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鎌倉三十三所観音霊場第十二番札所。静かな大町の住宅街の中、表欄間に「十六羅漢」が施された三門の奥にあるこじんまりとしたお寺が教恩寺(きょうおんじ)です。この一帯は旧名米町といわれました。 以前この地には光明寺の末寺、善昌寺がありましたが、廃寺となってから1678(延宝6)年、貴誉(きよ)上人によって材木座の光明寺境内にあった教恩寺が移築されたといいます。教恩寺は小田原北条氏の三代、北条氏康が建立しました。 本堂に安置されている本尊、阿弥陀如来像は鎌倉時代前期のもので、運慶作と伝えられています。 源平合戦で、東大寺と興福寺を焼き払った平清盛の子重衡(しげひら)が、1184(元暦元)年、一ノ谷の合戦に敗れ鎌倉に連れてこられた時、頼朝が一族の冥福を祈るようこの阿弥陀如来像を重衡に与え、重衡も篤く信仰したそうです。 夏になると、本堂で蝋燭の灯りのもと怪談落語会が開かれ、多くの人に親しまれています。 |
| 写 真 | 解 説 |
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三門をくぐる前に、表欄間を見上げてみよう。 見事な十六羅漢の木彫りが目にとまるでしょう。 これは一見の価値があります! (写真下、白枠内が欄間の十六羅漢です) |
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開 山:知阿(ちあ)上人 開 基:北条氏康 本 尊:阿弥陀如来三尊 1937(昭和12)年頃、境内から宋や明の時代の銅銭がたくさん入った壺が土出し、当時の貨幣経済を知る重要な手がかりとなりました。 |