいるのだが、数が2000以上にも上り、どのようにページを再構成しようか思案中である。


10月 3日
図書館で「大相撲」10月号を読んできたのだが、76頁に『琴欧州を圧倒して二差逆転で、史上二人目の六連覇を十四度目の優勝で飾った。新記録四十九本の懸賞を手にして、笑みを浮かべて土俵を降りる。』と書いてあった。おいおい、決定戦で懸賞が付くわけねえだろ。本割と混同したんだろうが、いい加減にも程が有るってもんだ。


10月 6日
大相撲の記録で、「優勝額掲額期間」は同時掲額枚数が同じ期間毎に区切って集計していたが、区切らない優勝額掲額期間(通算)を追加した。各期間に跨っている記録が途切れなかったら各力士の掲額期間がどれだけ伸びるか、を見ることができる。


10月13日
現在、平成以降初土俵の幕下以下力士の一覧を作成中。大変であろうことは想像していたが、実際に取りかかってそれを実感している。なんだ、平成以降だけか、と思うかもしれないが(作者自身も思う)、それでも2000人を優に越える。現在の力士名鑑と同じ形式にするのは無理なので、かなり簡易化された形にしようと思っている。目下、『地獄の』平成 4年 3月(史上最多の入門者数を誇る)分までは入力を終えたが、平成 9年頃までは入門者が多い時期が続くので、今が正念場だ。

「相撲」10月号を読んでいると53頁の芳王に関する記事の中に『「同期生で上がったのは大輝煌と下からでは朝乃涛」というのだから』とあった。勿論、「上がった」は「関取になった」の意だが、苦節13年で漸く上がった日出ノ国の立場が無いな。

10月 6日の項で優勝額掲額期間の記録について触れたが、この記録は、当サイトで取り上げている記録の中では唯一の「引退後も更新され、最終的に記録がどうなるかが明確に予言できる記録」である(同時掲額枚数が変わったり、その他の制度が変われば別だが)。例えば貴乃花は14年 8ヶ月(平成 4年 5月〜平成19年 1月)で輪島を抜いて 4位、曙は13年 8ヶ月(平成 4年 9月〜平成18年 5月)で輪島と並んで 5位、武蔵丸も同じく13年 8ヶ月(平成 6年 9月〜平成20年 5月)で 5位となる。勿論、順位は今後に変動が有ろうが、各自の掲額期間は予言できるのだ。


10月21日
「相撲」10月号59頁の『おチャンコくらぶ』の左側 2コマ目の番附は何年何月場所だろうと思って調べてみると、昭和54年 5月の東方番附だった。最近は下の名が 1字の力士が増えているのだろうか。
下の名が 1字の力士が(江戸・東京)幕内の番附に登場するのは大正 7年 5月の矢筈山を嚆矢とする。当時は珍しい眼で見られたかもしれない。大正年間は他に若葉山・柏山・稲ノ森しか名を残さなかったが昭和時代に入ると急速に増え、横綱にも武藏山がその名を残し、下の名の字数における分布勢力を維持し続けて現在に至るわけである。


11月 7日
大相撲の記録で、朝乃若の関取在位率・幕内在位率が脱落しているのに気付いたので、修正した。


12月10日
大相撲の記録で、また脱落があった。栃東の幕内休場場所数が何時の間にか10位以内に入っているのに気付かなかった。他にも気付いていない間違いが有ると思うと嫌になってくるなぁ。


_1月10日
目下作成中の幕下以下の力士一覧は、やっと平成16年まで漕ぎ着けた。完成の目処が立ったので安心した。


_2月22日
幕下以下の力士一覧は、基本項目の入力はおおよそ終わった。今は、再び「相撲」を平成元年から読んでいって、各力士の逸話などを拾い集めている最中である。
基本項目には力士名の読みも含まれているのだが、平成初期の一部の力士名について「相撲」で調べてみても正しい読みが判らないのには少々閉口した。現在の「相撲」は細かい点の記載について、すごく親切と言うか、丁寧になったと感じられる。


_3月10日
各段優勝・三賞受賞力士の昭和23年10月と24年10月に、公式に表彰された 2位と 3位の面々を追加した。


_3月12日
主要参考資料の私家版正誤表に相撲(雑誌)を追加した。以前から夥しい量の誤謬を記録していたのだが、他の益に供しようと思って公開を始めた。ほんの一部でしかないので、他に情報が有れば是非お寄せいただきたい。因みに、18年 3月号は未だ半分ぐらいしか読んでいない(のに、あれだけの量の訂正…)。


平成18年 4月 4日
最近、Googleのページランクなるサイト評価基準を知った。ページランクを調べられるサイトで当サイトのトップページを入力してみると、「4/10」という結果が出た。どの程度の評価なのか今一つ判らないが、10段階評価の 4だから、まずまずといったところか。ページランクはリンク数(自・被とも)を大きな評価要素として取り入れているらしい。そうなると、原則として相互リンクを受け付けておらず、外部リンクは情報協力・参考資料に記載したサイトと力士名鑑中の日本相撲協会へのリンクぐらいしか無く、インターネット上では比較的マイナーに属する相撲を主題にした個人サイトとしては、そこそこの出来と言えるのだろうか。


平成18年 4月17日
作成中の幕下以下の力士一覧だが、他の相撲人も加えた一覧にするため、公開を当分延期することにした。
銀星獲得の記録で、琴椿と巨砲が抜けていたので修正した。琴椿は年長初銀星獲得と最長初銀星獲得で 1位だったのに、見落としていたとは…。


平成18年 9月11日
当ページを更新するのは久しぶりだ。最近、特に当サイトについて書くことが無かったので、当ページも更新しないままだった。今回、faviconを作ってみた。図柄は行司の団扇である。取り敢えずトップページ表示時にアイコンが表示されるようにした。他のページについては、漸次、表示されるようにしていく予定である。


平成18年11月11日
10月末にパソコンが絶不調に陥り、ウェブページ制作が大幅に遅延してしまった。OSを再インストールしても直らず、新しいパソコンを購入して制作を再開することができた。


平成19年 5月 7日
昨年、公開する予定で延期していた。幕下以下の力士一覧を公開した。他の相撲人も加える予定で延期していたのだが、間に合わず、既に他のファイルからリンクもしてしまっているため、ひとまず力士名鑑として公開することにした。備考欄は未だに情報を盛り込み切れていないのだが、来年の更新時に盛り込み、相撲人名鑑として更新したい。


平成19年 6月 3日
「相撲」 5月号に力士給与の変遷が掲載されていたので、力士褒賞金に「給与を上回った褒賞金」を追加した。実は以前に作成していたのだが、昭和45年頃の給与が不明なので掲載を保留していた。また、思い付いて「各地位の在位時の最高額」も追加した。誤謬が有れば御一報いただきたい。


[大相撲の記録 | 最年少・最年長・最新参・最古参 | 各段優勝・三賞受賞力士 | 相撲人名鑑 | 対戦 | 力士褒賞金 | 力士の待遇 | TVのCM | 映画 | 相撲漫画 | 俳句と短歌 | 今日は何の日? | 異名 | 珍名・難読 | プロレスラー]


[大相撲 記録の玉手箱]

この頁に関する問い合わせはまで

当サイトの文章・写真など全ての内容物の転載を禁ずる。
Any reproduction of any of its content is prohibited.
本網内容及版権帰本人所有、不得複制、転載。