| 1180(治承4)年〜 1225(嘉禄元)年 | 大 蔵 幕 府 (おおくら) | 源頼朝 |
| 1225(嘉禄元)年〜1236(嘉禎2)年 | 宇都(津)宮辻子幕府 (うつのみやずし) | 執権北条泰時,連署北条時房 |
| 1236(嘉禎2)年〜 1333(元弘3)年 | 若宮大路幕府 (わかみやおおじ) | 執権北条泰時 |
| 写 真 | 解 説 |
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現在推定されている敷地の境界を記載してみましょう。 東は荏柄天神社の西側で、 もとの二階堂大路の分岐点に近い関取橋から北へ東御門へ延びる道の線。 西は筋違橋の東側から西御門へ通じる道路。 南は大倉路、すなわち筋違橋から金沢へ向かう道路。 北は頼朝の墓がある丘の下を東西に通じる道路でした。 なお、西側に関しては横浜国大付属小、中学校を含めて もっと鶴岡八幡宮に接近していたとの説もあります。 |