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佐助稲荷神社は、銭洗弁天と共に源頼朝の夢枕伝説に由来します。 佐助稲荷神社の略縁起によると、頼朝が伊豆に配流となっていたとき、夢に老翁が出現して、「公は清和の嫡流にしてまさに天下を統一すべし、早く義兵を起こして奢れる平氏を討滅し安んじ給へ、我は鎌倉鎮座の稲荷なり」 と告げました。その後、夢の通りに鎌倉幕府を開いた頼朝は、佐助ガ谷(さすけがやつ)に稲荷神社があると知って、社殿を建て崇拝したと伝えられています。 小さな社殿前の赤い柵には頼朝の出世と幸運にあやかった開運祈願の絵馬のほか、伊豆の地での頼朝と政子の恋にあやかった恋愛成就の絵馬がずらりとならんでいます。 |
| 写 真 | 解 説 |
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鎌倉駅西口から御成隧道を抜けてしばらく歩き、税務署の先の信号を右折 まっすぐに歩いていると「左佐助道」の石碑に出会います。 これに従って進むと、民家の間に「佐助稲荷神社」の入口がひょこりと 現れます。 佐助稲荷神社へ一度でも参拝に来たことのある人は、この朱塗の鳥居トンネルが 強烈に印象に残っているのではないでしょうか。 朱塗の鳥居と赤い幟がトンネルのように続き、深い雑木林の中にある拝殿は 隠れ里といった趣を充分に感じられます。 |
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ここは神社一番奥にある奥社です。 うっそうとした老樹が茂り、周りではリスが遊び回っています。 佐助稲荷神社の創建は不明ですが、建久年間(1190〜98)に 頼朝によって再建されており、その関係は夢枕に立った老翁の隠れ里伝説よりきています。 佐助というのは佐殿(すけどの)と呼ばれた頼朝の若かりし頃の呼び名にちなんだとか、 千葉介・三浦介・上総介の3人の介が勘請したからとかいくつかの説があります。 |
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社(やしろ)という建物がなかった時代、岩・石・樹・土を盛った塚等を 臨時の祭場として神様をお招きし、祭を行っていました。 この御塚(おづか)は佐助稲荷の最古の祭場として伝えられ、現在も除災招福、開運厄除を 祈願してお参りする人が絶えません。 また佐助稲荷は昔より麓の田畑を潤す水源の地でありました。 境内の片隅には霊狐の神水と称えて家々の神棚に供え佐助稲荷の御神徳を戴いてきた 湧き水があります。 今もこの霊狐泉は絶えることなく湧き出ています。 |
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境内には野生の台湾リスの姿が多く見られます。 リスは手を伸ばせばなでることのできそうな距離まで近寄ってきます。 うっそうとした暗く静寂な稲荷神社ですが、家族連れ、若いカップルなどが リスを相手に微笑んでいる風景をよく見かけます。 鎌倉市内では上の方に気を付けていると、いたる所で台湾リスを見かけることができますよ。 |