The Beatles Live In Japan Document 1966



2月16日

 

日刊スポーツ、日本のプロモーター筋(東芝音楽工業)がビートルズ招聘に乗りだし、ビートルズ側が条件提示をした、との記事が掲載される。これに対し同社石坂専務は、「交渉をしているのは事実だが、呼びたいということと実現性は別問題だ」とコメント。

3月3日

 

ニュー・ミュージカル・エキスプレス紙、ビートルズが夏に来日すると報じる。

3月14日

 

ブライアン・エプスタイン、仕事上のパートナーであるビック・ルイス氏を通じて日本のプロモーターである協同企画の永島氏に、ビートルズ日本公演の協力を要請。

3月15日

 

何度かビートルズの来日に関する噂はあったにもかかわらず実現していなかったが、日本のレコード業界視察のため来日したEMIレコード会長のジョセフ・E・ロックウッド氏が「ビートルズは必ず日本にやってくるでしょう。第三次世界大戦でも勃発しないかぎりは」と発言。

3月22日

 

永島氏、ブライアン・エプスタインの元へ交渉のためロンドンへ向かう。永島氏の提示した「1ステージ10万ドル」の条件を了承。この際、エプスタインの条件提示は「1万人以上収容できる屋内会場。入場料は6ドル以下」というもの。

4月9日 

 

毎日新聞夕刊で「“瓢箪から駒がでそう”といわれているのがビートルズの来日。マネージャーのブライアン・エプスタインがイギリスの週刊誌に「日本へ行きたい」と語ったことから火がついて、6月来日説、8月来日説、10月来日説、一方では“ただのPRさ”という様々な噂がみだれとんでいたが、最近になって6月末来日説が濃厚になってきた。世界一忙しく、高価なタレントだけにどうなるか判らないが、来日するとなればカラヤン以上の話題になるだろう」との記事が掲載される。

4月27日

 

読売新聞にビートルズ来日の記事が掲載される。「読売新聞社は協同企画、中部日本放送と協力して本年6月末、現在世界で最も人気のあるイギリスのボーカル・グループ『ザ・ビートルズ』一行4人を招き、極東で初めての演奏会を開催することとしました。(中略)今回はザ・ビートルズ一行が6月からドイツ、アメリカ、カナダ演奏旅行の途次、日本公演が実現することになったもので、我が国音楽界の最大の話題であり、音楽愛好家にとってまさに千載一遇の機会であります。ご期待ください」との記事が掲載される。

5月1日

 

ニッポン放送、ビートルズ来日に合わせ、『ザ・ビートルズ』という情報番組を放送開始。

5月3日

 

読売新聞に「待望の日程決まる 東京だけで3公演」との記事が掲載される。6月30日〜7月2日の3日間で、合計5回の公演が行われることに決定。この社告の中で演奏曲目が発表されたが、実際に演奏されたのは「Baby's In Black」と「I Feel Fine」だけであった。また同公演の放映権は日本テレビが獲得。

読売新聞による演奏予定曲

  1. Please Please Me
  2. I Want To Hold Your Hand
  3. Love Me Do
  4. Can't Buy Me Love
  5. I Feel Fine
  6. She Loves You
  7. I Should Have Known Better
  8. Roll Over Beethoven
  9. Baby's In Black
  10. All My Loving

5月5日

 

日本公演の入場券がハガキによる抽選販売の方法がとられ、この日から10日まで受付を開始する。これはファンの争奪戦や徹夜の行列などによる混乱を防ぐためのもの。

5月5日ごろ

 

銀座のワシントン靴店に「靴を買ってビートルズを見よう」という宣伝看板が掲げられた。この店で靴を買うと、スポンサーであるライオンの化粧品が貰え、その化粧品にビートルズの入場券が当たる応募券(抽選)が添付されているというもの。

5月10日ごろ

 

日本航空と協同企画のタイアップで、『日本航空でビートルズを見る旅』というツアーが企画される。この企画は東京−大阪間、東京−福岡間、東京−札幌間の航空券と入場券がワンセットになったもの。このため東京に住むファンはツアーを申し込み、大阪または福岡、札幌まで行き、飛行機で東京までやってくるファンも出現した。

5月17日

 

日本公演の入場券抽選が行われる。3日間の入場者数は合計で3万人が限度だが、全国から集まった申し込みは20万8850枚。

チケット料金

  • A席 / 2100円
  • B席 / 1800円
  • C席 / 1500円

せっかく抽選に当たったにもかかわらず、受け取りに来ない人や葉書に住所が記載されていなかった・・・などの理由から2〜3百枚の残りが出たようで、これは一般販売せず縁故でさばかれた。

5月20日 

 

AP電が日本の受け入れ体制について報じる。「ビートルズは羽田空港に降りられず、チャーター・ヘリコプターで立川、もしくは大阪、名古屋に降りることを考えており、混乱を避けるため来日予定日を変更するかもしれない」との記事内容。実際、警視庁では、空港が混乱したときのためにヘリコプター3機で市ヶ谷駐屯地まで行き、そこから宿舎まで護送することを計画。また羽田空港の滑走路にファンが乱入した際は、横田基地に緊急着陸し、同様に宿舎まで護送する計画をたてていた。

5月24日

 

当時の読売新聞社主で日本武道館館長でもあった正力松太郎氏が、「ペートルなんとかというのは一体何者だ? そんな連中に武道館を使わせてたまるか」と発言。

この時点ですでにビートルズを招聘した協同企画と武道館側で使用契約をかわしており、会場使用料を中部日本放送が払い込んでいた。また主催の読売新聞でも公演日程を告知、チケットやポスターの印刷もすでに終了していた。それがここへきて正力氏の発言を発端に、関係者やファンからの非難の声が集中。が、武道館が使用できない場合を視野に入れ、代替え案が浮上した。ビートルズがニューヨークのシェア・スタジアムでコンサートを行ったことがある、ということから、後楽園球場が候補に挙げられた。会場の規模や収容人数には心配がなかったが、野外球場であるためいくつかの問題があった。ブライアン・エプスタインの出した条件である“1万人以上収容できる屋内会場”でないことと、気象庁の過去5年間の統計では雨天となる可能性が高いということであった。このため共同企画の永島社長は、ニューヨークでブライアン・エプスタインと会うためアメリカへ向かった。会場変更の説得にあたるためで、日程の変更はなしで、雨天でもコンサートを決行するということで話がまとまった。

5月25日

 

日本の武道の伝統を損なうとして、日本武道館のコンサート使用について散々もめたが、この日ビートルズの公演のための使用について正式に許可がおりる。当時の日本には、武道館に匹敵する大規模室内会場が無かったため、白羽の矢が立ったもの。

これについて6月9日付の読売新聞に、武道館理事長の赤城宗徳氏の声明が発表された。-以下-
『この度、女王から勲章を授けられた英国の国家的音楽使節、ザ・ビートルズが読売新聞社の招きにより、初めて日本で公演をすることになりました。主催者側は、その世界的な人気と国際親善の視点から日本最高の施設を持ち1万人以上を収容、しかも、警備、音響効果の面からも万全を期せられる会場を物色していましたが、これらの条件を具象しているところは日本武道館以外にはないと判断して、使用許可を武道館に打診してきました。しかし武道館側としては、武道の殿堂であり、青少年の心身育成の場であるので再三お断りしましたが、主催者側はもとより、英国側からも重ねて強い要請がありましたので、諸々の情勢を検討した結果、その使用を許可することになりました。』

5月25日ごろ

 

来日公演に合わせ様々なビートルズ・グッズが発売されたが、その中でも奇抜だったのがビートルズ・カツラであった。販売元の毛髪科学センターでは「ただいまヨーロッパ、アメリカで大人気のビートルズ・ヘアー。日本では毛髪センターが独占販売!」と銘打って大々的に販売された。売れ行きについては不明。

5月29日

 

TBSテレビの対談番組“時事放談”で政治評論家・細川隆元と小汀利得が、ビートルズの武道館使用の問題に触れ「こじき芸人に武道館を使わせてたまるか」と発言。全国のビートルズ・ファンから抗議の電話や手紙が殺到。

6月5日

 

再び“時事放談”でビートルズ問題を取りあげ、「夢の島でやればいいんだ」「フランスに入国できないそうじゃないか」「こじき芸人だ」などと毒舌をはく。特に「ビートルズがこじき芸人なのは、騒いでいる気違い少女どもを見れば一目瞭然。なんでも武道館から飛び降りる練習をしているというじゃないか」という発言がファンを刺激し、先週以上の抗議の電話や手紙が殺到し、「俺は右翼だが、ビートルズはわかる」という電話もかかってきたほど。

6月19日

 

警視庁少年課は19日正午ごろ、大阪から家出してきた少年2人を、東京駅で保護した。彼らは日本公演の切符は手に入らなかったが、東京に行けば顔だけでも見られると思い、家出してきたという。[毎日新聞夕刊記事より]

同 日

 

警視庁がビートルズ対策会議を開き、来日公演に際し機動隊を含めたのべ3万5千人を動員することを決めた。この会議での決定事項は以下の通り。

  • 総合警備本部を6月28日に発足させる。
  • 一行が到着する羽田空港には機動隊など3千人を動員し、空港入口である穴守橋と弁天橋に検問所を設け、ビートルズ・ファンだけは入場させない。
  • 羽田空港から宿舎のヒルトン・ホテルまでのルートは警視庁内でも極秘にし、本部からの指令によって流動的に沿道警備にあたる。
  • ホテルは婦人警官を含む2000人で警備にあたる。
  • 公演会場には連日2200人で警備にあたる。このうち婦人警官を中心に350人は場内の最前列に陣取って、舞台に上がろうとするファンを阻止する。
  • 都内の小、中、高校に「良識ある行動をとるように生徒に話してほしい」旨の要望書を送付する。

またこれについて、翌朝の毎日新聞が「安保、日韓を除いては、警視庁創設以来の大規模な警備体制」と報じる。

6月20日

 

TBSテレビ、“話題をつく”という番組で“時事放談”の決着をつけようと“ザ・ビートルズにケチをつけないで”という題で、細川隆元・小汀利得対ビートルズ・ファンが大論争を展開。小汀「だいたいね、あんな気違いどものために武道館を使わせるなんて、もってのほかだよ。ゴミだめの夢の島でやらせりゃいいんだ」、細川「僕は君たちと違ってイギリスで本物を見てきたんだよ。ビートルズが勲章をもらったというけど、あれはイギリスの政策だと思うよ。ここにいる小汀君だって勳一等をもらっているんだ。英語でワッペンというやつだよ」、ファン「あの若さで勲章をもらうのは、それだけの価値があるからだ。オジサマの勲章は、もう先が短いので、政府があわれんで贈ったんでしょう」、小汀「その気持ちは解るけどね、ビートルズに抱きついたり髪を抜いたりするのはバカのすることだよ。そんなにいいと思うなら静かに聞けばいいんだ」という調子で25分間続いた。

同 日

 

警視庁は、暴走ファンの早期補導を主目的に少年補導を行い、非行少年683人を補導する。

6月24日

 

当時の佐藤栄作首相は内閣支持率が低迷していることを受けて、「ビートルズの警備で頭が痛い」と閣僚発言し、はぐらかす。

6月25日 

 

ビートルズから日本へメッセージが届く。「われわれは日本が大好きですし、公演ができることを非常に嬉しく思っています。ファン一人一人にお会いしたいのですが、時間的な余裕もなく、公演の時だけしか接することができないなは残念です。われわれも音楽的な成長をしたと自信を持っています。歓迎をして頂くのは嬉しいのですが、どうか節度を持って静かに聞いて頂きたいと思います。それを心より期待しております」。[読売新聞より]

6月27日

 

ドイツ公演を終え、日航機で日本へ向けて出発。

同 日

 

トラック3台に分乗した機動隊員が武道館周辺を点検する。木の柵には「北の丸公園は午前8時から午後10時まで車両通行止、歩行者も入場券のない者は通行止」との看板が掲げられた。

6月28日

 

大分地区高校指導連合会は「ビートルズ公演見物は教育効果なし」という理由から、生徒に公演を見に行かせない方針を決め、公演期間中、欠席した生徒に対して欠席理由を調べることにした。

同 日

 

台風4号の影響で、アンカレッジで足止めを余儀なくされ来日が遅れる。激しい暴雨が羽田空港を見舞っていた午後10時過ぎ、翌朝4時の到着変更になったビートルズ来日に備えて、空港へ向かうタクシーを全て止め、29日午前2時までビートルズ・ファンとおぼしき約250人に帰るよう指導した。

6月29日

 

午前3時50分、羽田着の日航機"MATSUSHIMA"で予定より大幅に遅れてビートルズ初来日。長旅の疲れを見せず、ハッピを着て手を振りながらタラップに姿を現す。その後旅客機に横付けされたキャディラックに乗り込み宿泊先であるヒルトン・ホテル(現キャピタル東急ホテル)ヘ向かった。同時にこの日、同ホテル地下の“紅真珠の間”にて共同記者会見が行われる。

Press Interview
記 者

日本について何か知っているか。

ポール

本で読んだ程度でよく知らない。

記 者

あなたがたのファンは熱狂的で、音楽そのものを鑑賞するのではなくステージで演奏していれば満足しているといわれるが。

ジョン

歌を聞きたい時はレコードで、僕らを見たいときはコンサートに来ればいい。

記 者

ものものしい警備体制下で演奏を迎える心境は。

ジョージ

出来る限り警備してもらえれば、演奏するほうも、見る人たちも安全でしょう。

記 者

リズム中心だった音楽が「ミッシェル」「イエスタデイ」あたりからメロディ中心のバラード調になってきたのはどどういうわけか。

ジョージ

区別は初めからつけていない。内容的にはなにも変わっていない。

記 者

名誉と財力は十分に得られたが、幸せか。次になにを求めているか。

ジョージ

幸福だ。これから欲しいのは平和だ。なによりもまして 平和が欲しい。

記 者

日本のファンは外国のティーン・エイジャーと比べてどのように違うか。

ポール

日本だけでなく、ファンに相違があるのは言葉が違うということだけだ。でも日本のファンは、ちょっと背が小さいかな。

記 者

ある日本人は、あなたがたの演奏のために使用することは、伝統的武道のためという趣旨に反するといっているが。

ポール

日本の舞踊団がイギリスの王立劇場に出演しても、劇場をけがしたことにはならない。我々の出演するする場所はボクシング場でもいいのだ。イギリスと日本の両国民はともに、伝統を重んじる国民性をもっている。

記 者

MBE勲章はもってきたか。どのような席でつけるのか。

ジョン

もってきている。しかし、これまでつけたことがない。勲章は見せびらかすものではなく、受けたという事実があればいい。

記 者

ビートルズ台風の来襲といわれているが。

ジョージ

ビートルズのエネルギーはマスコミによるもので、自分 たちの力は微々たるものだ。

記 者

ベトナム戦争について。

ジョン

関心はもっている。戦争はいけないことだ。しかし我々はこれに反対しても、なにもすることが出来ないのである。

同 日

 

日本テレビ『11:00PM』が記者会見の模様を放映。

6月30日

 

公演初日のこの日の日刊スポーツ紙上で、同紙による演奏曲の予想プログラムが掲載される。的中率は2/12であった。「I Feel Fine」「Paperback Writer」を的中させたのはなかなかのもの?

  1. I Want To Hold Your Hand
  2. She Loves You
  3. A Hard Day's Night
  4. I Feel Fine
  5. Ticket To Ride
  6. Please Please Me
  7. We Can Work It Out
  8. Michelle
  9. Girl
  10. Help!
  11. Twist and Shout
  12. Paperback Writer

6月30日

 

PM6:30より第1回目の公演

Set List

  1. Rock And Roll Music
  2. She's A Woman
  3. If I Needed Someone
  4. Day Tripper
  5. Baby's In Black
  6. I Feel Fine
  7. Yesterday
  8. I Wanna Be Your Man
  9. Nowhere Man
  10. Paperback Writer
  11. I'm Down

※以降、すべての公演の演奏リストは同じ。

同 日

 

新聞各紙がビートルズ来日を報じる。毎日新聞は「空港に着いたビートルズは、外国の元首さえもほとんど例がないというA滑走路の誘導路からB滑走路を横切り、整備地区を抜けて高速道路に入った“天下御免”の空港横断だった」と報じ、朝日新聞は「前後がパトカーを固める。国賓なみに税関もフリーパス。あっけにとられる歓迎陣を後目に100キロ近いスピードで空港北端のゲートから消え去った」と報じる。

同 日

 

初のビートルズ日本公演が開かれる。会場周辺の警備体制は制服警官が1600人、私服警官100名、婦人警官31名。場内は3000人の機動隊が配置された。また東京消防庁も431名の署員が各階出入口から観客席を見張っていた。火炎瓶などが投げ入れられた際の対策として、毛布数十枚、消化器15本を用意、また会場外には救急車2台、ドクターカー1台を用意した。ちなみに救急車にお世話になったのは、貧血や腹痛などのファン3人。警備に当たった巡査部長がファンの騒がしさに卒倒した一幕もあった。

7月1日

 

午前中にジョンとポールが外出。ポールは皇居前広場を散歩し、すぐに帰った。ジョンは原宿のオリエンタル・バザーと材木町の美術展に立ち寄り、漆塗りの彫り物・中国製飾り玉・香炉などを購入。ジョージとリンゴはホテルから一歩も外出せず。

同 日

 

PM2:00より第2回目の公演
PM6:30より第3回目の公演

前日の公演を見た作家の北杜夫氏の感想が東京中日新聞に掲載される。「ビートルズの姿が現れるや、悲鳴に似た絶叫が館内を満たした。それは鼓膜をつんざくばかりの鋭い騒音で、私はいかなる精神病院の中でもこのような声を聞いたことがない」

同 日

 

この日のPM2:00からの公演の模様が日本テレビで放映される。視聴率60パーセントという高い数字を記録。

同 日

 

都議会警備消防委員会の会議で某議員が「税金の無駄遣いだ。本来、警備というのは主催者側がやるべきものではないか。それを警視庁が代行するということは、大資本への従属ではないか。結果的に警視庁が主催者の片棒をかついだものであり、また神経過敏になりすぎた大袈裟な警備が、逆に狂乱状態をあおることになったのだ」と語る。

7月2日

 

PM2:00より第4回目の公演
PM6:30より第5回目の公演

6時からの公演の様子は、街頭テレビで放映された。新橋で200人、上野で80人が集まった。以外と少ない数字であるが、この当時、白黒テレビがかなりの普及率であったのを考えれば妥当な数字であろう。

7月3日

 

午前10時43分、ビートルズ、日航機"KAMAKURA"にて離日。来日期間中に動員された警官は述べ8370人。また補導された青少年は6520人。
ちなみにビートルズの日本滞在時間は延べ103時間であった。

離日の際、次の公演地であるフィリピンへは当初キャセイ航空に搭乗する予定であった。これは同航空会社が「ビートルズ及びその一行の航空運賃を無料にするので、当社の旅客機に搭乗してくれないか」という打診があったためである。航空会社からすれば、“ビートルズが乗った飛行機”というPR作戦であった。なぜ日本航空に搭乗したかは不明。


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