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ドイツ人医師ベルツ博士は明治9年に政府の招きで来日して、東大医学部の前身である東京医学校で26年間も生理学、病理学、内科学、産婦人科学の教鞭をとり、日本医学のために多大な貢献をした人です。
ベルツ博士は荒井花子と結婚し、明治11年頃より草津温泉を訪れるようになる。温泉の成分を分析し、正しい入浴法を指導すると共に「草津は高原の保養地に最も適している。 草津には優れた温泉のほか、最良の空気と理想的な飲料水がある。こんな土地がもしヨーロッパにあったらどんなににぎわうだろうか。」と賞賛し、私費を投じて6千坪の土地を購入し温泉を引きクアハウスを建てて公開した。 世界無比の高原温泉であることを世界に紹介し、日本の草津を世界水準に引き上げてくれました。
ベルツ博士が冬期に滞在していた際に、旅館の女中たちが初期凍瘡(ヒビ、アカギレ)に苦しんでいる姿を目撃して、妻ハナコから「スキンケァはへちま水か馬の油ぐらいしか無く、日本中の女性が苦しんでいる」と知らされた。そこでベルツ博士は凍瘡治療薬を変方して「ベルツ水」を考案しました。植物油から「石鹸」の製造を指導し、その製造過程で生成されるグリセリン(保湿)と日本酒(殺菌:現在は消毒用エタノール)を主原料として、誰もが簡単に作れるものにして普及を計りました。
ベルツ博士は帝国大学医科大学の名誉教授となり宮内省御用掛侍医局顧問として明治天皇と皇太子の健康管理に従事して勲一等瑞宝章・旭日大綬章を受領しましたが、国民の保健衛生の向上に多大な功績を残したことを顕彰する意味も含まれていました。ベルツ博士のお陰で草津温泉は世界的に知られる名湯となりましたが、この恩に対して草津町は、昭和9年、西の河原にベルツ博士の顕彰碑を建立し、博士の生地であるテイッヒハイム・ビッシンゲン市と姉妹提携を結びました。

大阪・盛香薬館が発売したベルツ水の広告。 草津温泉・西の河原に建つ顕彰碑(左)
南ドイツ・ビーライヒハイム市長マイ氏から贈られ、東大医学図書館閲覧室に飾られている
ブロンズマスク(中) 東大構内に建つ名誉教師の称号授与を記念した銅胸像(右)
1599(慶長4)2月5日 初代戸田屋太郎太夫(ハナコの父方の先祖)死亡。以後、東海道 御油宿戸田屋の当主は代々太郎太夫を襲名
1849(嘉永2)1月13日 エルウィン、南ドイツ、ビーティヒハイムで建築請負師カール・ベルツとカロリーネの次男に生まれる
1864(元治元)11月18日 荒井はつ(ハナ、花、花子)、江戸(東京神田)で荒井熊吉(平吉?)とそでとの間に生まれる
1866(慶応2)エルウイン、チュービンゲン大学医学部に入学
1868(慶応4)7月4日 ハナコと家族、上野の戦争(戊辰戦争)で、一時三州吉田へ避難
1869(明治2)エルウイン、ライプチヒ大学に移り、ウンデルリヒ教授に就き内科臨床講義を受ける
1870(明治3)7月〜翌年春 エルウイン、野戦病院見習軍医として普仏戦争に従軍、セダンで赤痢にかかる
8月27日 荒井熊吉(ハナコの父親)三州吉田にて死亡。遺骨をもって上京。
1875(明治8)エルウイン、ライプチヒ大学病院に入院中のドイツ留学生相良玄貞に出合う
年末 エルウイン、東京医学校内科教師としての招待を受け、考慮の末受諾
1876(明治9)4月1日 エルウイン、ライプチッヒを出発、日本に向かう
6月7日 エルウイン、横浜湊着(27歳)
6月12日 エルウイン、生理学講義を始める
6月26日 エルウイン、大学構内の加賀屋敷に住む
(11月27日 東京医学校および病院は、神田和泉橋旧藤堂邸から本郷本富士町
旧加賀藩邸の地に移転)
12月6日 エルウイン、内科教師となり、併せて病理総論、産婦人科等も講義
(ハナコはこの頃、エルウインと出会う)
1877(明治10)(4月12日 東京開成学校と東京医学校を合併し、東京大学と称し、東京医学校は東京大学医学部となる)9月〜12月 コレラ発生し国内に蔓延、エルウイン、防疫に当たる
1880(明治13)エルウイン、この頃から草津温泉に注目(この年か、遅くとも翌明治14年には、大学官舎で実質的な結婚生活に入る「ベルツ花子関係年譜」)
1881(明治14)9月 ハナコとエルウイン結婚、橋本綱常媒酌(永尾美知「ベルツ花子刀自の追憶」学士会月報624、昭和15)
1883(明治16)6月27日 荒井そで(ハナコの母親)、死亡。 8月 エルウイン、箱根富士屋ホテルに滞在中、女中の手の荒れているのを見て、ハナコの示唆によりスキンローション(ベルツ水)を作って与える
1884(明治17)8月17日 エルウイン、第1回賜暇帰国で、アメリカ経由でドイツへ。結婚のための帰国ともいう
1885(明治18)12月 エルウイン、日本に帰着
1887(明治20)6月5日 戸田太郎太夫(ハナコの父方の祖父)死亡。この頃(明治20〜21)、ベルツと結婚(鹿島卯女 推定根拠は、トク出生からの逆算か)
1888(明治21)エルウイン、荒井花子と結婚(酒井シヅ トク出生からの逆算か)
1889(明治22)5月23日 長男トク(徳之助、Erwin Toku)誕生 エルウイン、この頃葉山を避寒避暑地として推奨
1890(明治23)エルウイン、葉山に別荘を建てる
10月13日 エルウイン、草津に土地5700坪と温泉を買う
エルウイン、この頃ら、明治天皇と、皇太子の侍医となる
1892(明治25)8月1日 エルウイン、帝国大学名誉教師の称号を受ける
8月28日 エルウイン、第2回賜暇帰国のため東京を出発
1893(明治26)4月29日 長女ウタ誕生
8月21日 エルウイン、休暇帰国を終えて東京に帰着、
生後4か月の長女ウタにう、ハナコは脚気
1896(明治29)2月28日 長女ウタ、感冒から腹膜炎をおこし3日後に急死(生後2年10か月)
1900(明治33)4月7日 長男トク(10歳)を単身渡独させることにし、ハナコは横浜まで送り、エルウインは神戸まで送り8日夜別れる
4月17日 養女ギン(12歳)、急性腹膜炎で死亡
5月 エルウイン、勲一等瑞宝章授与さる
8月17日 エルウイン、第3回帰国で横浜を発つ
1901(明治34)9月3日 エルウイン、東京に帰着、麻布へ引越す
11月22日 小石川植物園でベルツ博士の日本在留25周年記念祝賀会
1902(明治35)6月10日 エルウイン、東京大学在職26年の教師生活を終えるが、その後3年間滞日して、宮内省御用掛、侍医局顧問をつとめる
1904(明治37)(2月10日 対露宣戦布告)
11月28日 戸籍上、正式にエルウインと結婚、入籍
1905(明治38)2月25日 エルウイン、帝国ホテルへ引越す
6月3日 教会で洗礼を受け、宗教上の結婚式
エルウイン、旭日大綬章を受領
6月4日 エルウイン、小石川植物園で大学の送別会
6月9日 任期を終えたエルウインとともに、
白のドレス(現存)で宮中に参内、
天皇、皇后に謁見、東京を去りドイツへ
6月10日 ベルツ夫妻、横浜を出発
7月19日 イタリアのジェノバに上陸
7月22日 フリューレンで、長男トクに会う
7月30日 シュトットガルトで、夫の家族に会う
(8月10日 日露講和会議開始)
12月18日 エルウイン、ヴュルテンベルグ国王から修道騎士十字章を受領。
ハナコも紫陽花色のドレス(現存)で謁見。
1906(明治39)12月2日 エルウイン、深夜突然心臓苦悶、呼吸困難の発作あり、これが彼の死因となった動脈瘤による最初の心臓発作
1907(明治40)4月4日 東京帝大医科大学構内のベルツ、スクリバ両教授銅胸像の除幕式。エルウインは訪日を要請されたが健康が優れずことわる
4月13日 ベルツ夫妻 スイスのボーデン湖へ
5月22日 ベルツ夫妻 ベルリンへ
1908(明治41)1月〜3月 ベルツ博士、皇太子の診察のため、伊藤博文の要請で来日、シベリア鉄道経由でドイツへ帰る
8月20日 ベルツ夫妻 トク(長男)とともにスイスへ
1909(明治42)5月10日 ベルツ夫妻 バーデンバーデンへ
10月1日 ベルツ夫妻 カロリーネ(エルウインの末の妹とともにスイスへ)
1910(明治43)6月10日 ベルツ夫妻 ロンドンで開催の日英博覧会へ
1911(明治44)5月28日 この日(リンデン伯爵の誕生日)開館のリンデン博物館のために、ベルツ夫妻開館準備に忙しく働く
1912(明治45・大正元)2月12日 エルウイン、レントゲン透視により大動脈弓部にこぶし大の動脈瘤発見される
4月 ベルツ夫妻 エリーゼ(エルウインの妹)とともにスイス・ルガノへ
(7月30日 明治天皇崩御)
10月16日 ベルツ夫妻 ベルリンへ
1913(大正2)1月20日 ベルツ夫妻 エリーゼ(エルウインの妹)、マリア(エルウインの姉)とともにルガノへ
4月11日 エルウイン、病状悪化していたが、
この日は気分がよくて、ハナコとルガノ湖を周遊
4月16日 ベルツ夫妻 ルガノからシュトットガルトに帰る
8月31日 エルウイン、動脈瘤のため、
シュトットガルトにて死去(享年63歳)
1914(大正3)ハナコ、ドイツにて、この年勃発の第一次世界大戦に遭遇 長男トク、欧州西部戦線へ
11月 長男トク、鉄十字章を受く
1915(大正4)9月 長男トク、ヘレーネと結婚
1916(大正5)10月 トクの長男ハット生まれる
1918(大正7)トクの次男クノー生まれる
1921(大正10)長男トク、ルートヴィヒスブルガー・ヴェルクシュテットという会社を創立。業務内容は幅広く、建築設計、家具のデザインと製造、革製品、商標デザイン、彫刻・記念碑・墓石のデザインと製造、デザイン一般など。
1922(大正11)2月 ハナコ、17年ぶfりで、日本に帰国の途につく
4月8日 日本に帰着
6月 ハナコ、トクの長女ゲルヒルト生まれる
その後、三河で自分のルーツを探すドイツの孫娘に仕送りの工面を始める
1923(大正12)「欧州大戦当時之独逸」の原稿、関東大震災で焼失
12月 岩屋観音(豊橋市)の岩場に鉄の鎖を寄進。さらに、この鎖が
悪くなったら取替えるようにと、50年据え置きの信託預金100円も寄進。
1925(大正14)トクに双生児(三男ディーツ、四男ゲッツ)生まれるトクの会社、創立5年にして破産。
1928(昭和3)トク夫妻、ハット(長男)、クノー(次男)を連れて来日。トクはハットとシベリヤ経由で、ヘレーネはクノと船で来た。ショットレンダー著「エルウィン・フォン・ベルツ」出版
1930(昭和5)11月 ハナコ夫エルウインの供養塔を豊川の西明寺に建立。100年後に寺を総改築をするときには35万円にはなるだろうと、信託銀行に2500円の積み立てを寄進。
1931(昭和6)トク、「エルウィン・ベルツ(ベルツの日記)」を編纂、出版
1933(昭和8)4月 ハナコ、「欧州大戦当時之独逸」を自費出版
ヘレーネ・ベルツ(トクの正妻)、没 (ドイツに、ヒットラー政権誕生)
1935(昭和10)8月 ハナコ、草津のベルツ記念碑の除幕式に参加 秋晴れの一日 杉並の自宅を訪れた鈴木双川(東京医事新誌)に、回顧談(ベルツ花子刀自回顧談)を語った
1936(昭和11)4月3日 ハナコ夫人を主賓として、東京上野精養軒で「ベルツ先生追悼の夕」が行われる
4月4日 ハナコ、葉山にベルツ博士と駐日大使マルチーノの記念碑が
建ち、除幕式に参加 西明寺に書状を送る(11月 日独防共協定締結)
1937(昭和12)ハナコ、2月7日早朝 東大病院で逝く(享年74歳、胃癌)。
2月10日 東京帝国大学仏教青年会館で告別式。
遺骨は、下谷法清寺に埋葬、シュトットガルトに分骨
2月 ビーティヒハイムのエルウインの生家に、ベルツ博士の
記念板が掲げられる
1938(昭和13)8月ベルツ博士二十五年追憶祭行なう
1939(昭和14)浜辺昌彦訳「ベルツの日記」出版(日独医学協定締結)
1940(昭和15)トク・ベルツ(ベルツの長男)、日独映画親善使節として来日(戦争のために、幻となった東京オリンピック)
1943(昭和18)クノー・ベルツ(トクの次男)、戦死
1944(昭和19)8月 ディーツ・ベルツ(トクの四男、双子の一人)、ポーランドにて戦死
9月 ベルツ博士三十周年追憶祭ならびに記念講演会開催
10月 ゲッツ・ベルツ(トクの三男、双子の一人)、戦死
1945(昭和20)3月 トク・ベルツ、東大病院(佐々内科)にて没 ハット・ベルツ(トクの長男)、マルロ・アレキサンドラと結婚
1962(昭和37)8月 ビーティヒハイム市メッター公園にベルツ博士記念碑建立される
10月 ハット・ベルツ(トクの長男)、来日 ベルツ博士追憶祭挙行
1963(昭和38)8月 ベルツ博士五十年祭挙行
1964(昭和39)エルウィン・フォン・ベルツ賞設定
1968(昭和43)10月 葉山にて第1回ベルツ祭、以来毎年挙行
1969(昭和44)マルロ(ハット・ベルツ夫人)、没
11月 ゲルヒルト・トーマ夫人(ベルツの孫)来日
西明寺にベルツ顕彰句碑が建立 され、記念に菩提樹が植えられた
1971(昭和46)12月 ハット・ベルツ(トクの長男)来日
12月 西明寺境内にベルツ家新墓標を建立
1972(昭和47)1月 ベルツ博士生誕123回式典ならびに記念講演会開催
6月 鹿島卯女「ベルツ・花」を出版
7月 ハット・ベルツ(トクの長男)死亡
1977(昭和52)4月 小川京子「潔く気高く美しく ベルツ花、クーデンホーフ光子の生涯の語りかけるもの」出版
5月4日 ベルツ博士の母校、チュービンゲン大学でベルツ顕彰句碑「君によりて日本医学の花ひらく(水原秋桜子)」の除幕式
10月20日 西独から34人の墓参団、西明寺へ
1978(昭和53)鹿島卯女「ベルツ花」の独語版、ドイツで発刊される
1979(昭和54)11月 綾部伴子「ベルツ・花子 控え目で聡明な外人妻」(『明治女百 譜』日本の女性史(6)所収)発刊
1980(昭和55)1月 市川善三郎「ベルツと草津温泉」発刊
12月 近藤富枝「ベルツ・花」(『黎明の国際結婚』女の一生 人物近代
女性史(3)、講談社)発刊
1982(昭和57)10月24日 西独からの墓参団、西明寺へ
1983(昭和58)5月 大島信雄「豊川医報」に、「ベルツ花子伝」の連載を開始
8月 大島信雄「資料集・三河の鳥人
戸田太郎太夫」をまとめる
1984(昭和59)7月5日 沼田仁太郎、花さんの遺品のおもちゃを西独の孫娘トーマさんへ届ける
1985(昭和60)1月6日〜3月3日「ベルツ花子夫人」東海日日新聞に連載される
1988(昭和63)10月22日 西独から墓参団、西明寺へ
11月2日〜平成元年2月26日 豊川地域文化広場で「特別展 西明寺」
1989(平成元)4月25日 大島信雄「ベルツ花子と西明寺」と題して卓話
6月 近藤富枝「ベルツ・花」(『国際結婚の黎明』人物近代女性史、
講談社文庫版)発刊
10月30日 西独のシュミット・村木真寿美さん、花さんの実像を求めて来日
1990(平成2)2月 豊川市医師会、ベルツ花子ゆかりのこの豊川市でのベルツ花子研究の要約と、ベルツ博士夫妻関係資料目録を兼ねて、「ベルツ花子関係年譜」(豊川市医師会史編纂資料第4集、115p)を発刊
1993(平成5)8月 真寿美・シュミット=村木「花・ベルツへの旅」講談社、発刊
1996(平成8)10月16日〜20日 豊川市地域文化広場内の桜ヶ丘ミュージアムにおいて、国際化のあけぼの「花・ベルツ」展を開催
参考資料:
・鹿島卯女「ベルツ・花」鹿島出版会、昭和47
・豊川市医師会「ベルツ花子関係年譜」平成2
・真寿美・シュミット=村木「花・ベルツへの旅」講談社、1993
・安井広「ベルツの生涯 −近代医学導入の父−」思文閣出版、1995、ほか
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