|
社長の能書き |
|
私は若者に鈑金塗装の仕事を教え、技術を指導して行く立場にいます。このような立場から器用、無器用に付いて気のついた事を書きました。 私がこの職業について35年間に約20人の若者を指導してきましたが、最近の若者の傾向として手先が器用だと言える者が極めて少ないようである。 どちらかと言うと無器用な若者が多くを占めていると言っても過言ではないでしょう。 そのような若者達が興味有るからと単純な理由をかさげて職人になろうと入社して来る。入社して最初に感じることは動作が鈍く散漫である。歩き方がのろいは全てがのろい。このようなことが言えるのである。 器用、無器用は習慣病ではないか。 私は子供のころから器用だ何をやらしても上手い、さまになっている。このような事を言われて来たが、最近ふと思ったことが有ります。 自分が特別器用ではないのでは無いか、自分の子供のころ過去を降りかえってそれが解明したのである。 他の人から、あなたは器用だ言われた私の全てが好きなことだたと言ってまちがい無いのです。しかも廻りの誰よりも経験豊富な事でした。人々はは経験豊富な人を器用と言うのではないか。器用な人は単に経験豊富な人ではないか。 器用な人は他の人より手先を動かすことが好きで、経験が極めて多く、反復し、なれた人と言えるのではないか。そして誰もが器用になれると言うことができるのではないか。 ならば成人した無器用人が他の人から器用と言われるまでになるには多量の時間をついやし反復を繰り返さなければならないのは確かである。 何故なら器用な人は子供の頃に無器用な人の何十倍、何百倍もの経験をしているからである。 鉛筆をナイフで削ったことすら無い今の若者が器用に物事(手作業)を進めて行くのは並大抵の努力では補えないのは確かである。 其れでは鉛筆を削った事の無い若者に技術の伝承をして行くにはどうしたら良いのか、一つ一つの動作を敏捷に動くことのできる習慣を付けたい事である。 器用がすべて良いとも思わないことも有る。 器用な人は好きなことだけが器用と言えるのである。つまり好きでないこと嫌いなことは器用でない無器用と言えるのです。 無器用な人は反面苦手や嫌いなことも、こつこつと少しづつ器用に近づくことができるのである。 無器用な人が器用に変身することが理想の技術者であるような気がしました。 しかし、五十を過ぎた私の仕事の一部でも追いつき追い越す勢いの有る若者がなかなか見付からず苦悩しているのが現状であります。 今般何処の企業も事務処理の簡素化を目指し同様にパソコンを導入していますが、 当社も同様に見積業務、顧客管理、経理業務等がパソコン業務となっている。 パソコン操作でさえ五十過ぎの私から見て努力が足りないの一言である。家に自分のパソコンを所持していながら一本指で押している私の妻以下では仕事をしている意識が足りない。認識が無いの一言につきます。 パソコン導入にあたって周囲の人達から五十過ぎの手習いなので使えないでホコリをかぶり、すぐに私のパソコン先生(友人)に譲ってしまうのではないかと心配された私だが今では事務所で三台のパソコンが活躍している。 そのうち、一台はソフトメーカーの策略により別々にせざるをえなかったのだが。 仕事のできる人は努力を怠らない。人間器用になるには人の何十倍も努力が必要である。生れた時からの器用な人はいない。 |
|
|