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「白旗神社」のあたりは頼朝亡き後、頼朝の持仏を祀る法華堂があったところです。その付近には「源頼朝墓」があり、それは頼朝の子孫と称する島津重豪が整備しました。 頼朝墓を正面に右手に折れる路地を20mも歩くと、石灯篭に囲まれた階段があります。 うっそうとした茂みの中へ上っている階段で、立入ることに躊躇いを生じてしまう入口ですが、この奥に「三浦一族」と「毛利季光・大江広元・島津忠久」の墓があります。 しかし、毛利季光・大江広元・島津忠久の墓については、頼朝墓と同じく島津重豪が整備したり、のちに毛利家が墓を移したものとみられて、実際にこれらの人の墓とみることはできないそうです。付近は昼間でも薄暗い不気味な雰囲気が漂っています。 |
| 写 真 | 解 説 |
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頼朝墓を正面に右手に折れる路地を20mも歩くと、石灯篭に囲まれた階段があり、 そのうっそうとした茂みの中へ続いている階段を上るとこの風景に出会います。 見るからに荒れ放題といった墓への通りですが、この写真左手の茂みの中に 「三浦一族墓」であるやぐらがあります。 正面鳥居の奥には再び階段があり、それを上りきった所に 毛利季光・大江広元・島津忠久の墓が横穴古墳を改装した形で並んでいます。 いずれにしても付近は昼間でも薄暗い不気味な雰囲気が漂っています。 女性一人で訪れるのにはやや危険が伴うかもしれません。 |
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石灯篭に囲まれた階段を上り、見るからに荒れ放題といった 墓への通りを10数メートル歩くと、左手の茂みの中に「三浦一族墓」である やぐらがあります。 何の表示も出ていない為、観光の方々は、皆さん この不気味な五輪塔が並ぶ穴をけげんそうに横目でチラリと見て通り過ぎて行きます。 三浦一族は、鎌倉時代前半には巨大な勢力を持ち、源頼朝の重臣でありました。 しかし、頼朝時代の重臣達を策略的にことごとく滅亡に追いやった北条氏は、 三浦泰村とも戦い、1247(宝治元)年の宝治合戦にて三浦氏を法華堂で自害に追いやりました。 |