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霊光寺(れいこうじ)は、江ノ電・七里ヶ浜駅で降り、行合川の奥、15分あまり山道を登り詰めたところにあります。 寺の歴史は『田辺が池の雨乞い伝説』を抜きにしては語ることができません。 1271(文永八)年の大干ばつの際、鎌倉幕府・時の執権北条時宗は信任する極楽寺の忍性に雨乞の祈祷を依頼します。それに挑戦したのが日蓮です。 日蓮曰く、「もし7日の間に雨が降れば日蓮は良観(忍性)の弟子になろう。降らなければ日蓮の弟子になれ。」 結果、忍性は14日も祈祷しましたが雨は一滴も降りませんでした。代わって日蓮が、田辺が池の岸に立ち法華経を唱え始めると雷とともに大粒の雨が降り出し、3日3晩にわたって降り続いたといいます。 法華経の力で雨の神様八大龍王の助けを得た田辺が池は、それ以来雨乞いの池と呼ばれるようになりました。 この地が歴史的に埋もれていた経緯もあって、霊光寺としての正式な発足は1957(昭和32)年のことです。その後、霊池拡張、書院建立など充実をはかり、1970(昭和45)年には祈雨700年法要を行いました。 |
| 写 真 | 解 説 |
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山奥の行き止まりに立つ三門。 この三門を通り抜け、石段を登り詰めた崖上に本堂が立つ。 観光としての鎌倉から離れた場所に存在する為か、寺全体が静寂な雰囲気でつつまれています。 |
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田辺が池は、その後埋められてしまい、明治末期、初代となる住職が田辺が池周辺を調査すると、1735(享保20)年、江戸講中が建てた『日蓮大菩薩祈雨之旧跡地』と記した石塔が出土しました。 そこでこの地に日蓮上人像、本堂を建立したのが寺の始まりです。 |
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法華経の力で雨乞いをする日蓮。 雨の神様「八大龍王」とは、雨をつかさどる八体の護法の龍王。難陀、跋難陀、娑迦羅など。 日本の雨乞いの方法には、山土を火でたいたり、歌や舞によって神意を慰める、お籠もりする…などがありました。 |
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【上】 本堂正面の軒には、寺の建立に尽力した上村彦之丞海軍大将の筆による『祈雨霊蹟』の額があります。内部には日蓮上人像が祀られています。 【下】 現在は埋められてしまった日蓮雨乞の池(田辺が池)。 |