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観光客の往来でいつも賑やかな若宮大路ですが、下馬の交差点を大町方面に左へ曲がると人通りもぐっと少なくなります。 しかし、この国道311号線沿いが、鎌倉時代はもっとも広い通りで、町屋(商店)が集まり、華やかな繁華街であったことを示す石碑「町屋跡」が大町四ツ角からすぐの町屋橋という赤い橋付近に佇んでいます。 逆川橋(さかさがわばし)は、夷堂橋より小町大路を南下し大町四ツ角を横切り、魚町橋(いおまちばし)を渡ると道の左手の路傍に橋標が少々傾いて建っています。橋標の手前に左に曲がる小道が有り、そこに小さな橋が架かっているのが見えます。 またもや、これが鎌倉十橋の一つかと目を疑うような規模の橋です。 現在の橋の竣工は昭和36年7月。おそらく明治43年10月建立の入口の橋標に気づかねば見過ごしてしまうことでしょう。 川の姿に端を発する橋の名の由来が面白い。逆川とは逆に流れる川の事を指します。 鎌倉の川は山から海へと、北から南へと流れているのが多いのですが、逆川の場合、地形の関係から川の一部が南から北へと他の川とは逆方向に流れ、その後は大町と辻町の境の魚町橋より南西に向きを変え、上河 原付近より滑川に合流しています。 要するに、川はまるで「海に背を向け逆に流れている」ように見え、この様な事から逆川なる名が付いたと考えられます。 【逆川橋、位置の疑惑】 新編鎌倉志に『逆川は名越坂より西北方面に流れている、故に逆川と称す。大町と辻町の間を流れて滑川に合流する。大町と辻町の間に橋がある、逆川橋と言い鎌倉十橋の一なり』とあります。 新編相模国風土記稿にも凡そ同じような記述があります。 更に長さ約九尺(2.7m)と称している。現在の橋を歩測により測ると、幅員は2.5m、橋長4.5mとなり、河川改修により川幅が少々広くなったようにもみえます? 明治初期に日本に印刷技術を教える為に来日し、鎌倉の材木座に住んでいたイタリア人、キヨソーネ氏が作成したと伝わる鎌倉の地図には、今の魚町橋の位置に逆川橋と書かれています。 皆さんはこれをどのように考えるでしょうか。 |
| 写 真 | 解 説 |
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少々斜めに傾いてしまった橋標が立っています。 『十橋之一逆川橋』と刻まれています。 橋標の手前左に小道があり、そこに小さな石橋が架かっておりそれが逆川橋です。 |
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史書・地誌等を調べてみると現在の逆川橋の位置は、小町大路より少々外れた所に有るのが気になります。 南から北に流れている事から確かに逆川には間違い無いのですが、地誌にある「大町と辻町の境にあり」との表現に対し、橋の位置が些か脇にずれているのはどうしてでしょうか。 |