ROHMUSHA・ロウムシャ

− 映画「ロウムシャ」が上映禁止 −

 

信じられないでしょうが、

映画「ロウムシャ」が上映禁止

となったのは本当の話です。

 

 

 1973年のことである。インドネシアで9600万ルピア(当時約6000万円)をかけて制作された映画が、封切直前にストップがかかった。題名はROHMUSHA、日本語の労務者のことである。朝日新聞(1973.6.28)が伝えたのは、上映中止を命じたのはインドネシア情報省映画局である。日本との友好関係をそこなう恐れがあるというのがその理由だ。しかし、いったん検閲をとおった映画が上映を禁止されるのは、きわめて異例のことです。関係者は日本大使館から圧力がかかったのではないかといいます。もちろん日本大使館がそれを公式に認めたのではありませんが、クレームをつけたのは事実のようだ。と上智大学の村井吉敬教授もいっている。

 



シンガポールの教科書に載っている日本人の
アジアの国々に対する歴史的行跡を紹介する
イラスト・ページ
             

  

 映画のストーリーは、第2次世界大戦中、日本軍に米を強制徴発された村人たちが飢えに苦しんでいる。勇敢な青年ロタは村人を救うために日本軍の米蔵を襲撃しようとするが失敗し、ロウムシャとして強制収容所に送られる。タピオカとうすい粥だけが与えられるだけで、ムチに追われて働かされる。ロタに好意をよせる収容所長の現地妻ナリが、ロタのために武器を持ち出したのが見つかり、死刑を言い渡される。これを知ったロウムシャたちの怒りが爆発する・・・。

 朝日新聞の記者は、映画の説明のあとで次のように書いている。日貨排斥が起きたタイなどに比べ、インドネシアの対日感情は悪くはないというのが大方の見方のようだ。しかし、そう単純には割り切れないことをこのケースは示している。インドネシアの社会にもなりふりかまわぬ日本の経済進出にたいする反発と不安がうっ積している。それが過去の記憶と結びついたとき、タイのような反日運動に発展しないという保証はどこにもない。

 ロウムシャということばは、すでにインドネシア語になっている。辞書をひくと、日本占領時代に重労働を強いられた人々、とある。動詞としても使われるが、受動態としてしかない。インドネシア人たちはいう。すき好んで働いたわけではないから、と。この話しには尾ひれまでついていて、日本の商社が賠償に似た金を出したともいう、と。この朝日の記者の予言は、半年後に的中した。

 1969年、インドネシアのジャカルタに日本人学校ができた。生徒数11人。70年に19人、72年3月に88人、11月には129人と増加する。日本系企業5社が操業を開始したのが1969年。70年に15社、投資元年とよばれた72年には33社に増える。
 日本人学校生徒の父母の職業は、エーザイ、三井物産、安宅産業、三共食品、日航、丸紅、三菱自動車、三菱商事、タケダ、蝶理、テイジン、野村貿易、大成建設、トーメン、住友商事、大日本印刷、旭化成、ヤマハ発動機、東銀、小松、鹿島建設、石川島重工シャープ、味の素・・・日本企業は、怒涛のごとくインドネシアに進出した(内海愛子「マンゴウの実る村から」1983 現代書館)。日本商品はインドネシアの金持ちから貧乏人まで、生活の隅から隅まで席巻している(「ちいさな民からの発想」1982 時事通信社)。
 どんな田舎へ行っても日本製科学調味料の看板が立っている。しかもラーメン一杯にもスプーン2〜3杯と宣伝している。パサール(市場)では、砂糖かと見まがうように、大きなビニール袋で売られている(田中彰「東南アジアと日本人」1983 小学館)。

 

 



オランダからの独立を考えるスカルノたちは
日本の協力を得るために、自らも労役に就き
積極的に日本軍政の遂行に協力した。
   

 

 

 

 多国籍企業の勝手

 

 インドネシアにサザンクロス繊維会社というのがある。テイジン、伊藤忠、東洋綿花が85%を出資し、P.T.JETCO International という会社が15%出資している会社である。   この企業は、女子労働者の応募資格を17才から20才の未婚の処女と規定し、それを確かめるために、応募者を全裸にして、男性を含む医師団に身体検査をさせた。労働者たちは、この事実を3度にわたって議会に訴えたが、3名が解雇され、263名は草むしり工場ビルの清掃、スタッフの車洗いなどを命じられた(「イントネシアにおける開発と正義」隅谷三喜男・アンセルモニマタイス編「アジアの開発と民衆」1983 日本YMCA同盟出版部)。  

 アサハン・プロジェクトはインドネシアの北スマトラのアサハン川に発電所をつくり、その電力でアルミを精練する計画である。住友化学、日本軽金属、昭和電工、三菱化成、三井アルミの5社と三井、三菱、住友、伊藤忠、丸紅、日商岩井、日綿の7商社が会社をつくり、インドネシア・アサハン・アルミニューム(日本側75%・インドネシア政府25%出資)を運営する。

 アサハン・ダムの建設工事を請け負っている日系の建設会社の、インドネシア人社員の給料は月に7万ルピアでボーナスは断食月明けに一ヵ月分、給料引き上げ要求を再三するが一向に上げてくれない。社員食堂の食事はここ何年来も米飯と塩干魚と鶏卵であり、ときに野菜がつく程度である。良い日本人とは、殴らない日本人のことで、それに属するのは35% ぐらいである。日本人社員は100万ルピアの給料をもらうが、インドネシア人社員は7万ルピア、日雇い労務者は日給1000ルピアである。日本企業の進出は、インドネシアの生産や雇用を増やしているとしても、日系200社余りの常雇い労務者は10年で5〜6万人ぐらいにすぎない。しかも賃金は日本人の十分の一ほどである(「小さな民からの発想」1983 時事通信社)。

 

 

 

 多国籍企業の暴力

 

 いま、我々が食べているバナナは、主にフィリピン・バナナである。フィリピン産バナナの90%は日本向け輸出である。輸出用フィリピン・バナナ産業を支配しているのは、多国籍企業である。それは、ドール社、デルモンテ社、ブランズ社のアメリカ系企業と住友商事の4社である。この農業産業4社はそれぞ自営の農園をもちフィリピン人労働者を雇ってバナナを栽培している。また周辺の自営農家に資金を貸付け、バナナを買い付ける契約を結び、同時に殺虫剤・農薬・肥料そして結実してバナナにかけるビニール袋などの工業製品を提供する。バナナと工業製品が交換され、その差額が精算される。こうして、契約農家の多くは、4社にたいして莫大な借金を抱えることになっている。

 フィリピン・バナナは農薬づけである。畑にあるとき空から農薬をまくし、地上にも撒く。収穫したバナナを防カビ剤の水槽で洗う。どの農薬も猛毒で、ゴム手袋や防毒マスクが必要だが、それをしている労働者はいない。高価だからである。フィリピン大学のランドルフ・ダビッド教授は、いまやフィリピン民衆の生活を特徴づけるものといえば、すざまじい貧困と、人間としての尊厳の喪失と、巨大な負債だけになっている。民衆をこのような状態に陥れたものを暴力と呼ばずして、なにを呼ぼう。第三世界においては、いたるところでこのような不正な平和を支えているのは、その国の独裁体制と巨大企業と外国政府とからなる同盟である(阪本義和「暴力と平和」1982 朝日新聞社)。

 

 

「賠償」そのものは当然であり、迷惑をか
けた人たちに償いの気持を形に表したもの
でなければならない。強者の論理で勝手に
されて形骸化して、弱者には無縁のもの
となっていた。 
           

 

 

 観光客・トランジスタ・石ころ

 

 この見出しはマレーシァの弁護士でまた第三世界の苦悩をうたう詩人セシル・ラジエンドラの書いた詩の題である。

 田んぼを見張っていた  物言わぬかかしは姿を消し

 何マイルも波打っていた稲田に  今は外資系電子工場が

 領主然と陣取っている  ヒタチ氏やボッシュ氏が

 工場廃棄物を大空に吐き出す  産業の巨人たちは

 秘密諜報員のように  殺しのライセンスを持つのだ

 どこへ行っても同じ話  投げられたナイフのように

 開発がつき刺さる  村を訪ねれば

 卵や野菜の供給者だった  小農民が観光業者に身売りさせられ

 ホテルボーイになり  娘はホステスになる 

(「朝日新聞」1985.1.11 夕刊 )

 

 公害輸出の問題でも、アサハン・プロジェクトは代表的である。アルミの精練によっておこされる環境破壊ははなはだしいものがある。そもそも、ここにアルミニウムの精練工場をつくる理由のなかに、日本では工場用地が無いということ、そして日本では公害反対の運動がたいへん強いからということがあげられているのである。

 ミンダナオ島にフィリピン焼結会社が設立された。全額、川崎製鉄の出資である。粉末化された鉄鉱石から硫黄分を取り除く行程が、この焼結会社で行われる。製鉄の公害の大部分はこのとき発生する。川崎製鉄は、焼結会社はミンダナオにもって行くので千葉の住民は悩まされずに済むと説明している。公害輸出の典型であり、それが日本のアジア認識であった。

 フィリピンやインドネシアだけではない。タイでもマレーシアでも、川の魚が死んだ。チャオプラヤ川は、タイの米どころと豊漁区域を縦貫するタイの動脈とも言われる重要な川だが、この川を水銀で高濃度に汚染した加害源は日本の企業である。上流にある苛性ソーダ工場排水溝周辺の沈殿物や魚から、高濃度の水銀がチュラロンコン大学の研究者らにより検出された。バンコク・ポスト紙に、水俣病の発症のおそれを示唆しながら大々的に報じた。この苛性ソーダ工場は、旭硝子の資本のはいったタイ旭カセイソーダであり、塩素事故を起こして問題となった工場である。と桃山学院大学の飯島伸子教授は書いている(「エコノミスト」1982.2.2)。

 

 

 

三人の女性は戦争孤児の寮母で琉球・糸満
漁民の現地妻であろう。上は当時海軍報道班
員だった作家の戸川幸夫氏。左端はパパバリ
と慕われた三浦襄。終戦時に善意を踏みにじ
った日本の非礼を詫びて自殺した。
     

 

 

 

 海外旅行者倫理コード

 

 外国に行って自分の目で外国を見る。いちばん確かな外国理解の方法のように見える。はたしてそうか。アジア・キリスト教協議会は、12か条の旅行者倫理コードを発表しなければならなかった。

 1.旅する時は、謙虚な心と、行く先の国の人々のことを学ぼうとする純粋な思いを持って下さい。

 4.訪ねる先の国の人々の時間感覚や、ものの考え方があなたのそれと違っている場合があります。だからといって、それらの人々があなたより劣っているわけではありません。ただ違っているだけです。

 10.安い買い物ができたなら、それはそれを作った人の賃金が安いからだということを記憶して下さい。

 フィリピンのマニラで「観光に関する国際会議」が開かれ、つぎのような声明を発表している。観光は、第三世界の受け入れ国側には、恩恵よりも破滅の方を多くもたらしてけいる。多国籍企業と支配階級と政治権力者たちが結びつき、観光でほんとうに利益を得るのは、豊かな工業化された国々で観光を送り出す側である。これらの国々こそホテル、航空会社、旅行会社など観光産業全体をコントロールしている。また観光によってつくられる雇用は、わずかで、季節的で、非常に搾取的である。文化交流も神話にすぎない。観光客の滞在はごく短期間で、表面的である。他方消費志向諸国からのパック旅行は、パック文化、パック・セックスを刺激する傾向がある。特に日本人や、アメリカ軍の基地の存在が、これを促進している。

 メキシコ在住の音楽家・黒沼ユリ子は、インディオの村に連れて行ってくれという日本人に問いかけた。知らない人から自分の方にカメラを向けられパチパチ写真を撮られた経験はありませんか。動物園の檻の中の、なにか珍しい動物のように。お宅の庭に、外国人が無断でニヤニヤしながら入り込んで来て、家の中を覗き込んでは、カメラのフラッシュを焚いたようなことはありませんか。と尋ねられたその人は、ようやく自分のしていることに気付きました。日本人の第三世界認識は、多くこのようなものです。

 

 



皇太子ご夫妻・現天皇皇后両陛下が友好親善
の訪問をした。両国にとって表面的には好ま
しい関係が完成した。しかし、多国籍企業と
支配階級と政治権力者たちの結託を両国民
が認めてしまうことになった。強者は巧妙
に弱者を支配するものだと思う。
     

 

 

やはり日本は失礼だと思う

 

 第二次世界大戦・太平洋戦争が「大東亜戦争」と呼ばれていたのは、ご存じだろうと思います。アジアの国々が西欧列強の植民地支配をはねのけて、独立国として共に繁栄しようと日本が提案した「大東亜共栄圏」構想の推進のための戦争と位置づけたためのネーミングです。東条英機首相が呼びかけて東京で開催された「大東亜会議」には、インドのチャンドラ・ボースやフィリピンのホセ・ラウレルらが招待されて出席しました。
 ところがインドネシアのスカルノは招待されませんでした。アメリカがフィリピンの独立を暗に認めようとする動きなど、その時点で独立が秒読み段階にあった国々にはあっさりと独立容認の保証を与えました。しかし、インドネシアには与えませんでした。

 日本の本音はアジアの国々を第2第3の満州国にすることだったようですが、インドネシアについては朝鮮と台湾についで第3の領土にするつもりだったようです。覇権主義にしがみついていた日本にとって、インドネシアはあまりにも魅力的過ぎたのでしょう。

 戦後の日本は武力侵略こそしなかったものの、果たせなかった野望を巧妙な手口でいま果たしているように思えてなりません。


       

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