《 大耳紳士録》


大耳レーベル

 1991年夏、某大学医学部地下に劇団仮面工房団員、舞踏家、ミュージシ
 ャン、詩人などが集まり、「ドグラマグラ教室の夕べ」を開始する。翌年、仮面
 工房プロデュースのもと酒処「生きてるうちが花なのよ」にて2年間にわたり、
 舞踏、コンサート、小芝居などのライブを行う。以後、地下に潜行しながらも
 毎週活動を続け、表現の実験を繰り返しつつ腕を磨く。
 97年、満を持して光のもと、パピオビールームに名前も新たに「大耳レーベ
 ルの夕べ」として生まれ変わる。「誰でもいつでも参加できるワークショップ」
 というコンセプトが受けてか、毎週金曜日、西は長崎、東は広島からの異端
 のアーティストや危ない人妻までが集う一大地獄絵巻と化す。10月にはライ
 ブハウスチープサイドを2日間借り切っての旗揚げライブにて、賞賛と顰蹙
 を浴びる。現在、欲望のままに機関紙「大耳だより」を発行、ライブビデオ、
 音楽テープを発売中である。又、多数の企画と人材が入り乱れ、夢遊病者
 のようになりつつ張り切っているが、この先どうなって行くのか私にもサッパリ
 わからない。 下松勝人


舞踏 青龍会

 1980年9月、東京にて舞踏結社青龍会創設。
 《主な活動》1980年舞踏初儀「天之羽羽斬之剣」於・目黒区民センターホール
 同年12月野外舞踏儀「天地の結び」。
 83年12月野外舞踏儀「・盈つ珠、・乾る珠」他。
 84年3月、青龍会解散。94年福岡にて再結成。舞踏の現場「きたるべき感情
 へ」全三景、於・福岡市吉塚IMAGE MARKER。
 95年12月「舞踏の現場−感情の海へ−」於・小倉、シアター365。
 96年7月「舞踏の現場’96−感情のうみへ−」於・名古屋カルバドス、小倉スリ
 アバティ、福岡サライ、小倉GATE。
  「青龍を視たり。牙と牙のあはいに玉、双の足に鏡剣を携えたる龍、地を蹴り
 て翔りぬ。脇腹には雷にて穿たれたる一条の深淵。そこから絶えず流れ出る
 エーテルの血は雨となり河となりてわが魂を濯ぐ。生命のかわというべけんや。
 璽。鏡。剣。げにこれら三祗は幻影に非ず。天に日、月、星在る如くわが内に
 しかと蔵するところのものにして、日々猶新たむるべきところのものなり。われを
 措いて新たむるところなく、われを擲たずして又得るを得ず。これ舞踏の妙技
 ならん。
  青龍来たりてかく示せりはわが運命ならんか。さらば勇を奮いて往かん。汝
 が示す天地の極み、大いなる生命の顕ずる元へ。」−結成時の挨拶より−
                                         原田伸雄


表現集団 万華鏡

 我々、万華鏡に集まった人々は、人間・宇宙のなかに脈打つ聖なる流れを
 流れのまま表現してゆきたいということにより、「肉体コラージュ」という表現
 形態を目指し、活動を続ける。これは切り取られた空間を白いキャンバス
 にたとえ、肉体によってイメージの切り張りをして行く「詩的無言劇」である。
 伝統芸能と無限に広がる舞踏の動きのエッセンスをからみあわせて、独自の
 表現で世界にアプローチしていく集団である。
 万華鏡は、あくまでも「表現集団」という形態にのっとり、作品に対して「流動
 的な単位」として参加していく集団であるという認識にこだわって行きたい。
 自覚的で慎重な芸術の原理になっているものを、歴史的に言い表すための
 言語(肉体言語)を探求するために、「肉体コラージュ」という表現の意味づ
 けが必要である。


下松 勝人

 1956年、筑豊生まれ。1979年、大学在学中に劇団「薔薇一族」を旗揚げ、
 80年解散。81年、劇団「仮面工房」結成。82年、第一回福岡演劇祭の企画
 運営に参加。同年、福岡のロックミュージシャンとインディーズレーベル「092」
 を結成。テープ販売やコンサート、海外アーティストの招へいを行う。87年、
 劇作家久松ホキト氏、評論家梁木靖弘氏らと演劇批評雑誌「カサノヴァプレス」
 創刊。91年、手作り劇場「月光シアター」を箱崎にオープン。96年、自作
 天国への扉」を最後に劇団を引退、フリーの演出家となる。97年、福岡舞台
 芸術講座シンポジウムに出演。同年、「大耳レーベル」結成、多ジャンルの
 アーティスト達とワークショップを展開中。また、プロデュースユニット「芸術工
 作室
」を設立。クリエイティブな活動をするアーティストへの協力、応援をめざ
 している


原田 伸雄

 1949年生まれ。早稲田大学在学中に劇団「自由舞台」を経て、舞踏家笠
 井 叡(あきら)の主催する「天使館」に解散時の79年まで約7年間参加。
 80年から84年まで舞踏結社「青龍会」を主宰。帰郷後10年間の沈黙を経
 て、94年福岡で、「青龍会」を再結成した。97年8・9月「Aria−イブの林
 檎−」を名古屋・北九州・福岡にて踊る。


樹里

 1964年北九州市生まれ。85年に舞踏集団「白虎社」の熊野合宿にて大須
 賀勇と出会う。同年、「万華鏡」創立。各地街頭をねり歩く。87年、フランスボ
 ルドー市にて開催された第23回シグマ演劇祭に参加。帰国後、九州の筑紫
 舞の修行を行う。91年、東京駒場アゴラ劇場「世紀末演劇祭」に九州で初参
 加。以後、毎年参加。


田崎 ちょこ

 1979年、早大劇団「こだま」にて演劇の基礎を学ぶ。
 1982年、劇団「仮面工房」入団。役者・スタッフ・制作を手がける。劇団の練
 習の中で舞踏に興味を持ち、「ペルソナ小劇場」「夕べシリーズ」等で踊る。
 1993年、同劇団退団。「ドグラマグラ教室の夕べ」「青龍会ワークショップ」
 「大耳レーベルの夕べ」に参加。即興演奏家達と共演。


福島 伸

 昭和42年7月22日生まれ。東京都出身。20歳より演劇活動に入る。1995
 年、大阪の劇団「楽市楽座」の福岡公演をプロデュース。その後、劇団「仮
 面工房」にて役者活動に専念する。「こんな宿屋」「少年・Z」などの作品に参
 加。と同時に、舞踏の道に入る。身体表現と演劇が相互に影響しあい、好ま
 しくなる。劇団を退いた後、「大耳レーベルの夕べ」に参加。そして、街頭で
 のパフォーマンスなど多彩に、あらゆる表現の可能性を考える。


西野 理子

 昭和48年8月18日生。血液型AB型。福岡生まれの横浜育ち。好きなもの、
 古着を集めること。蒔絵をすること。水泳。ビールとワイン。嫌いなもの、マヨ
 ネーズ。人込み。
 私にとって表現すること(そう呼べればの話ですが)の原典となっているのは、
 5才位の時に何かおけいこ事をさせようと母親に連れて行かれた絵の教室で
 した。絵の教室と言うより創作する場所と呼んだ方が適当かも知れません。先
 生は特に描き方を教えるというわけではなく、めいめいが勝手気ままに飽きる
 迄描くという結構いい加減な教室ではありました。5才位の事でしたので何と
 なくなのですが、せっせと描いていた記憶があります。


山口 千春

 1978年、佐賀県生まれ。
 高校時代にダンスグループ”Be−Splash”を結成し、ヒップホップ・ハウス・
 ソウル・ジャズ・ロック・ダンスなどを融合した振り付けを行なう。
 96年ジョージ・シーガルの日常を切り取った様な奇妙な石膏像に衝撃を受
 け、それまでのダンスに興味を失う。そんな時、原田伸雄氏の舞踏に出会
 い、踊る事と自分をもう一度見つめ直す。
 97年「大耳レーベルの夕べ」に参加し始め、あらゆるものが関係し合って出
 来る信じられないような空間を体験する。


花田 宏毅

 高校から大学にかけて数多くのイヴェント、ライブに参加。大学卒業後「ミュ
 ーズ学院」に入学、演奏法と基礎理論を学ぶ。その頃より、実験音楽、即興
 演奏に近づく。自覚して行なう表現行為そのものが作品とみなすので作品
 多数。もちろん音楽に限らない。今まで気に入ったものでは「エリック・サティ
 の福笑い図」、永遠に演奏できる回転式楽譜、演奏時間1分の曲5曲による
 「Five minuites」、随筆「都市の神々」等々。プログレッシブロック喫茶店
 経営者、新聞のコラムニストだったこともある。
 天籟堂(てんらいどう)主人。


倉地 久美夫

 1964 福岡県生まれ。
 1980 母校が火事、オルガン・打楽器等を盗み、以後音楽創りを始める。
 1985 身体パフォーマンスや映像、ダンス等とのセッションに参加等開始。
 1988 自身のユニットやソロで演奏開始(ラ・ママ、アピア、マンダラ2、等)。
 1993 弾き語りを中心に、関東〜九州でフリーミュージック等の参加を行う
 1995 ソロ活動に加え自己のトリオを開始(ショーボート、チープサイド、等)。


音在 則孝

 ’70年福岡に生まれる。’89年より生田琴曲に触れる。’94年から自作曲の
 演奏を始める。以後、チープサイドやビブレホール等、福岡市内中心にライブ
 活動を展開する。


想田 凪子

 1996年3月23日東京生まれ。ビートルズ初来日の年、某放送局報道カメラ
 マンの長女として生まれる。20歳の時、修猶館高校演劇部OBらが主体であ
 った劇団「末期症状」入団、同劇団の解散公演をプロデュース。その際仕込
 みの応援に来てもらっていた劇団「仮面工房」のメンバーと知り合う。22歳で
 同劇団の作品(卵の楽譜)にヘルパーとして参加し、その後正式に入団。ブ
 ランクをはさみながらも8年に渡って舞台表現に関わる。通り名は「妖艶系・
 際物女優」。なぜか看護婦の役が多い。30歳で退団、結婚。その後生活に
 追われる傍らボイスワークに関心を寄せ、特に朗読を基礎にした小規模な
 舞台表現に興味を抱き始める。主な出演作品は(From Machanic T.)
 (夢まで待てない)(卵の楽園)(子供の王国)(びろうどのしま)(虎★ハリマ
 オ)(月間シアター)(天国への扉)。


森川 良哉

 ’69〜’89、福岡、福山、西宮に住む。
 ’89、広島にて尺八を始める。山本観山に師事。
 ’93頃から、広島リアルジャズ集団、複数の劇団、インスタレーション音響、
    色々な音楽家、パフォーマーとの共演行為に参加。
 ’95、CD”WHY SHEEP?/SAMPLING CONCERTO NO、1
    〜THE VANISHING SUN”に参加。M・・OODレーベル。
 ’96〜「ドグラマグラ教室の夕べ」〜「大耳レーベルの夕べ」に参加。
 ’97・3〜、福岡に住む。舞踏家との共演、即興の他、自作曲の演奏も行
    う。


谷本 仰

 バンド”ドグラマグラ”リーダー


稲垣 英嗣

 1978年広島県生まれ。新人天才ギタリスト。97年、福岡に移住。森川良
 哉と共に数多くのライブ活動を行なう。広島野外演劇プロジェクトテント版公
 民館運動、福岡SOUNDTALK97に出演。


押川 智幸

 私は大耳レーベルでドラムを担当している一人です。現役学生で九州大学
 で機械を専攻しています。私はまだ大耳レーベルに参加して間もないので、
 分からないことが多々あります。が、いろんな方々がいらっしゃって、わから
 ないという不安よりも、いつも好奇心をそそられるような感じで、楽しく過ごし
 ています。


花田 伸一

 小中:絵筆を振る
 高大:スティックを振る
 現在:無い袖を振る
 好きな食べ物:誰かの手料理
 嫌いな食べ物:自らの手料理
 好きな事:地に足着いた理論
 嫌いな事:実証生のない理論
 好みのタイプ:割烹着の似合う人
 嫌いなタイプ:ボディコンの似合う人
 得意な事:部屋に混沌をもたらす事
 苦手な事:部屋に秩序をもたらす事


金色 智恵

 1964年北九州市生まれ。
 1996年4月から、北九州のアーティスト達による「パラサイト・プロジェクト」
 で、ストリートを舞台にした現代美術作品を発表。
 祇園町アート・プロジェクト(’96 11月 北九州市)。
 モダン・de・平野〜コンビニ・アート〜(97 7月 大阪市平野区)等に参加。
 1997年4月から表現集団万華鏡の美術を担当する。


平安 智子

 1961年4月11日生まれ。北九州造形短期大学油絵学科卒。個展2回、グ
 ループ展、3人展、数回。主な活動、油絵、銅板画、オプジェ、空間造形。


庄嶋 ちあき

 大学院では「源氏物語」を専攻。ことばの持つ力に惹かれる。諸般の事情
 で卒業後一時太るも、原田の舞踏と出会い、ことばの発生する基盤としての
 身体の重要性を痛感。以来、ダイエット中。青龍会参加後、体重5キロ減に
 成功。現在、青龍会事務局、制作、美術、衣裳、音響、よろづ担当。


出田 浩志

 1965年3月12日生まれ。魚座。B型。
 高校演劇をへて、福岡を中心に「劇団末期症状」「劇団お子様エレキ団」等
 で活動。並行して舞台照明ユニット「大黒屋」を結成。1996年末「劇団仮面
 工房」の照明オペレーターとして5年ぶりに現場復帰。


 

インデックスへ戻る