慈愛<第3話 ホウ壊そして創ゾウ>

「医者の私の見立てとしては…記憶喪失と判断してまず間違いないわ」
それは一通り診察を終えた恵の、放った第一声だった。剣心は暫く黙り込んでいたが、やがて納得する
ように頷いた。
「そうで…ござるか…」
「彼女の体から外傷は見受けられなかったわ。だとすれば原因は多分…」
「……多分?」
「何かが、彼女の記憶を封印するに至ったってこと…」
「………」
剣心は考えた。もしも恵の言う「何か」が、自分が薫に対して発したあの言葉だったとしたら…。
彼女の心を自分によって記憶を失わせるほどに傷つけたとしたら…。
(拙者はどうすれば良い…?)
剣心の様子を見ながら恵は、彼に諭すように言った。
「大丈夫…なんて言ったら嘘になるかもしれませんが、取り敢えず暫く様子をみた方がいいと思います
よ。もしかしたら、何か思い出すかもしれない。それに剣さん、彼女の記憶を取り戻すことが出来るの
は多分あなただけでしょうから」
ぱっと弾かれたように剣心は恵をみた。彼女の表情は、剣心の心を癒すような優しい微笑みだった。
剣心はふっと笑う。ようやく緊張の糸が少しはほぐれたのだろう。
「恵殿、色々済まないでござる。わざわざ、買い出しの時に来てもらって…」
「いえ、今日は急患もいなかったし医者として当然ですよ。何かあったらいつでも来て下さいね」
今まで以上ににっこり笑うと、彼女は剣心の部屋をあとにした。
一人残った剣心はやがて意を決したように、薫の部屋へと向かった。足取りが重い。
(どんな顔をして、薫に会えば良いんだろう…)
迷いを打ち消すように恵の言葉が頭を過ぎる。そんなやり取りを繰り返すうち、気がついたら剣心は薫
の部屋の障子の前に立っていた。
「薫殿、開けるでござるよ」
そっと障子を開けてみる。だがそこに、先程診察を終えたばかりの薫の姿は何処にもなかった。
(何処に…行ったんでござろう…)
急に不安になった。そんな剣心に間髪を容れずに静かな声が後ろからした。
「剣心さん…ですよね?」
気配を全く感じなかったから、剣心は驚いたように振り返ってしまった。そこには表情の無い薫が立って
ていた。剣心の様子を目の当たりにしても、眉一つ動かさない。
「弥彦さんや左之助さんから聞きました。私の名前は神谷薫…っていうんですね。そして貴方は、緋村
剣心さん…」
「薫殿、拙者は…」
「弥彦さん」「左之助さん」彼女の口から出たのはまるで、初めて逢うような相手に対して使うような
言葉だった。
(やっぱり…記憶が…?)
自分の知っている薫とは違うからなのか、剣心は言葉が続かなかった。光を宿さない瞳、今の彼女を見
るとまるで人形のようである。話し方からも以前の面影は見つけることが出来ない。
「部屋に…入ってお話しましょう」
薫は表情を崩さず、剣心を部屋に招きいれた。
               *             *
「どうぞ…」
剣心は部屋に入るとやがて薫を見つめた。だが、薫の視線は何故か棚の上に向けられた。
「あれは…」
「ああ、こけしでござる。拙者が此処の食客になる以前から、ずっとそこに置かれていたようでござる
がな。きっと父と娘を表すものでござろう」
「…親子…ですか…」
何故彼女がこけしに、この様な反応を示すのか剣心には分からなかった。当の薫は、相変わらずこけし
を凝視したままである。
そんな薫に声をかけようとしたその時、不意に彼女が立ち上がった。剣心はどうしたのかが分からず、
不思議そうな顔をした。薫は横にあった小刀を取り、棚の上にある大きい方のこけしを掴んだかと思う
と、そのこけしめがけて小刀を振り下ろした。
「ザクッ」
鈍い音がしてこけしの顔の部分に傷が入った。
「かっ薫殿!?」
突然のことに剣心は動くのが一瞬鈍った。薫は何かにとりつかれたように、尚も小刀をこけしに突き立
てようとした。
「薫殿、落ち着くでござる!!」
剣心は必死に薫を食い止めようと、彼女の腕を掴んだ。彼女の手から小刀が滑り落ちる。
「カシャン…」
冷たい金属音が部屋に響くと同時に、薫は全身の力が抜けたようにその場に座り込んだ。その表情は怯
え体中が震えている。剣心は戸惑った。どうして彼女がこんな行動に出たのか、何が彼女をそうさせた
のか。薫は震えながら少しずつだが話し始めた。
「今の私は一体誰ですか?記憶を失う前の私は、どんな人間だったんですか?どうして記憶がないんで
すか。私…どうしてこんな事…したのか分からないんです…あのこけしを見た途端、自分が押さえ切れ
なくなって…何だか憎らしくなって…気がついたらこんな事に…私一体どうしたんですか!?私、私
は………!!」
涙を流しながら段々薫は、自分の中で何かが爆発しそうになるのを必死に押え込んでいた。そんな薫を
剣心は驚愕しながらも彼女を見つめている。
「今の私がもし本当の自分なら、記憶を失う前の私は何だったんですか!?それが逆なら今の私は何な
んですか!?私は…!!」
尚も何か言おうとする薫を静めるように、剣心はそっと彼女の肩に触れるとぎゅっと抱きしめた。
「剣心………さん?」
訳が分からず少し戸惑う彼女を尻目に、尚も力強く抱きしめる。薫の優しい温もりが、肌を通して伝
わってくる。何故だか彼女を小さく感じた。薫の方は暫く抱きしめられるうちに安心したのか穏やかな
表情に変わりつつあった。
(剣心さんは、こんな人だったのかな…?全然思い出せないのに何だか…懐かしい…)
薫にはそんな想いが込み上げてきた。剣心の温もりを感じていたかった。二人の間を静かな時が流れ
る。お互いの存在を確かめるように。想いを確かめ合うように…。三分ほど経っただろうか、ふいに
剣心が口を開いた。
「大丈夫、君は確かに此処にいる。昔の君も今の君も間違いなく君自身。俺が抱きしめている君は確か
に君なのだから」
迷いの無い、しっかりとした言葉。やがて薫の耳元で囁くようにこう呟いた。
「ずっと…傍にいるから…」
その言葉は薫に対しての誓いのように感じ取れた。
(全てを受け止め、絶対に守り抜く…君が俺にしてくれた様に…)
薫は先程とは又違った感情に溢れていた。彼女の答えは自然と出た。
「…はい」
そして自分も剣心と同じように抱きしめるのだった…。

君自身ハ何処ニ在ルノカ。大丈夫、怖ガラナクテイイ。俺ガ傍ニイルカラ……。

続く

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