「鎌倉恋便り」



薄紫のアジサイが咲く 「 明 月 院 」 Part 1 (第22回)



「明月院」(めいげついん)は、アジサイ寺の名前で親しまれています。

文永年間(1264〜75)山ノ内に「禅興寺」いう寺院が創建されました。
北条時宗が蘭渓道隆を開山に立てたこの寺は、時宗の父時頼が建立した「最明寺」が前身と伝えられています。この「禅興寺」の塔頭として室町時代に開創されたのが今日「アジサイ寺」の名で知られる「明月院」です。
開基は山ノ内上杉氏の祖で、1394(応永元)年に没した上杉憲方、開山は1390(康元元)年に没した密室守厳(みっしつしゅごん)です。

「禅興寺」は「最明寺」が廃寺となっていたのを再興したものといわれています。

「最明寺」は山ノ内の北条時頼邸のそばに建てられ時頼の閑居の地とされた寺で、蘭渓道隆を戒師として落飾、彼は1263(弘長3)年最明寺の北亭において37歳で没しています。時頼の死後この寺は廃絶してしまいました。

「禅興寺」は北条時宗が蘭渓道隆を開山に1268(文永5)〜1269(文永6)年頃建立したもので、1323年の北条貞時13年忌供養に僧衆92名が参加しておりこれは浄智寺に次ぐものでした。いわば五山並の規模をもっていたわけで鎌倉時代の地位の高さを繁栄しているものと思われます。
1380(康暦2)年、足利利氏満が伽藍を整備しており、数多くの堂塔が立並び、塔頭も明月院の他に4〜5確認できますが、その後次第に衰微してしまい、本来は塔頭である明月院に付属したような形となっていき明治初年に「禅興寺」は廃寺となりました。             

「明月院」は管領上杉憲方(道合)一族より代々寺領を寄進されており、憲方の没後、明月庵と号していたのが明月院と改められたようです。寺の規模も大きく塔頭の寮舎も4軒は明らかで、「禅興寺」の塔頭というより一つの寺院といえるようでありました。

現在では6月中旬になると約2000株のアジサイが咲き乱れ「アジサイ寺」として全国的に有名な寺となっています。
また鎌倉三十三観音霊場第三十番札所でもあります。


Part 1, Part 2 と続けてご覧下さい。
                 

 




写   真       解    説      
静かな谷戸にある寺

明月院は明月谷という谷間にあります。
お寺の中を川が流れ、全体的にしっとりとしたその土手に 多くのアジサイが繁っていることを考えれば、立地条件がこの花に適していたのでしょう。

写真正面は切立った崖、右に本堂、左に開山堂が写っています。
6月を除いた季節では、明月院は谷間の静寂につつまれた落ち着いたお寺なのです。
開山堂(宗ゆう堂)

南北朝時代の1380(康暦2)年に建てられました。
茅葺きで寄棟造りの屋根が大きく張出しているのが特徴です。

堂内には明月院を開山した密室守厳禅師の木造が安置され、向かって左側には かつてこの地にあった「最明寺」、「禅興寺」を含めた歴代住職の位牌が祀られています。

そばには鎌倉十井のひとつ「瓶の井(つるべのい)」があります。
明月院やぐら

鎌倉時代独特の洞穴墳墓で、別名「羅漢洞」といいます。
間口7m、奥行6m、高さ3mあり、鎌倉時代のやぐらとしては最大級です。

中央に上杉憲方を祀る宝篋印塔(ほうきょういんとう)、後ろの壁面に 釈迦如来と多宝如来、その両側に十六羅漢像を浮き彫りにしています。

実際には浮き彫りといっても、出ている部分が落ちてしまい 跡が白く残っている方が多くなってしまっている。逆に宝篋印塔は やぐらに守られていたせいか、今尚しっかりした形で残っています。





 「 明 月 院 Part 2 」