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「三段壁」(さんだんへき)このいわくありげな名称は、かつて人々が通りゆく船や魚を、絶壁の上から探したことから”見る段”「みだん」と呼ばれ、いつしか”三段”になったと言われています。 ここでは、沖を通る船が忽然と消えたり、燃えて水没するところを目撃したなどの言い伝えがあり、昔から船夫達が恐れていたそうです。 たしかに、この三段壁には巨大な洞窟があり、鬼ケ城を本拠とした海賊である熊野水軍の”船隠し場”になっていました。 この熊野水軍は熊野別当「湛増(たんぞう)」(武蔵坊弁慶の父)に率いられて「壇ノ浦の合戦」(1189年)に馳せ参じ、源義経の大勝利に多大な貢献をしました。 この湛増の意志が、合戦の明暗を大きく左右したと言われています。 |
| 写 真 | 解 説 |
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赤茶色の洞窟内を探訪できる歩道。 洞窟内には洞窟の「熊野水軍番所小屋」が史料をもとに再現されています。 リズムを刻みながら落ちる水滴と、ゴーという洞窟内で砕け散る波の音がまじり 歩いていても異様な緊張感があります。 岩脈はおよそ270万年前にできあがったもので、 今も活動中の紀伊半島に面した海溝プレートの動きと密接な関係があります。 |
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堂内通路の一室には弁財天が祀られていました。 左右に十六童子を従えて鎮座。 弁天様は水・言語・学問・音楽の神といわれ、 人々に幸福、子孫をもたらすともいわれています。 こちらの弁財天の8つの手に持つ物は、悪を滅ぼす道具といわれ、 かつて阿修羅をこらしめたというインド神話が色濃く反映されています。 |
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激しい波浪の侵蝕作用によってつくられた深い洞窟。 この海に浸かった洞窟内には「潮吹き岩」など自然が作った偉大さを 感じさせるものがありました。 源平時代にはこの洞窟内にも海賊の船着き場があったのでしょうか。 写真は入り口ですが、洞窟はかなり深くまで続いています。 |
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絶壁の上から見下ろした三段壁洞窟開口部。 この写真を撮影した絶壁上は、やや斜めになった完全な岩肌。 落下しそうな恐怖と闘いながら腹這いになってやっと撮影しました。 岸壁上には”自殺者”を思いとどまらせる立札なども立ててありました。 本当に冗談では済ませない緊迫感がありましたね。 |