「鎌倉恋便り」



沈黙の百余りのやぐら 「 曼陀羅堂跡 」(第37回)



緑ヶ丘入口のバス停から徒歩で逗子方向に向かうと、左手に新逗子トンネルの上へ登る石段があります。これが曼陀羅堂跡の入口です。

名越切通しの最高所に位置し、付近には"大空洞"、"置石"、"平場"など切通しの防御機構が残されていてそれを知る人には興味深い遺跡となっています。

JR横須賀線の名越トンネルの上を横切る急な石段を10分ほど上りつめると、人一人がやっと通れる程度の細い石段の上に、敷地へ入る質素な木戸があります。堂跡といっても何かの建物があるわけでなく、そう呼び慣わされた地名だけが伝わっているやぐら群です。

曼陀羅堂とは、仏の悟りを開く道場をさしていいます。おそらくかつては寺院があったと思われますが、誰が何のために建てたのか、それがいつ絶えたのか何も解っていません。流説としては、新田義貞が鎌倉攻めをした時の戦死者を葬ったとか、名越一族の菩提寺跡だといわれていますが、平安時代以降の上層武士達の墓地らしい?
という以外、裏付けとなる資料は何も残されていないのが現状
です。

奇妙なことは、ここのやぐら全部が隠匿やぐらだったということです。普通やぐらといえば内部に装飾を施し、供養塔を安置し門扉をつけて全面を解放したものですが、ここで見つかったものはやぐら内に五輪塔を横に寝かせて幾つも積み上げ、石で扉を固く閉ざしそれとわからぬように隠匿されていたといいます。何故これほどの数のやぐらがここに集まり、隠されていのか。一切は謎のままです。

曼陀羅堂やぐらは、太平洋戦争中の昭和16年から18年にかけて掘り起こされています。当時は五輪塔に掘られた梵字に金箔が塗られていたと聞きますが、剥げ落ちたのか、削り取られてしまったのか今は跡形もありません。その時に発掘されたやぐらの数は200穴にも及びます。かつて盗掘者によって荒らされたものを私財を投じて花を植え、辻説法を聞きに来る来山者の為に、と今のような形まで整備されたのが、明行寺の先代住職であった小山白哲翁です。

そのご遺志は今もご遺族によってしっかりと引き継がれています。

敷地内は四季折々に花が咲き乱れる楽園です。その雰囲気はやぐらと五輪塔に合わさって幻想的な気配すら感じられます。戦後原水爆反対と布教を説いた小山翁の丹精を是非一度訪問してご覧下さい。


                 

 




写   真       解    説      
散在するやぐら群

苔むし、崩れかけた石塔が多数やぐらの中に散在しています。

曼陀羅堂跡では鎌倉の寺院にあるやぐらと違い、実際やぐらの中に入って このように近くで石塔群と向かい合うことができます。
やぐらは約200穴。五輪塔は数百基にも及びます。
大型の五輪塔には、塔の接合部の内側に納骨もされているといいます。

三十数年間の歳月と私財と投じ、土に埋もれたやぐらを掘り起こし今の形に整えたのは 日蓮行者・小山白哲翁です。しかし、未だに発掘されず 埋もれたままのやぐらも存在しているといいます。

史跡に四季の花が咲く(1)

1月は梅や水仙。3月は寒緋桜や木蓮。4月はとショカッサイ(ムラサキダイコン)、 菜の花の群生。5月はカラー。6月は花菖蒲やアジサイ。7月はヒオウギアヤメ。 9月はマンジュシャゲ、コスモス、。10月は小菊。11月はツワブキ、ハゼやモミジ、 ニシキギなどの紅葉。各四季なんらかの花が見られます。

特に4月と6月は美しい場所として毎年訪問される方もいるようです。
史跡に四季の花が咲く(2)

花の咲き乱れる小道のまわりにも石塔は点在しています。

曼陀羅堂跡では、雨や雪の日は拝観することができません。

ちょっと交通の便は悪い場所ですが、陽気のいい日中に訪れて 自然の中に溶け込んでみてはいかがでしょうか。
史実のわからない史跡ですが、心を和ませてくれる史跡には間違いありません。

鎌倉駅より京浜急行バス、名越経由逗子行きで緑ガ丘入口下車。約10分です。



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