「鎌倉恋便り」



頼朝の持仏堂跡地 「 白 旗 神 社 」(第59回)



清泉小学校の前を北にすすむと、源頼朝墓へ上がる石段の前に出ます。その石段の下にあるのが白旗神社です。
頼朝は観音堂として持仏堂を建て、石橋山の合戦にあたって髪の中に収めて戦ったという小さな観音像を安置して篤く信仰していました。
1199(正治元)年1月13日頼朝公が亡くなるとここに葬り法華堂と名づけられたようです。毎年命日には将軍が参拝し、仏事を執り行い多くの武将も参列していました。

江戸時代には今の白旗神社のところに建物があって現在来迎寺(西御門)に移されている如意輪観音や地蔵菩薩・自休像などが安置されていました。

法華堂は室町時代後期には衰微し、鶴岡相承院の兼務下に置かれましたが、明治初年、神仏分離令によって神社と寺が切り離され、もとの法華堂跡に源頼朝公を祭神とした白旗神社として新たに創建されました。
しかし、最近の発掘調査では白旗神社あたりが現在のような地形になったのは近世のことで、中世に堂の建てられた様子はなく、鎌倉時代の法華堂は現在頼朝の墓とされている石段上とみられ、そこからは鎌倉時代初期の瓦が土出しています。

 




写   真       解    説      
白 旗 神 社

この地にあった頼朝の墓を、子孫と称する島津重豪が建て直したのが石段上にある源頼朝墓です。

この場所は頼朝の重臣だった三浦一族が1247(宝治元)年、北条時頼の策謀の宝治合戦にて自刃して果てた場所でもありました。三浦一族墓は少し離れたこの一角にあります。

現在の社殿は明治維新100年を記念して、昭和45年に源頼朝公報恩会の方々の篤志によって造営されたものです。



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