「鎌倉恋便り」



鎌倉幕府・執権政治崩壊の地 「 東 勝 寺 跡 」(第4回−2)



「東勝寺」(とうしょうじ)は退耕行勇を開山として1237年(嘉禎3)年頃創建されたと伝えられる。

約140年続いた北条執権政治はこの地で終末をむかえ、事実上鎌倉幕府は崩壊しました。

1333年(元弘3)新田義貞の鎌倉攻めの時に北条一門がここに火を放ち自害したといわれています。1975年(昭和50)の発掘調査では石畳道や石垣があらわれ、城郭的な遺構になっており防衛施設的な目的があったのではないかと考えられているそうです。
                 

 




写   真       解    説      
「 東 勝 寺 跡 」

うっそうとした木々に覆われた一帯は昼でも薄暗く、北条一門の無念さが 漂っているかに思える。

1333年(元弘3)新田義貞の鎌倉攻めで、追いつめられた 北条高時一族が東勝寺に退いて火を放ち自害した場所である。

140年余り続いた鎌倉幕府はここで崩壊しました。

(忠告)夕方以後一人で行くのは不気味な場所だよ。やめた方がいい。



 「鎌倉恋便り」取材リスト   「鎌倉恋便り」探訪マップ 

「鎌倉恋便り」メニュー