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決して表に出てこない話ですが、日本固有の占術・呪術が日本史を動かしてきた事実はあるようです。
しかし、現代の我々が非合理的と考える占術・呪術も昔の人々にとっては、最先端の科学でありました。 平将門の乱(935〜940)のときには将門呪詛が、元寇(1274〜1281)のときには異国降伏の祈りが行われているように、中世までの支配層は何事も呪術で解決できると考えていました。 「鎌倉時代の陰陽道」では、陰陽道が鎌倉期の権力者にどのような影響を与え、その結果歴史がどう動いたかを多少まとめてみたいと思います。 |
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平安時代初期、政権をめぐる争いの上で陰陽師は藤原氏などに積極的にもちいられ繁栄しましたが、藤原氏の衰退とともに、庇護者を失った陰陽道宗家はしだいに衰退していきました。 それでも源平合戦の頃までは、「陰陽道宗家の占術は頼りになる」という評価が一般的でした。 「元寇は呪術で防がれた」 北条義時と泰時の時代に鎌倉の陰陽道は全盛期をむかえました。 しかし、泰時の没後、彼の孫の時頼が幕府の中心となると禅宗が盛行しはじめ、時頼自身も中国(宋)から高僧・蘭渓道隆を招いています。また、時頼の子時宗も、中国の無学祖元を呼び寄せて教えをうけました。 自己鍛錬をおもんじる禅宗と呪詛中心の陰陽道とはあいいれません。時頼の時代以来、幕府の陰陽道は衰退にむかっていきました。 その後、一時的に呪術が復活した時期がありました。元寇の時です。 1268(文永5)年、日本全土を驚かすしらせがまいこみました。元の皇帝フビライが自国の属国になれと命じる国書をもった使者をつかわしてきたのです。 この時、幕府と朝廷は何度となく異敵退散の祈祷をおこなっています。北条時宗は禅では敵国の侵入を防ぐことはできないと考えていました。 1274(文永11)年と1281(弘安4)年の二度にわたって襲来した元軍は、いずれも台風のために壊滅しました。 病人や貧民の救済に尽くしたことで知られる西大寺の叡尊(えいそん)は、弘安4年7月1日に元軍調伏の呪詛をおこなっていました。すると、八幡神があらわれ、 「これより、大風で異族を滅ぼそう」 と告げました。 まもなく彼のもとに賊船漂没を告げる早馬がきたといいます。 国難は台風に救われましたが、元寇は鎌倉幕府の急速な衰退をもたらしました。幕府に元寇防御の功績にたいする恩賞をあたえる力がなかったため、武士の心が幕府からはなれていったのです。 北条氏は幕府を強化しようと得宗専制政治を敷きましたが、これにより益々反幕活動をする武士が各地で活動することになってゆきます。 また、その頃全国に踊り念仏をする奇妙な集団があらわれました。 踊り念仏は遊行上人といわれる一遍が国じゅうくまなくまわってひろめたものです。彼は禅や念仏を学んだのですが既成の宗派にあきたらず、ひとりで各地の霊場をまわり、そして熊野に百日間参籠して悟りをえて時宗をひらいたといいます。 浄土宗や浄土真宗は阿弥陀仏の力で極楽に行くことを願うものでありましたが、踊り念仏は極楽往生だけでなく、現世利益をもとめる側面ももっていました。踊りながら念仏を唱えることで宗教的興奮は熱狂にまで達する。農民、漁民だけでなく下層武士も熱狂したといわれています。 陰陽道の影響がつよくおよんだ熊野でおこったため、一遍がおこした時宗は、呪術的性格の濃いものとなったと考えられています。 |
陰陽道は中国古代の科学思想をもとにうまれました。 紀元前1000年頃、未来予知学を集成した「易経(えききょう)」がつくられました。これは儒家の孔子、孟子や道家の老子、荘子が活躍していた時代より新しい時代の学問で、「易経」の中には宇宙万物の動きを説明する陰陽五行説がもりこまれていました。 平安時代の占術師達は、この陰陽五行説をもとに日本独自の占術「陰陽道」を完成させていきました。 では、陰陽五行説とは何か? この解説はかなり難解ものなので、「すべての事象は五個の精霊のはたらきでおきる」と考えられていた程度で許してもらいたい。 日本で支持をえている占いの大半は陰陽五行説にもとづいています。 近年もてはやされている「風水」も、正月になると話題になる「十二支占い」も陰陽五行説を原点として展開されています。 もともと陰陽五行説は科学思想であって、占いではありませんでしたが、わが国の奈良・平安時代に日本固有のさまざまな民間信仰や、宿曜道(インドの星占)とよばれる密教系の占術とが結びついて陰陽道のかたちが整っていったようです。 このように日本においては平安時代の占いブーム現象とあわせ、陰陽五行説が占術・呪術のものとして独自の展開をしていったと考えられています。 |
| 「鎌倉謎とき散歩」 | 湯本和夫著 | 廣済堂出版 | |
| 「鎌倉 8」 | 山と渓谷社 | ||
| 「鎌倉・横浜」 | あるっく社編集部 | 山と渓谷社 | |
| 「鎌倉・歴史の散歩道」:中世の香りを残す古都を歩く | 講談社カルチャーブックス | 安西篤子監修 | 講談社 |
| 「鎌倉歴史散策」 | カラーブックス361 | 保育社 | |
| 「秘宝のある寺<鎌倉>」 | カラーブックス785 | 保育社 | |
| 「鎌倉の寺」 | カラーブックス821 | 保育社 | |
| 「かながわの古道50選 : てくてくマップ」 | 神奈川県 | ||
| 「(大きな字の本)鎌倉のあるきかた」 | 山口千恵美他執筆 | ゼンリン | |
| 「鎌倉散歩24コース」 | 山川出版社 | ||
| 「ひとり歩きの鎌倉」 | 新沼美津江著 | JTB | |
| 「鎌倉の古寺」:四季の花と仏像を訪ねて | Can Books | JTB | |
| 「鎌倉を歩こう」 | るるぶ98 | JTB | |
| 「鎌倉を歩こう」 | るるぶ99 | JTB | |
| 「小さな旅」 | 各号 | JR東日本 | |
| 「あなたの街の新聞:鎌倉生活」 | 各号 | 遊蟻舎 | |
| 「鶴岡:つるおか」 | 各号 | 鶴岡八幡宮 | |
| 「呪術が動かした日本史」 | 武光 誠著 | 青春出版社 | |
| 歴史の意外な「ウラ事情 : あの事件あの人物の"驚きの事実"」 | PHP文庫 | 日本博学倶楽部 | PHP研究所 |
| 「通勤電車で楽しむ日本史の本」 | 小和田哲男著 | 三笠書房 | |
| 「古都の風情がいまに残る : 鎌倉の小径、うら路、かくれ道」 | 実業之日本社 | ||
| 「女人鎌倉:歴史を再発見する15の物語」 | 安西篤子著 | 祥伝社 | |
| 「三浦半島記」 | 街道をゆく42 | 司馬遼太郎著 | 朝日新聞社 |
| 「[決定版] 図説・源平合戦人物伝」 | 歴史群像シリーズ特別編集 | 歴史群像シリーズ編集部 | 学習研究社 |
| 「学校では教えない歴史」 | フリーランス歴史研究会 | コスモ出版 | |
| 「鎌倉:四季の景」 | ブルーガイド情報版α002 | 実業之日本社 | |
| 「鎌倉 湘南」 | マップル98:エリアマップ | 昭文社 | |
| 「新版 神奈川県の歴史散歩.下」 | 新全国歴史散歩シリーズ14 | 山川出版社 | |
| 「かながわの神社ガイドブック:こころの散歩道」 | 監修神奈川県神社庁 | かなしん出版 | |
| 「エッセー 鎌倉百景」 | 佐藤 繁著 | 門土社 | |
| 「鎌倉を歩く'02」 | iアイジャパン18 | 阿部由美子編集 | JTB |
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| 「古寺を歩く:全国の古寺の歴史と見どころ徹底ガイド」 | 日文新書 | 渋谷申博/山中悟著 | 日本文芸社 |
| 「鎌倉の寺小事典」 | かまくら春秋社 | ||
| 「鎌倉の神社小事典」 | かまくら春秋社 | ||
| 「田谷の洞窟:鎌倉の密教地底伽藍」 | 現代名刹シリーズ1 | 吉田 孝著 | 宗教工芸社 |
| 「南紀白浜:名勝古跡:三段壁洞窟」 | 三段壁洞窟観光 | ||
| 各社寺拝観時の配布パンフレット |