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朝早く出かけて油小路へ行き、「二條陣屋」見学をし、「六角獄舎跡」へ行きました。
んで次の日に鳥羽・伏見方面へと足を伸ばしました。(たぶん…疲れててあんまり覚えてないけど)

伊東甲子太郎殉難の碑(本光寺)「伊東甲子太郎殉難の碑(本光寺前)」
メチャここを見つけるのには苦労しました。
「どこ〜?お寺ぁ〜〜??」って行ったりきたり・・・。
持ってったガイドの写真と照らしあわせてやっと細い道を入ったところで
見つけました。
このお寺は尼寺なんです。
詳しい資料を頂ける・・・ということでインターフォンを押すように
書いてあり、かなりためらいましたが(何を今更・・・)押して
お寺の方に資料を頂きました。
ちょっと・・・鬱蒼としたお寺です。(あぁなんて失礼な!)
だからちょっとためらっちゃったんですけどね。
朝っぱらからカメラで写真撮ってる私たちを見て
近所の方が「資料もらいなよ」って言ってくれてちょっと笑えました。




写真ナシのトコ
・「二條陣屋」・・・江戸時代の大名の宿泊所だったところ。面白いんですよ、ココ。色んなカラクリがあって。忍者屋敷ってカンジ。
説明を詳しくしてもらいました。でも屋内に上がる時にワシの靴下、穴が空いてて(爆笑)隠すのが大変でした(恥ずかしかった)

・「六角獄舎跡」・・・ここも見つけるのが大変でした!だって神社の近くって書いてあったんだけど近くには神社ありーの寺ありーので
どれだよ〜〜(><;)ってカンジだったんです。結局、ガイドの写真が古かったらしくもうマンションの近くにちんまりと跡が残ってるだけでした。
ちなみにここは正式には「三条新地牢屋敷」といわれ、明治維新までの160年間、江戸幕府直轄の獄舎として使用されたそうです。
私は首洗いの井戸が蓋をされたまま残ってるっていうから行ったのに(笑)形もありませんでした。
他の本ではここに行った人がメチャ気分が悪くなって帰ってきてからも大変だったとありました。しかも友人もここに行ったあとから
気分が悪いという始末・・・え?私は何ともなかったです・・♪(私が行きたいといったのになぁ)

「鳥羽・伏見の戦い跡」
鳥羽・伏見戦いの跡 鳥羽・伏見の戦跡・ズ〜ム
ここ撮るの大変でした〜〜!!メチャクチャ交通量が多いところで
道路っぷちで一生懸命撮りました(根性!)
ここで打った大砲を境にして戦いが始まった・・・と書いてありました(↑の写真を一生懸命読んだ)。
はぁ・・・ズームが利くカメラ持ってってヨカッタよ。
この近くの小枝橋が戦いでのポイントになったらしいです。今は車での近道のポイントなのか??(すごかった)
そう・・・この鳥羽伏見の戦いが戊辰戦争へと発展していくのであります。(エラソーだな、オイ)
でも・・・本当にこーいう風に風化されかかっててもう碑しかないところばかりを廻っていると
すごく空しい感じになったり、もう少し現存してて欲しかったな・・・っていう気持ちになっちゃいました。