白い雪の幻想曲
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Scene-0. 追 憶


月のない曇りの夜
仲間が、自分を呼んだ
地平線の向こうより
その姿を見せたのは一組の男女

それは二十年振りの再会
人間に攫われた雪の少女が
自分の前に戻ってきた

同じ妖しの青年に抱かれて
『・・・ただいま・・・・』と
嗅覚を刺激する血の香り
大切な主人が戻ってきた喜びより
それに混じる死の匂いが
自分の元に至るまで
壮絶な経緯があったのだと
物語っていた


『薫、しっかりしろ』

『私は平気よ・・・・・あなたと一緒だから
それよりも伝えないといけないの』

彼女は、弱々しく答えながら
そっと自分に笑いかけた

『長い間、ずっと心配をかけて・・・ごめんね』

そして自分に伝えた
残りわずかの時を、恋人と共に過ごすから
二度とここには戻ることはない、と

あれは山の神の情けなのだろうか
雲間より白い月が姿を見せて、最後の別れに
主のその姿を照らし出してくれた
黄金と緋が溶け合う夕陽のような長い髪
彼女の亡き姉と同じ冷たい雰囲気
鮮血の唇と白い肌の女と見紛う美しい青年

主はその青年に大切に抱かれ微笑んだ
姿を消したあの頃と変わらない、優しい笑顔で・・・・・


『今まで、ありがとう・・・・
そして・・・さよならね・・・』


それは最後の言葉
太陽のように優しい主の
・・・・・・・・別れの言葉・・・・・・・





深淵の闇の中、白い獣の長は大切な記憶に浸りながら
静かな死期を迎えようとしていた。
だがその前に一つだけ為さねばならない事がある。
それをしなければ穏やかに死ぬことはできないと、彼は
洞穴の側へ向かった若い仲間の帰りを待つ。


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叩きつけるような激しい夜の吹雪に、明かりも持たずに
ただひたすら前に進む者がいる。
濃紺の外套を翻し、光のない漆黒の吹雪の中を進んで
いた放浪者は遠くから聞こえたそれに足を止めた。

・・・・・・キ タ レ・・・・・・

聞き間違いと錯覚するほど、微かに木霊する咆哮。
しかし、彼は聞き逃さなかった。

・・・・私を呼んでる?・・・・

放浪者は踵を返し、闇を見回す。
何もない雑木林には、動物や人の気配はない。

幻聴・・・だったのか・・・・

再び歩き出そうと踏み出す。すると今度は、はっきりと
聴覚に届いた。大気を切る大きな鳥の羽音と荒々しい
獣の吐息の音が・・・・。
暗闇に琥珀色の二つの光が見えた。
それが一頭の狼だと理解するが、その背に生えた鷹の
翼に、さすがの放浪者も目を大きく見開いて驚く。
ある国の言葉でその狼を“天狼”と呼ぶ。
額に真っ直ぐに伸びた水晶の角を持つ神聖な霊獣だ。
常人ならば相当夜目がきく狩人でもない限り、その姿を
見分けることもできない。
この放浪者には、それは当てはまらないのだろう。
見たこともない異形のそれに驚愕し、その次に生まれた
感情は恐怖よりも絶滅種に逢えた喜びだった。

「・・・この日本に、まだ生き残っていたなんて・・・・・」

放浪者はそう呟きながらその天狼を眺めやる。
まだ若い、生命力に溢れた瑞々しい命。

「私に、何か用かな?できるなら先を急ぎたいんだ」

沈黙の中に流れるのは先程と変わらない吹雪の音。
天狼はすぐ目の前にまで来て彼を見上げ、背を見せた。
どうやら背に乗れと伝えているのだろう。
躊躇った後、それに従って背に腰を預ける。
用事があると言っても別に大したことじゃない。
若い天狼が一声吠えた。
大地を震わせる雄々しくも気高い咆哮。
折りたたまれていた彼の背丈と同じくらいの高さはある
だろう左右の翼が大きく広がる。
ほっそりとしているとはいえ彼の重みも感じないのか、
軽々と地を蹴って天狼はゆっくりと飛んだ。
一体、どれだけの距離を宙で過ごしたのだろうか。
気がつくと吹雪の勢いは落ち着き、
断崖絶壁の高みに位置する大洞穴の前にいた。
割れた雲から覗く月がそこから見える風景を照らした。
厚く降り積もった銀の雪は所々にある針葉樹や広大な
高原を純白で染め、鉛色の厚い雲から降り注ぐ月光が
一枚の西洋風の絵となって彼を魅了した。

「なるほど・・・ここなら人間に見つかるわけがないな」

これだけの高みに、天狼という種が住んでいることさえ
想像もしないだろう。外套の裾を咥える先程の天狼に
促されるまま彼は大洞穴の中へ進んだ。
蛍の輝きに似た光苔の奥深くに、枯れ木と落葉の床に
横たわるその姿を見せたのは眠れる白い天狼。
彼は理解する。
自分を呼び寄せたのがこの天狼なのだと。

「あなたが、私を呼んだのですね・・・・」

白い天狼の耳が小さく動いて、見かけよりも想像以上
年を重ねてるのだろう穏やかな琥珀の瞳が彼を見る。
透き通る氷のような優しい眼差しに吸い込まれる彼に
静かな声が直に伝わる。

ヨク キテクレタ 風ノ人ヨ
私ノ 呼ビカケニ 応ジテクレテ
感謝スル・・・・・・

清々しい響きに恭しく跪く。
幕末の浪士達や権力者の前では少しも敬意を示した
ことのない放浪者が、無意識にそれをする程正面に
あるその存在は神々しい雰囲気に包まれていた。

「天駆ける狼の一族に逢えて光栄です、白き長」

畏マルコトナドナイ
オヌシ ニ 来テモラッタノハ
我ガ 望ミヲ託シタイト 思ッタカラダ

「私めに、ですか」

ソウダ・・・人間ノ中ニアッテ
人間ト異ナル オヌシ ニ シカ
コレハ 頼メナイノダ

「わかりました、私にできることならば
何なりと力になりましょう・・・・しかし一つだけ
気になることがあるのです」

彼は控えめながらに尋ねた。
かつてこの北の地方にいた氷霧の民の行方。
自然の調和、生死を司る魔性の人々。
幕末から明治の世に移り変わりはしてもこの北の
地にまで人間の侵入はないはずだ。それなのに、
どうして天狼と共存する彼らの姿がないのかと。

天狼の瞳が微かに揺れた。
今はもう記憶の中でしかいない大切な主。
その優しくも哀しい雰囲気に背後にいた何頭かの
気配が長の意図を察してゆっくりと遠ざかる。


アレハ 私ガ マダ幼カッタ頃ダッタ



時は室町時代末期


一年を寒気に支配された北の地に
山神を護る民、氷霧がいた。




白い天狼には、かつて呼び名があった。

『テンゲツ』
天を支配する月の如き清冽な命
天月


その名を与えたのは氷霧一族の中で
最も仲の良い愛らしい姉妹


姉の名は巴
人の年で言うなら十と八
流れる黒髪は光なき洞穴の闇
底のない湖のようなその闇の瞳は
見る者の魂を吸い寄せ、けして離さない
清雅な印象を受ける氷の美貌
その笑顔を知るのは
この世でたった一人の妹
雪氷の民の中で最も冷淡で聡明な乙女
水晶に封じた月の化身、一族の中で想像を
絶する妖力を持った氷の麗娘


妹の名は薫
人の年で言うならまだ十と三
数多の星を彩る夜闇で紡いだ髪
刺激的な光と優しい闇が交錯する森を
思わせる日溜まりのような闇の瞳
本当に魔性かと疑わせるほど
温雅な気性
何より幸せになって欲しいと願う
この世でたった一人の姉
親からはぐれた幼い天狼を救った恩人


『風ノ人ヨ 私ノ過去ヲ 聞イテモラエルカ?』


「ええ、どうかお聞かせください
あなたが知るその姉妹の話を」

それを聞いて、白い天狼は語り始める。
死の領域に踏み込む前に
姉妹に訪れた数奇な運命の始終


人間の記憶にはない、知られざる物語を・・・・



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