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鎌倉の小町・大町・材木座方面には日蓮宗の寺が多く目立ちます。 「妙隆寺」(みょうりゅうじ)は小町大路の日蓮辻説法跡の近くにあります。 叡昌山妙隆寺といい1385(至徳2)年源頼朝の御家人、千葉常胤(つねたね)の子孫である胤貞の屋敷跡に、日英を開山として建立された日蓮宗の寺です。千葉胤貞が千葉の本領へ移るに及んでこの寺が建立されました。 現在本堂には、日蓮上人像、日親上人像、日英上人像、釈迦如来像、千葉胤貞像などが祀られています。 開山2世の日親は凄絶な布教ぶりで知られる僧で、「立正治国論」を説いて6代将軍・足利義教をいさめようと京に上りましたが聞き入られず、逆に義教の逆鱗に触れて投獄させられてしまいました。 その時に数々の拷問を受けますが、頑として自説を曲げなかったといいます。 拷問で焼鍋を頭にかぶせられたことより「鍋かむり日親様」の名で呼ばれるようになりました。 寺の墓地には演劇界で名を残した丸山定夫の墓碑があります。 |
| 写 真 | 解 説 |
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若宮大路幕府跡の石碑の少し右側の小道を東にはいると 妙隆寺の境内に出ます。頼朝の有力御家人千葉胤貞が 千葉の本領へ移るに及んでこの寺が建立されました。 本堂には日蓮上人像、日親上人像、日英上人像、釈迦如来像、千葉胤貞像などが 祀られています。 |
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「立正治国論」を説いて6代将軍・足利義教をいさめようと京に上った 日親ですが、義教の逆鱗に触れて投獄させられてしまいました。 その時に舌を切られ、頭に焼けた鍋をかぶせられる極刑を 科せられましたが、自説を曲げなかったといいいます。 この逸話から「鍋かむり日親様」の名で呼ばれるようになりました。 境内・池の奥の日親堂には日親上人の石像が安置されています。 |
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境内には日親が寒の100日間、行水に耐えたのち、生爪をはいで 流れる血で曼茶羅を描いたといわれる小さな池があります。 日親はこの100日行水のあと、6代将軍・足利義教をいさめようと京へ上りました。 |
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演劇に興味のある方は詳しいと思います。 この 妙隆寺には丸山定夫の墓碑があります。 丸山定夫は昭和の初期に「新劇の団十郎」と呼ばれ 築地小劇場などで活躍した俳優で、昭和20年広島で公演中 原爆にあって死亡しました。 墓碑に刻まれているのは、モリエールの「守銭奴」を演じる丸山定夫です。 |