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古くは、「難越し」と呼ばれるような難路であったため「なんごし」が「なごえ(名越)」と呼ばれるようになったいわれがあるようです。 今までご紹介している七切通しの中でも、ここには特に複雑な防護機構が残されています。「大切岸」(おおきりぎし)「平場」(ひらば)「大空洞」(おおほうとう)「置石」(おきいし)などがそうです。 「名越切通し」は特に、北条氏最大のライバルであった三浦氏の侵入を防ぐための厳重な防備となりました。しかし、結果的にはここでの戦闘は行われることなく、1247(宝治元)年の宝治合戦にて三浦一族は滅亡へと追いやられることになります。参考余談(no.19 Designer's note) 小生は「名越切通し」をこの取材までに5回ほど訪れています。それぞれ違う季節、また白猿の三門で有名な「法性寺」墓地からのルート、曼陀羅堂跡側から名越トンネルの上を越えて入るルートといろいろ試してみました。 今回は「法性寺」側から入ったルートでご紹介しております。 ここではよく観光の人波が途切れる時間があります。そんなとき一人この場所にいると、まるで中世の山路に迷い込んでしまったかのような錯覚にとらわれてしまうのです。小生はこの遺跡が800年という歳月の中で、当時の様相が充分に残されたまま今に残されていることに驚愕 しております。機会がありましたら、古都鎌倉、その歴史的側面に触れ鎌倉時代にワープできる古道「名越切通し」を是非訪れてみて下さい。 |
| 写 真 | 解 説 |
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法性寺の墓地へと続く長い石段を上ったあたり一帯は、お猿畠(おさるばたけ) と呼ばれています。 その墓地の外れからは大切岸の全貌を眺めることができます。 写真上の白茶色になり横縞模様を見せている風化された岸壁の部分をご覧下さい。 その山腹は二段、三段に削平されて格段の上部には平場が設けられ、 ここで敵を待ち伏せ矢を射かけることができるように工夫されています。 大切岸に立つとその眺めは逗子の町並み、三浦半島の山々が一望できる素晴らしいものです。 |
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お猿畠の一望できる墓地から山の斜面を登り、大切岸の上へ出るルートを進むと その途中に名越山頂石廟といわれる風変わりな石塔が二基建っています。 写真、右手前と正面。 誰がいったいどのような目的で造ったのかわからない。施主、供養人知らずの古廟です。 |
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切通しの上に広い平場が残っています。 写真右側が先に向かって広い平場となっています。左側の谷下に 切通し本道が通っています。 この平場は巨大なものでおそらく100名以上の兵を待機させることが可能だったと思われます。 この平場に兵を伏せさせ下を通る人馬を監視し、いざ合戦となれば矢を射かけ 攻撃することができたのでしょう。 次の写真では、この平場より見下ろした切通し本道を撮影してみました。 |