オヤジボンバーズはこちら(ボンバーシチー放牧時の写真UPしました)
一口はボンバーシチーから始まった
初めて一口出資したのはボンバーシチー。
なにしろ、それまでは、競馬そのものにそんなに関心ありませんでした。
きっかけと言えば、ゲームのダビスタからだったと思います。
ここでは、私の心の名馬・ボンバーシチーのことの紹介と、一口人生初期のことを書いてみます。
◎ある日、朝日新聞の勧誘が・・・。
昔の知り合いが突然来訪。今新聞の勧誘をやっているので、なんとか朝日新聞をとってくれとのこと。
普通誌は、別にとっているので、仕方なく「日刊スポーツ」を定期購読するはめに・・・。
で、その日刊スポーツを何気なく見ていたら「友駿ホースクラブ」の怪しげな広告。
「へぇー、一口5万円でやれるんか。それにしても、シチーって名前はセンスないなぁ。
なんでシティにしなかったんやろ。」と思いつつ、資料請求。
◎募集馬のカタログが・・・。
カタログとともに友駿新聞・パンフレット等送られてきました。
(その中に現役活躍馬として、オープン目前プラチナシチー・マイルの新生アプローズシチー・
菊花賞出走キョウトシチー・堅実無比コルディアシチー等の紹介もありました)
で、カタログを見ていると、募集馬名フラビオUに目がとまり、なんにもわからないから、とりあえず即決で一口申し込みました。

募集写真
◎情報がまてない
馬名がボンバーシチーと決まり、3月中旬湖南牧場へ移動。
5月には、鹿戸幸治厩舎へ入厩。「丈夫な馬。どんどん乗り込んで仕上げる。」と鹿戸師。
ゲート試験も無事合格し、7月札幌入厩予定で、8月の函館新馬戦目標とのこと。けっこう舞い上がる。
ここまで、順調に来て喜んでいたが、そこへ「ソエのため脚を痛がっている。」との情報が・・・。
うーん、はたして函館新馬は出走できるのか? 友駿テレサが待ち遠しい日々・・・。
◎宮崎保養センターへ放牧
結局、北海道から九州へと放牧の旅へでることになりました。
この時は、かなり落ち込みました。
しかし、その後は乗り込み順調とのことで、早期の復帰を待つ日々となりました。
◎12月14日ついに帰厩
5ヶ月間待ちつづけた末、ついに帰厩とのうれしい知らせ。
しかし、まだデビュー前で能力がどの位あるか未知数の状態で、ここまで一喜一憂するものか。
恐ろしや一口生活の初出資馬。
◎ついにデビュー戦
そして2月4日、4歳(旧)新馬戦ダート1800でデビューしました。鞍上は芹沢騎手。
新聞の印は、うっ、少ない。小畑助手のコメントは「時計まずまず出ているが、叩いて良くなる。」とのこと。
とりあえずは、掲示板を・・・。と願っていたら出遅れながらも5着確保。まずまずのスタートでした。
◎衝撃の第2戦目
連闘での芝2000。鞍上は田原騎手。よくぞ乗ってくれた。期待を込めて新聞見てみると、うっ、印があんまりない。
それでも、5番手評価位か。
鹿戸師は「前走は出遅れ、力あるし巻き返しを期待。」と嬉しいコメント。
レースは、またまた出遅れました。しかし、4コーナーあたりから、エンジンがかかりはじめ、直線では、ごぼう抜き、2着入線。
凄い衝撃がありました。この馬はやってくれると・・・。
◎そして、1番人気で第3戦目
3戦目は堂々の1番人気。前走と同じく、芝2000。そして田原騎手。
ついに、初勝利の時が・・・、と期待しましたが、残念ながら4着。
またも出遅れました。
最後方からの競馬となり、前も詰まっていました。
それでも、4着にきたことに価値があると自分に言い聞かせました。
◎ボンバー待ってろ。生観戦行くぜ
当時は、パソコンもないし、情報は友駿テレサのみ。
金曜の5時に電話で出走を確認し、寝台列車に乗り込みました。
長崎からだと、当日の新幹線では、時間的に無理なので、初めての寝台となりました。
阪神競馬場へは、行ったことなかったけど、梅田で下車したとき、新聞持った人々がゾロゾロいたので、道案内は助かりました。
さてさて、4戦目は、阪神芝2200。
鞍上は主戦田原騎手。
田島助手のコメントも「今週はよく動いた。仕上がりは悪くない。たとえ出遅れても、この距離なら心配ない。」と心強い。
パドックは、チャカついていたが、闘志満々のよう。(このパドックのチャカつきは、引退まで続きました)
で、レースは、2番人気。心配された出遅れもなく好位へつける。
力が入ったが、結局1番人気の馬に1/2馬身差の2着と惜しい競馬でした。
交通費をとろうと思い、ボンバーの単勝に10000円勝負しましたが、記念馬券となりました。
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