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大船から藤沢方面へ向かい、フラワーセンターから北へ行った竜宝寺トンネルを抜けた右手に
龍宝寺(りゅうほうじ)があります。 山号は陽谷山。玉縄城主 北条綱成が現在地よりも北の山居という所に、泰絮宗栄(たいじょそうえい)を開山として 香花院(こうげいん)を建てました。1575(天正3)年、3世 関翁良越のとき玉縄城4代目城主 北条氏勝が現在地に移築し、玉縄(小田原)北条氏の菩提寺として栄えてきた 北条氏ゆかりの寺です。 その後、玉縄(小田原)北条氏の衰退とともにさびれましたが、江戸時代に復興されました。 現在市民には”花の寺”として親しまれて、長い参道の両脇には ボタン、シャクヤク、コスモス、十月桜など四季の風情を楽しませてくれます。 境内には、旧石井家住宅(国重文)や新井白石の墓碑?などがあります。 |
| 写 真 | 解 説 |
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1959(天正18)年、豊臣秀吉の小田原攻めの折、北条氏勝は玉縄城に籠城して死を覚悟しましたが、徳川家康の部下の計らいで住持の良達がすすめて降伏しています。 この頃は大応寺と呼ばれていましたが、このあと今の寺号に改められたといいます。 三門の向こうに長く本堂まで続く石畳が見えています。 |
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三門を入ると境内は広く、石畳を進むと正面奥に本堂があります。 本尊は釈迦三尊で、玉縄城主歴代の位牌や源実朝の位牌もあります。 堂内には玉縄城の模型があって、裏山には玉縄城主歴代の墓もあります。 玉縄(小田原)北条氏のゆかりの寺だということを強く感じさせられます。 また、本堂参道の反対側には新井白石の墓標という石があります。 正徳の治で知られる新井白石は、このあたりの植木や城廻りを所領としていました。 石碑はやぐらのような中にあって、1725(享保10)年に室鳩巣の撰文といいますが、 摩耗がひどく字はまったく解読できません。 |
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境内には旧石井家住宅(国重文)があります。 石井家は後北条時代の地侍の出で、近世には名主をつとめた と伝えられる上層の農家です。 外廻りは庇(ひさし)や縁をまったくもうけず、大部分を土壁とした閉鎖的な構えです。 住宅は鎌倉から甲州に至る甲州街道筋である鎌倉市関谷にあったもので、17世紀末頃の建築と考えられます。 構造は「ひろま」の奥に2部屋が配される三間取り平面で、古民家の中でも年代の古い代表的遺構の一つです。 この住宅は神奈川県下に例の多い「三間取り四方下家造り」の農家の典型です。 |