「鎌倉恋便り」



鎌倉幕府の基礎を築いた 「 大江広元墓 」(第26回-1A)



白旗神社」のあたりは頼朝亡き後、頼朝の持仏を祀る法華堂があったところです。その付近には「源頼朝墓」があり、それは頼朝の子孫と称する島津重豪が整備しました。

頼朝墓を正面に右手に折れる路地を20mも歩くと、石灯篭に囲まれた階段があります。うっそうとした茂みの中へ上っている階段で、立入ることに躊躇いを生じてしまう入口ですが、この奥に三浦一族「毛利季光・大江広元・島津忠久」の墓があります。

しかし、毛利季光・大江広元・島津忠久の墓については、頼朝墓と同じく島津重豪が整備したり、のちに毛利家が墓を移したものとみられて、実際にこれらの人の墓とみることはできないそうです。付近は昼間でも薄暗い不気味な雰囲気が漂っています。

                 

 




写   真       解    説      
大江/三浦一族の墓・入口

頼朝墓を正面に右手に折れる路地を20mも歩くと、石灯篭に囲まれた階段があり、 そのうっそうとした茂みの中へ続いている階段を上るとこの風景に出会います。

見るからに荒れ放題といった墓への通りですが、この写真左手の茂みの中に 「三浦一族墓」であるやぐらがあります。そのことを知らない観光の方々は、皆さん この不気味な穴をけげんそうに横目でチラリと見て通り過ぎて行きます。

正面鳥居の奥には再び階段があり、それを上りきった所に 毛利季光・大江広元・島津忠久の墓が横穴古墳を改装した形で並んでいます。

いずれにしても付近は昼間でも薄暗い不気味な雰囲気が漂っています。
女性一人で訪れるのにはやや危険が伴うかもしれません。
(左より)
毛利季光・大江広元・島津忠久 墓


鳥居の後ろ、石段を上ると石垣の中にやぐらが並んでおり、よく見ると いずれも横穴古墳を改装したもので、近世以降のものと見られる五輪塔が 入っています。

左側・大江広元の子で、のちの中国地方の大名の毛利氏の祖といわれる 毛利季光墓。
中央・源頼朝の招きで鎌倉にきて、公文所や政所の別当として幕府の政治を進めた 大江広元墓。
右側・頼朝の子でのちの南九州地方の大名、島津氏の祖といわれる 島津忠久墓。
とそれぞれ言われているが、島津重豪が整備したり、 のちに毛利家が墓を移したものとみられており、さだかではない。
大江広元墓

大江広元(1148〜1225)は、京都で太政官の書記をしていましたが、1184(元暦元)年に 源頼朝に乞われて鎌倉入りした人物です。

公文所別当職となって、守護・地頭の設置など幕府の土台造りに深く関わりました。

注:全ての写真は修正を加えており、実際はもっと薄暗い場所です。



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