「鎌倉恋便り」



修行道場“僧坊”だった 「 千 手 院 」(第115回)



光明寺総門の左手に建つ千手院(せんじゅいん)は、もとは光明寺の僧坊だったと伝えられています。
各時代によって“観音堂”とか“専修院”と呼ばれていたそうですが、後に浄土宗の本尊である阿弥陀如来像を安置して、千手観音が人々に知れたことから現在は千手院と改称しています。

光明寺が大檀林だったとき、千手院は各地から集まった学僧たちの修行道場である僧坊の一つでした。江戸時代の中頃からは学僧の数も減ったため、学頭と呼ばれた住職は、近所の子供たちに読み書き、そろばんなどを教えるようになったそうです。
1882〜1896年 (明治15〜26年) の頃は、“桑楊小学校”の教場となって材木座の子供たちが通学するようになりました。
その名残として、境内には松尾芭蕉の俳句が刻まれた寺小屋の記念碑が立っています。

また、千手院は鎌倉三十三所観音霊場の第二十番札所でもあります。


 




写   真       解    説      
三  門

この寺の歴史を語る文献等は関東大震災で失われてしまい、開基、開山、創建年ともに不明となってしまっていますが、当初は千手観音を祀り「観音堂」と呼ばれていたようです。
以前は専修院と称して1684〜1688(貞亨年間)年まで念仏の道場として親しまれていました。
本  堂

千手院は、かつて光明寺が大檀林(仏教の最高の学問を修めるところ)だった時、各地から集まってきた学僧の修行道場のひとつでした。
本堂の左手墓地には、代々の学頭が眠っています。

本堂に祀られている「千手観音」は1532(天文元)年に関西からこの寺へ来た恢誉上人(かいよ)が守護仏として持ってきたものとして伝えられています。



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