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第二巻 三輪の神杉の巻 |
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一 大和の国、三輪の町の大鳥居の向って右の方の、日の光を嫌って影のみ選<よ>って歩いた一人の女が、それから一町ほど行って「薬屋」という看板をかけた大きな宿屋の路地口を、物に追われたように駈けこんで姿をかくします。 よくはわからなかったが、年はたしか二十三から七までの間、あまり目立たないつくりで、伏目に歩みを運ぶ面<かお>には、やつれが見えて何となしに痛わしいが、それでも、摺れ違ったものを一たびは振返らせる。鳥居の両側には何れにも茶屋がある。茶屋のないところには宿屋があって――女の姿を一番さきに見つけたのは、陸尺<ろくしゃく>や巡礼などの休みたがる構の大きい割に、燻ぶった、軒には菱形の煙草の看板がつるされ、一枚立てきられた腰高障子には、大きな蝋燭の絵がある茶店の中に、将棋を差していた閑人<ひまじん>共であります。 「彼<あ>れかよ、あれかよ」 「彼<あ>れだ、あれだ」 碁将棋を打つ閑人以上の閑人は、それを見物している奴であります。岡眼をしていた閑人以上の閑人が、今ふと薬屋の路地を入って行った女の姿を認めた時は、一局の勝負がついた時であったから、こんな場合には髷の刷毛先の曲がったのまでが問題になる。 「噂には聞いたが、姿を拝んだのは今日が初めてだ、なるほど」 「惜しいものだね――」 藍玉屋の息子で、金蔵という不良少年は、締まりのない口元から、惜しいものだね――と、ね――に余韻を持たせて、女の入って行ったあとを飽かずに見ていたが、 「全く、あのままこの山の中に埋めて置くのは惜しいものでございますなあ」 図抜けて大きな眼鏡をかけた材木屋の隠居も、何<ど>うやら残り惜しい顔をしている。 「全く罪ですな、凡そ世の中にあの位罪なものはございませんな」 一寸覗きに来たつもりで、浮々<うかうか>と立見してしまった隣の宿屋の番頭もつり込まれて慷慨の体。 「左様、全く罪なことでござるよ、あんなのは一層助けない方がようござるな、添うに添われず、生きるに生きられず、現世<このよ>で叶わぬ恋を未来で遂げようというのじゃ、それを一方を殺し一方を助けるなんぞ冥利に尽きたわけさ」 眼鏡の隠居は慨嘆すると、 「でもね――女に廃<すた>りものはないからねえ」 藍玉屋の息子の眠そうな声が一座を笑わせる。 ここに問題となった女は、机龍之助が鈴鹿峠の麓、伊勢国関の宿で遭い、それから近江の国大津へ来て、龍之助の隣の室で心中の相談を定め、その夜の中に琵琶湖へ身を投げて死んだはずのお豊――すなわちお濱に似た女であります。 一人は死に、一人は残る。そうして今女は親戚に当るこの三輪の町の薬屋(薬屋といっても売薬屋ではない旅籠屋である)源太郎の家へ預けられている。
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