「鎌倉恋便り」



戦後寺院として独立した 「 収 玄 寺 」(第24回−2)



収玄寺(しゅうげんじ)は日蓮聖人四大法難の一つ1271(文永8)年の龍口法難の際、宗祖日蓮とともに殉死の覚悟を決した四條金吾の屋敷跡で、金吾の滅後、捨身護法、法華色読の霊地として一寺を建設したものです。

文政年間(1818〜30)の創立。長い間、収玄庵と称していましたが大正初期本堂を開創して、寺号も改称しました。

四條金吾頼基公 (北条氏 江間光時の臣)
鎌倉時代 1224(元仁4)年〜1296(永仁4) 67歳
                 

 




写   真       解    説      
収玄寺本堂

日蓮の弟子であった四條金吾の邸跡に妙詣尼が建立した収玄庵という小庵を 光則寺の日慈上人が1923(大正12)年に本堂を再建。

戦後に寺院として独立したお寺です。




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