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材木座は幕府が開かれる以前から源氏にとってゆかりある土地でした。 頼朝の六代前に、源頼信という武将がいました。頼信は、房総・武蔵に勢力を張っていた平忠常の乱を平定し、東国に進出。 子の頼義(ともよし)は相模守に任ぜられ、奥州の安部貞任(あべのさだとう)を討って、ますます勢力を固めます。[前九年の役(1051〜62年)] 鶴岡八幡宮の由来(ゆらい)について吾妻鑑(あずまかがみ)に 「この社は、源頼義が安部貞任の征伐から京へ帰る途中、1063(康平6)年8月に鎌倉へ立寄り石清水(いわしみず)八幡を由比ガ浜に建てた。その後1081年2月に頼義の子、源義家(よしいえ)が後三年の役(1083〜87年)で奥州へ向かう途中、参拝して社殿を修理をした。」 と書いてあります。八幡宮の祭神は応神天皇。 源氏と鎌倉とのつながりができた初めです。 昔この土地を鶴が丘と呼んだのでしょう。その後1180年10月12日に源頼朝(よりとも)が先祖を祭るため、小林という土地の北の山に、由比の宮を移したものが現在の鶴岡八幡宮です。 吾妻鑑に「1180年10月7日に頼朝が遥(はるか)に鶴が丘八幡宮を礼拝した。」 と書いてあるのは由比ガ浜の神宮です。 移った後も鶴岡八幡宮というのは前の名前をそのまま使っているからです。それ以後はここを元八幡というようになりました。 元八幡は都市としての鎌倉がここから出発したということを示す貴重な神社です。 |
| 写 真 | 解 説 |
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頼朝は鎌倉幕府を開くにあたり、神意を占った上で1180(治承4)年・八幡宮を小林郷北山に遷座。 それ以来、由比郷の神社は元八幡と呼ばれるようになりましたが、正式には由比若宮と呼ぶそうです。 |
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参道の東側には「石清水ノ井」があり、西側に進んで滑川を越えれば若宮大路の一の鳥居も建っています。 朱塗りの鳥居と小さな社殿が建つ境内は、5月になるとツツジに彩られます。 大正7年には作家・芥川龍之介が元八幡横に居を構え新婚生活を送りました。 |